コミックマーケット
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コミックマーケット(Comic Market、略称:コミケ、コミケット)とは、コミックマーケット準備会が主催する世界最大の同人誌即売会である[3]。1975年12月21日、批評集団「迷宮'75」によって開始された。現在は年2回の開催で、夏は8月、冬は12月に開催される。
注釈
出典
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- ^ 「2007年末に東京ビッグサイトで行われた『コミックマーケット73』は3日間の開催中にのべ50万人が参加し、参加サークルの数は3万5000。これに対して『第1回コミックマーケット』は1日のみの開催だったが、参加者は700人。参加サークル数はわずか32にすぎなかった。両者の間に32年の差があるとはいえ、規模から見れば雲泥の差どころの話ではない。それでもコミックマーケットはまさしく、このささやかなイベントから歩みを始めたのである」霜月たかなか『コミックマーケット創成記』朝日新聞出版(朝日新書)2008年, Kindle版, 位置No.全2937中58 / 1%。ISBN 978-4022732507
- ^ 3日間開催以降、2012年までは金曜日から始まり日曜日で終わるのが主だったが、2013年は土曜日から始まり月曜日に終わる。
- ^ 12月28日が日曜日(主日)の場合、12月28日から30日。
- ^ 後述の通り、2021年は12月30日と31日の2日間。
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- ^ 一日当たりの入場者が10万人を超える屋内イベントは、日本ではコミックマーケットのみである。東京ゲームショウは2011年で最大83,744人(最終日・過去最大)、東京モーターショーは2009年で最大73,400人(9日目)
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- ^ 「『じゃ、同人誌だけを売買する場所を作ればいいじゃない。費用は参加するサークルに頭割りすれば、こっちはそんなにかからないし、やることだって、連絡と宣伝だけだから、手間はかからない。名前はコミックマーケット、略称コミケット!』/明石さんの一言から、ここまで、おそらく15分はかかっていない。天啓のように、一瞬にしてコミケットは誕生した。いや、ふりかえって見れば、その瞬間は、20年の時を超えて、現在に至る全てを胚胎していたと言ってもいい。何の迷いも逡巡もなく決まった、“コミックマーケット”という名称。このマーケットというネーミングがすべてを決めた。」「他のメンバーがどうであったかは知らない。しかし、少なくともコミケットを運営する主体を、コミケット運営委員会でも、実行委員会でもなく、『コミケット準備会』とした時、その底に、コミケットなるものは、いつまでも手の届かない逃げ水になるという、予感は共有していたろう。」亜庭じゅん「明石さんへ――」『コミックマーケット20周年記念資料集』(コミックマーケット準備会 1996年3月17日)420P
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- ^ a b c 「『マニア運動体論』は新批評大系の第1期を通じて6回連載された。批評集団として出発し、自らを『運動体』と規定した迷宮の状況認識であり、活動方針であり、宣言でもあった。迷宮というグループの結成後、毎週末ごとの会合での話し合いを基に、メンバーを代表する形で亜庭じゅんが執筆した。従って、公式には執筆は『迷宮』ということになる。『マニア運動体論』6回の連載はコミックマーケットの開始と並行していた。『序説』と『第1回』『第2回』が書かれた時点ではコミックマーケットは構想のみ存在し、姿を見せておらず、続く3回の連載はようやくコミケットが安定していく過程に重なる。『マニア運動体論』は暗中模索で走りだしたコミケットの初期、迷宮=コミケットの共通認識として機能した。亜庭じゅんは殆んど徒手空拳の状況でこの連載を書いたが、COM以後のファン状況を可能な限り批判的に見ることは、新しい道を探るために必要な作業でもあった。この論考は亜庭じゅんにとって新批評大系7年の批評活動を越えて、ダイレクトに後の創作同人誌即売会・MGMの開催に繋がっていくように見える」「マニア運動体論・編注」『漫画批評大系 vol.16 亜庭じゅん大全 A LONG LONG STORY』(迷宮'11 2011年12月31日)477P
