サラン=レ=バンの大製塩所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/08/11 18:54 UTC 版)
サラン=レ=バンの大製塩所は、フランスのジュラ県に残る産業遺産のひとつである。2002年にユネスコの世界遺産の暫定リストに掲載され、2009年に「アル=ケ=スナンの王立製塩所」を拡大登録する形で正式に世界遺産リストに登録された。
- 1 サラン=レ=バンの大製塩所とは
- 2 サラン=レ=バンの大製塩所の概要
- 3 ギャラリー
サラン=レ=バンの大製塩所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/01 13:44 UTC 版)
「サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所までの煎熬塩の生産」の記事における「サラン=レ=バンの大製塩所」の解説
詳細は「サラン=レ=バンの大製塩所」を参照 サラン=レ=バンの大製塩所はジュラ県サラン=レ=バン(フランス語版)に残る製塩施設である。サラン=レ=バンは中世以降、製塩業によって繁栄した都市であり、12世紀にさかのぼる2つの製塩所を擁していた。大製塩所はそのうちアモンの井戸と呼ばれる塩井に建設された製塩施設である。製塩所には、地下から汲み出した塩水を金属製の釜で煮詰めた設備などが残る。 サラン=レ=バンの製塩業は、この町をブザンソンに次ぐフランシュ=コンテ第二の都市に成長させる原動力になったが、18世紀になると問題に直面した。煎熬には大量の薪が必要になるため、塩の需要の増大に伴い、周辺での薪の調達が困難になったのである。アル=ケ=スナンの製塩所建設は、そうした流れの中で現れたものである。 アル=ケ=スナンの王立製塩所の建設は、サラン=レ=バンの生産量の縮小につながった。サラン=レ=バンでは小製塩所の跡地に温泉施設が建設され、むしろ19世紀後半には温泉町として知られることになるが、大製塩所の操業停止には至らなかった。大製塩所はアル=ケ=スナンの製塩所が操業停止した後も、より安価な海水から得る食塩との競争や、第二次世界大戦での被害にさらされつつも操業を続けていたが、1962年に操業を停止した。
※この「サラン=レ=バンの大製塩所」の解説は、「サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所までの煎熬塩の生産」の解説の一部です。
「サラン=レ=バンの大製塩所」を含む「サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所までの煎熬塩の生産」の記事については、「サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所までの煎熬塩の生産」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- サラン=レ=バンの大製塩所のページへのリンク