シャブタイ派
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シャブタイ派(ヘブライ語:שבתאות)、あるいはサバタイ派(英語:Sabbatian)とは、救世主を自称したシャブタイ・ツヴィ(サバタイ・ツヴィ)(1626年7月1日〜1676年9月17日)を中心に17世紀の半ばに誕生した、メシアニズム(救世主待望論)を信奉するユダヤ教の党派の名称である。その教義の根底には急進的なカバラ思想が据えられていたため、ユダヤ教の正統派からは異端とみなされていた。ただし現在のユダヤ教がシャブタイ派の影響を少なからず受けていることは事実である。
シャブタイ派
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1658年にイタリアからエルサレムに渡ったイスラエル・ヤアコブ・ハギズは、リヴォルノ出身の富豪の援助のもと同地にイェシバーを設立し、外国語、数学、工学などの学問一般を教えた。生徒の中には後にシャブタイ派の預言者となるアブラハム・ナタン(ガザのナタン)もいた。1665年の夏、エジプトに特使として派遣されていたシャブタイ・ツヴィがエルサレムへ帰還した。このときツヴィが救世主を自称したため、ハギズを筆頭にエルサレムの賢者らは論陣を張って対処に乗り出した。こうして最終的にはツヴィをヘーレムに処してエルサレムから追放するのに成功すると、彼の出身地であるスミルナ(イズミル)にも使者を派遣して同地のラビらにヘーレムを宣告した。ハギズとシャブタイ派との戦いは、翌1666年にツヴィのイスラム教への改宗という予想外の展開を迎えるが、その残党に対しても容赦はなかった。 それから十数年後のこと、オスマン帝国時代のコンスタンティノープルのポセクで著述家でもあったイェフダー・ロザネスは、当時すでに衰退期にありながらも依然として強い影響力を誇っていたシャブタイ派と、ツヴィの復活を信じていると思しき者に対して厳然たる姿勢で臨み、ナタンに対してはヘーレムを宣告した。また、ヨーロッパでシャブタイ派を広めたカバリストのネヘミヤ・ハヤ・ハユンやハイム・マルアフにもヘーレムを科している。
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