- ^ 『コミックマーケット40周年史』 p.206-209
- ^ 「立ち上げた時にみずからの活動理念として『マニア運動体論』(本書巻末に序説全文再録)を掲げた『迷宮'75』は、それを『漫画新批評大系』に発表。このなかでコミックマーケットも、『迷宮』の行う『運動』として位置づけている。つまり『マーケット』といっても市場の機能を果たすだけではなく、まんがファンの交流の場としてそれを成立させたうえで、そのような場を持続・発展させていかなければならないと考えたわけである。そのためには参加サークルの協力が欠かせないことから、僕らは参加サークルを集めての『事前集会』や『反省会』を通して主催者及び参加サークルどうしの交流をはかり、お互いが補完関係にあることの認識を深めてもらおうとしたのだ。いや、こう書くと何か堅苦しいが、要はそういう交流を通していろいろなサークルとつながっていくこともまた、コミックマーケットを主催するうえでの大きな楽しみだったのである」霜月たかなか『コミックマーケット創成記』朝日新聞出版(朝日新書)2008年 (Kindle版, 位置No.全2936中 211-218 / 7%。ISBN 978-4022732507)
- ^ a b c 「現在『マンガ世代』とはそのような自己を没入しうる者であり、オタクとも呼ばれる彼らが主役として迎えられる状況をコミケが作り出してしまった。だが『そういう場を最初に作り出したのはおまえたちではないか』と言われれば、全面降伏はしないまでも迷宮に立つ瀬はない。/しかし亜庭じゅんであれば、話は別だ。迷宮の名前でMGMを主催し、『これこそが迷宮のやろうとしていることだ』と言えば、数のうえではどうであれ、迷宮=MGMとして『迷宮がやろうとしたのはコミケではない』と言い切ることができる。つまりコミケに対して迷宮が裏切ったのではなく、迷宮に対してコミケが裏切ったというわけだ。もちろんそれを言うために亜庭じゅんがMGMを始めたわけではないし、MGM自体コミケを批判こそすれ、敵対するものではなかったが、迷宮の始めた運動を具現するものとして、MGMが存在した意味は少なくない。実体に即してみても、初期のMGMは亜庭じゅんみずからによる『マニア運動体論』の実践であったし、MGMの活動とはまさしく迷宮の活動であった。困難を抱えた小さな運動であっても、その意味においてMGMは、コミックマーケットに対して互角に屹立する即売会であったということが可能なのである。」原田央男「MGMに参加したこともないくせに…あるいは亜庭じゅんについて」『亜庭じゅん大全』(迷宮'11 2011年12月31日)748P
- ^ 「迷宮による『マニア運動体論』といっても、その実質は亜庭じゅんの執筆によるものであり、僕も米やんもいわば結果としてそれを追認したにすぎない。それほど言葉を駆使する亜庭じゅんの力は圧倒的であったが、筆鋒鋭く既存のまんがサークルを切り捨て、さらには米澤コミケにも斬りつけた言葉は、みずからMGMを開催した実践の段階においては、彼自身を切り裂く諸刃の刃となる。それでも彼は言葉に留まる『理論』よりも、現実に傷つく『実践』のほうを選んだと僕は考える。/そしてそれこそが『マニア運動体論』を反故にしないために彼が取ることが出来た、唯一の方法であったはずだ。さらにそのように『マニア運動体論』を貫徹しようとした限りにおいて、コミケ代表の立場を投げ捨てた僕でも、存続を目的としてコミケに主体的に関わることを放棄した米やんでも、東京という活動の場を共有できなかった高宮でもなく、ただ亜庭じゅんだけが最後まで『迷宮』であり続けたということができるだろう。」原田央男「MGMに参加したこともないくせに…あるいは亜庭じゅんについて」『亜庭じゅん大全』(迷宮'11 2011年12月31日)749P
