ジェフリー・オブ・モンマスとは? わかりやすく解説

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ジェフリー・オブ・モンマス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/02 22:43 UTC 版)

ジェフリー・オブ・モンマス(Geoffrey of Monmouth, ウェールズ語:Gruffudd ap Arthur または Sieffre o Fynwy, 1100年頃 - 1155年頃)は、中世イングランドキリスト教聖職者歴史家アーサー王伝説の語り手の一人として知られる。著作のほとんどは歴史を題材としたロマンチックなフィクションである。


  1. ^ レイチェル・ブロムウィッチ(Rachel Bromwich)は、「MyrddinがMerlinに、ddがlに変化するのは奇妙だ」としている(Bromwich, Trioedd Ynys Prydein: The Welsh Triads, second edition [Cardiff: University of Wales, 1978], p. 472 n.1.)。
  2. ^ Thorpe, Kings of Britain pp. 14-19.
  3. ^ Kings of Britain, p. 17.
  4. ^ 後にシェイクスピアによる悲劇リア王』で有名になった。
  5. ^ 後にシェイクスピアによる戯曲シンベリン』で有名になった。
  6. ^ 43年クラウディウス帝のブリテン島侵攻英語版とは別の戦争。


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ジェフリー・オブ・モンマス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 04:32 UTC 版)

アーサー王」の記事における「ジェフリー・オブ・モンマス」の解説

アーサー生涯最初に一つの物語にしたものはジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』である。1138年完成したこの作品伝説上のトロイ人漂流者ブルートゥスから7世紀ウェールズ王カドワラダ(Cadwaladr)までのブリテン諸王歴史空想的に、あるいは非現実的記している。『ブリトン人の歴史』『カンブリア年代記』同じくジェフリーアーサーポスト・ローマ時代人物としている。アーサーの父ユーサー、魔法使い助言マーリン、そしてアーサー誕生物語マーリン魔法によってユーサーの敵ゴルロワ(Gorlois)に化けたユーサーがティンタジェル城でゴルロワの妻イグレイン同衾し、アーサー妊娠する)が語られる。ユーサーが死んで15歳アーサーブリテン王位を継ぐと、『ブリトン人の歴史』語られたような、バドニクス山の戦い頂点とする数々戦い繰り広げるアーサーピクト人スコット人を討伐し、アイルランドアイスランドオークニー諸島征服し大帝国打ち建てる12年平穏の後にアーサーは再び帝国拡張着手しノルウェーデンマークガリアフランス)を占領する当時ガリアローマ帝国服していたため、アーサー今度ローマ帝国対峙することになる。帝王アーサーカイウス(Caius, ケイ)、ベドゥエルス(Beduerus, ベディヴィア)、ガルガヌス(Gualguanus, ガウェイン)を初めとする戦士たちガリアローマ皇帝ルキウス・ティベリウスを破るが、ローマへ進軍準備している時にアーサーブリテン島守り委ねていた甥モドレドゥス(Modredus, モードレッド)がアーサーの妻ゲンフウアラ(Guenhuuara, グィネヴィア)と結婚し王位簒奪したことを聞き知るアーサーはすぐにブリテン帰還しコーンウォールのカンブラム川(Camblam)でモドレドゥスを破り殺害するが、アーサー瀕死の重傷負ってしまう。彼は血縁コンスタンティン王位譲り、傷を癒すためにアヴァロン島へ連れ去られるアーサーはそこから二度と帰って来ることはなかったという。 この物語ジェフリー創作どれほど含まれていたかは現在でも議論されている。サクソン人との12の戦い9世紀『ブリトン人の歴史』から、カムランの戦い『カンブリア年代記』からとられたのは確かとされるアーサーブリテン王という地位ジェフリー以前の『キルッフとオルウェン』や『ウェールズ三題詩』、各種聖人伝などに見られる伝承からとられたのかもしれない加えてジェフリーの描くアーサー多く要素は『キルッフとオルウェン』に強い相似性見られ忠誠、名誉、巨人贈与、寝盗り、魔法品々などといったモチーフテーマ両方共通する。さらに、モンマスは『キルッフとオルウェン』から多く人物名引用している(サー・ケイカイ、サー・ベディヴィアはベドウィル、サー・ガウェインはグアフメイ(Gwachmei)に相当する)。また、両者ヒロインの名称も似ており、グィネヴィアは「白い亡霊」という意味で、一方でオルウェンは「白い足跡」という意味である。アーサー持ち物縁者側近の名前もジェフリー以前ウェールズの伝承から借用していると考えられるカリブルヌス(Caliburunus, 後のエクスカリバー)はカレドブルフ(Caledfwlch)、グィネヴィアグウェンフィヴァル(Gwenhwyfar)、ユーサーはウトゥル(Uthyr)にそれぞれ由来する)。このように名前や重要な出来事称号古来の伝承由来する一方で、ブラインリー・ロバーツによるとアーサーに関する記述ジェフリー創作であり、それ以前典拠存在しないという。たとえば、ジェフリーウェールズのメドラウドを邪悪な人物、モドレドゥスに作りかえているが、ウェールズの伝承にはそのような否定的な人物像16世紀になるまで存在しない12世紀後半のニューバラのウィリアムによる「ジェフリー常軌を逸した虚言への愛(inordinate love of lyingでもって(『列王史』を)書き上げたのだ」という意見受け入れられてきたため、『ブリタニア列王史』ジェフリーの完全な創作物である、という意見対す反論現代に至るまであまり行われてこなかった。ジェフリー・アッシュは反対論者一人で、ジェフリー記述いくつか5世紀ブリトン人の王、リオタムス(Riothamus)という人物に関するすでに失われた資料由来する主張している。しかし、歴史家ケルト学者の多く彼の意見支持していない。 依拠し資料存在したにせよしなかったにせよ、ジェフリー『ブリタニア列王史』大きな人気得たことは否定しようがない。この作品写本200部以上現存していることが知られており、これは他の言語訳されたものを除いた数字である。ウェールズ語版の『列王史』は約60存在しており、最古のものは13世紀のものである。古い学説ではこれらのうちの数冊がラテン語の『列王史』の基になったとされた。この説は18世紀古物蒐集家ルイス・モリスなどに支持されたが、現在の学界で否定されている。このような名声得たことにより、『列王史』はのちの中世におけるアーサー王伝説発展多大な影響与えた。『列王史』は決してのちのアーサー王ロマンスより前に書かれ唯一の作品だったわけではなかったが、『列王史』は後世多く要素借用され、さらに発展加えられていった(たとえばマーリン物語アーサー最期など)。彼の生み出した枠組みに、多く魔法驚異満ちあふれた数々冒険付け加えられていくことになるのである

※この「ジェフリー・オブ・モンマス」の解説は、「アーサー王」の解説の一部です。
「ジェフリー・オブ・モンマス」を含む「アーサー王」の記事については、「アーサー王」の概要を参照ください。

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