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サダオ・ムネモリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/03/07 03:16 UTC 版)
| サダオ・ムネモリ Sadao S. Munemori |
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|---|---|
| 1922年4月17日 -1945年4月5日(満22歳没) | |
| 生誕地 | |
| 死没地 | |
| 所属政体 | |
| 所属組織 | |
| 軍歴 | 19?? - 1945 |
| 最終階級 | 陸軍上等兵 |
| 部隊 | 第442連隊戦闘団第100歩兵大隊 |
| 戦闘/作戦 | 第二次世界大戦 |
| 賞罰 | 名誉勲章 |
サダオ・S・ムネモリ(Sadao S. Munemori、漢字: 宗森貞雄、1922年4月17日-1945年4月5日)は、カリフォルニア州ロサンゼルス出身の日系アメリカ人で、アメリカ陸軍第442連隊戦闘団第100歩兵大隊上等兵。軍への入隊前は、日系人収容所の1つであるマンザナール強制収容所に収容されていた。
第二次世界大戦末期のイタリア戦線において、ドイツ軍の防衛線ゴシックライン攻略作戦に参加。1945年4月5日にセラヴェッツァの「ジョージア高地」山頂への進撃中、塹壕に転がり落ちた手榴弾に覆い被さって戦死し、中にいた2人の部下の命を救った。自らを犠牲にして仲間を救った功績により名誉勲章を受章した。
名誉勲章
ムネモリが受賞した名誉勲章には下記のように記されている。
- 彼はセラヴェッツァで勇敢に戦った。敵の強固な守備と火攻、部隊長の負傷によりセラヴェッツァに留まらざるをえなかったとき、彼は一人で二丁の機関銃と手榴弾をもって正面の敵を果敢に打ち倒した。敵砲兵の掃射と爆撃から後退したとき、彼は不発の手榴弾が彼の部下のいる塹壕に転がってゆくのを見た。すぐさま駆けた彼は手榴弾に覆いかぶさり、爆発を一身に受け止めた。彼の迅速で英雄的な行動は部下を救い、部隊の勝利に大いに貢献した。
記念碑
勇敢にして自己犠牲を厭わない日系人兵士を象徴する人物として、記念碑と共にサダオ・ムネモリ上等兵の像が建てられている。
ロサンゼルス:エバグリーン墓地にある日系部隊戦死者のための慰霊碑「殉国碑」と共に大理石像が飾られている。
ピエトラサンタ(イタリア):ドイツ軍から解放してくれた日系人部隊に感謝する記念碑の上にブロンズ像が飾られている。
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