- ^ 迷宮がコミケットの運営から退いたあとも、運動体としてのコミケットという理念は(形式的とはいえ)残り続け、C83までの『コミケットマニュアル』には「元々、ムーブメント、趣味の活動として始まったコミックマーケット」(各回ごとの『カタログ』「準備会スタッフについて」)、「一つのムーブメントとして自らを規定します」(各回ごとの『サークル参加申込書セット』「コミケットの理念と目的」)といった言及があった。しかし、2013年8月の全面的な改訂を経た、C84以降の『コミケットマニュアル』からは「ムーブメント」の文言が全く消え、理念として「(自由な表現の)場」「ハレの日」としての機能がより強調されるようになった。
- ^ コミックマーケット準備会『コミックマーケット30'sファイル』より
- ^ 参加者の一部にはこの理念を硬直的に理解し「客」という単語に過剰反応を示す者もいるが、各サークルが自サークルへの訪問者・購入者に対して「お客」と呼ぶことはこの理念とはまた別のものである
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- ^ 「COMIKET PRESS」21号による。数値は原文のまま。
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- ^ C84以降の『サークル参加申込書』「コミックマーケット年表(抜粋版)」では1979年のC13より「代表に就任」と記載されている。しかし、『コミックマーケット30'sファイル』では1980年就任とあり、矛盾する。また、C13時点で米澤が代表になったことを示す記録は公表されていない。
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- ^ a b 「『COM』という本は、編集方針が定まらず、読者を何度か失望させました。『ぐらこん』も会社にとっては販売部数を増やすためのものという面がありました。また、本部だ支部だと言っても有名無実な面がありました。『ぐらこん』の精神には賛同したけれど、頼むに足りない面がありました。ですから、虫プロ商事出版部の都合なんかに左右されない、漫画ファンのフィールドを作る必要がありました。『ぐらこん』から、『コミックマーケット』への発展は、それを、漫画ファン自身の企画で実現したという所に価値があります。なんと実行力のあるファンでしょう。『COM』の影響で、ドッと有為な人材が入って来たから可能になったんだとも思いますが、誇りに思っていいんじゃないでしょうか」中島隆「『ぐら・こん』がなくなった日」(夏目房之介「夏目房之介の『で?』」所収)
- ^ 「迷宮が対しようとしていたのは、スポ根や学園ラブコメに堕ちた商業誌マンガであり、旧態依然のマンガ評論であり、BNF(ビッグネームファン)など自閉した遊びに堕ちていったマンガファンダムであり、また『COM』の幻想に引きずられているファンたちであり、何も考えていない新興の若い世代だった。全てを解体した上で、混迷の状況の中に新たなマンガ状況を創り出して行くこと。その中には漫画大会や、コレクターたち中心のマンフェスへの決別の意志も含まれていた。そして、そうした中で、状況に検討を加え、新たな芽を育てていくこと。/そこに持ち込まれた漫画大会拒否事件は、早急に手をつけなければいけない問題でもあったのである」米沢嘉博「前史」『コミックマーケット30'sファイル』有限会社コミケット、2005年7月、27頁。
- ^ 「『COM』なき時代にまんがに対して、単なるマニアが何をできるのか? 答えを求め、読者の側からまんがに働きかけようと有志が集まり、まんが評論サークル『迷宮』が発足した。そして『まんが同人によるまんが同人誌即売会』の発想を得てその開催を画策した時、まずもって僕らが心掛けたのは、日本中のまんがサークルのネットワーク化を構想した『ぐら・こん』構想の、挫折の愚を繰り返さぬこと。即ち『COM』を、目的実現のための反面教師とみなすことだったのはなんという皮肉だろう。それでもコミックマーケットというシステムが成立しえたのは、まぎれもなくそのヒントとなった『COM』が、まんがファンあるいはマニアのあからさまな実態を示してくれたからにほかならない。コミックマーケットが『同人の実態に即した』イベントであったからこそ、それは同人誌の流通拠点となりえたのだ」原田央男「『COM』の残滓と『コミケ』黎明期の熱い季節」『東京人』No.341(東京出版 2014年7月3日)37P
- ^ 「『コミックマーケット準備会』設立に至った経緯は、亜庭じゅんによれば次のようになる。/『マジに開催のことを考えなければならなくなった時、“迷宮”はちょっとしたジレンマに陥る。コミケットの運営主体をどうするかという問題であった。理論上はコミケットの運営は参加者自身が行なうべきだという点で異論はなかった。だが、数々のイベントを批判的に検討してきた結果から、組織は必ずと言っていい程硬直するという認識も共有されていた。“迷宮”が主催ということで立てばいいという話ではない。理想としていたのはサークルの自由連合による運営だった。だが、運営主体が暴走し始めた時のセーフティネットをどう担保するか。/そこで僕らはある姑息な手を打った。コミケットの運営を“迷宮”とは別組織にして、サークル主体に見せながら、実体として“迷宮”が運営を担うことで当面はそのポリシーは維持する。将来的にこちらが信頼できる人材が出てくれば、そちらに徐々に運営を移行していく。平たくいえば、裏で糸を引こうという発想である。準備会という名前にはそんな隠れた意図もないわけではなかった。“迷宮”はコミケットのさらに先を見ようとしていた。しかしそんなはかりごとはうまくいくわけもなく、ひょっとしたらと期待した準備集会でも、参加者はコミケットのイメージすら判然としない状態、とても運営までは頭が回らない。こちらも海のものとも山のものともつかない状態であってみれば、当然の結果ではあった。』」霜月たかなか『コミックマーケット創世記』(朝日新聞出版 2008年12月30日)143P
- ^ 「なかなかヤバい話にはなるんですけれども、なぜ原田氏が代表になったかということなんですが、見ていただくとわかるとおりに、一番誠実そうに見えるんですよ(笑)。僕はたぶんそれはダメだし、米やんもそういう意味じゃあ当時はまだちょっとピリピリしてたとこがあったし。まあ米やん自身は一番若かったということもあって…それとまあ上に二人年上がいるとなると、なかなかこう前には出られません。でまあ、やっぱりこういうコミケットみたいなイベントの場合、露骨に言います、同情を買うようなタイプが一番いいと(笑)。それは俺と米やんの共通見解よ。原田氏だったらみんなが同情してくれるだろうと。ということで、まあ人格的に原田氏が一番ベストなんじゃないかと。でまあ『いちゃもん』の漫研リストを作ったのも彼ですし、そういうようなことを含めて原田氏が代表には一番ふさわしいだろうということで、代表になったというのが事実関係です。」亜庭じゅん「コミケ誕生打ち明け話」『亜庭じゅん大全』(迷宮'11 2011年12月31日)738P
- ^ “100回目のコミックマーケット 「SPY×FAMILY」などコスプレで楽しむ参加者の姿” (2022年8月14日). 2022年8月15日閲覧。
- ^ 『コミックマーケット30'sファイル』より
- ^ a b c [1] - 竹本健治のツイート
- ^ 「自分たちがコミケを始めたのは、商業誌とは違う世界をつくりたかったから。それがいつの間にか商業誌の人気作品のキャラクターを使って、自分たちが好きに描き変えてしまう二次創作が出てきた。それが一部だったから良かったのが、だんだん主流となって数が増えていく。そうして同人誌でしか読めない作品がどんどん減っていったこともあって、僕はコミックマーケットの代表を離れました」「コミケ第1世代の僕の見方では、同人誌の一次創作が少数派になった段階で『商業誌に負けたな』と。商業誌をさらに盛り上げるための同人誌という流れができてしまった。僕らのような古い世代から見ると、同人誌だけでしか表現できない世界が消失したのはとても悲しかったです」電ファミニコゲーマー (2023年8月31日). “今の漫画編集者は“編集権を放棄”している!? 鳥嶋和彦氏×霜月たかなか×筆谷芳行『同人誌vs商業誌』白熱のトークバトルから見えてきた漫画業界の過去・現在・未来”. 2023年9月16日閲覧。
- ^ 「米やんが二代目になったのは他に適当な人間が居なかったということが理由だったが、受けた米やんは決してそれを歓迎したわけではなかった。原田の辞任は唐突なものだったし、困惑しながらの就任だったことは傍目にも分かった。」「あの時期の米やんには酷な言い方になるけれど、それでも少なくとも準備会の内部では危機感を共有し意思統一を計ることだけはしておかねばならなかったが、その部分でも米やんはネグった。亜庭じゅんの言葉で言えば『米澤は半分投げていた』ということになる。米やんのこの無責任にも見える姿勢が、遂にはクーデター騒動を引き起こすことになる。クーデター派から見れば米やんは何も決められない独裁者に見えていたのかもしれない。」高宮成河「あの頃……雑感」『MGM100カタログ』(MGM 2013年1月27日)24P
- ^ 「迷宮スタッフ=準備会スタッフという構造は大田区産業会館の終りまで変らなかった。メンバー五人に手伝い数人といった小人数の構成だったが大きくなり始めていたコミケットはそろそろ手に余り始めていた。ちょうどこの頃、原田氏の引退があり、机を壊した理由で大田区産業会館を追われたこともあって、準備会は再編成に入った。というより、始めて、準備会という形をとろうとしたといってもいい。次々と若い人達が入ってきた。警備隊、救護班等が生まれ、ブロック長制が導入され、あっという間に準備会は数十人の大所帯に振れあがったのだ。」米澤嘉博「夢の記憶 記憶の夢」『コミケット年鑑'84』(コミックマーケット準備会 1985年8月)149P
- ^ 「少なくともコミケットが仮に潰れたとしても、別に創作同人誌即売会が存続していれば、その部分だけでも救い出せることになる筈だった。あの時期のあにじゅんの取れる方法としては率直で妥当なものだったし、MGMの意図するところは米やんも理解していた。『米やんはMGMはコミケットの保険だと言ってたよ』これは米やんの死後に、米やんの言葉としてベルから聞いた。」高宮成河「あの頃……雑感」『MGM100カタログ』(MGM 2013年1月27日)26P
- ^ 「あにじゅんの死後、『ぼくは他の何を信じられなくなってもMGMだけは信じられる』と米やんは言ってたよ、とベルから聞いた。ぼくは米やんの孤独をうっすらと感じた。そして米やんはMGMの何を信じようとしていたのかと考えた。コミケットの喧噪のなかに居ながら、米やんが信じたかったのは、迷宮の、そして即売会の始まりのあの時期、あにじゅんや原田央男たちと幾晩も徹夜で話した時間と、自分がコミケットの維持のために失ってしまったもの、あにじゅんがMGMで死守し続けた『子供の理想論』だったのかもしれない。」高宮成河「あの頃……雑感」『MGM100カタログ』(MGM 2013年1月27日)28P
- ^ COMITIA95 ごあいさつ「MGMがなかったら、コミティアも生まれなかった、という証明」(中村公彦)
- ^ ばるぼら (2020年9月4日). “コミティア―マンガの未来のために今できること 第2回/コミティアの歴史―存続が危ぶまれる今、問い直される「コミティアとは何か」”. 2023年9月12日閲覧。
- ^ MGMは会場の都合で2007年から休止、主催者代表・亜庭じゅんの逝去を経て、2012年に再開された。2013年より運営を交代し、「MGM2.XX」と改称した。XXは開催回次が入り、2013年9月8日、改称第1回となる「MGM2.01」が開催された。
- ^ 「迷宮を始めるに当たってメンバーは、3000円ずつ最初に出している。コピー機の購入などにあてるためだ。その後、資金となったのは本の売り上げ、予約金だった。コミケットも迷宮から借金しながら77年頃までは開かれることになっていく。それと、当日集まったカンパによって、なんとかなっていたというのが実状である。準備会が立ち上がってからも、迷宮への借金は残ったままの形となり、コミケット永久スペース提供という約束が交わされ、それは今も続けられている」米澤嘉博「前史」『コミックマーケット30'sファイル』(有限会社コミケット 2005年7月25日)29P
- ^ 「表面上の自由を謳うコミケットの中に原田央男は必死に新しい創作の出現を見ようとした。原田央男から米沢嘉博への移行に伴って、表面のたてまえが、すべてを縛り始めた。それと反比例して、コミケットは作品のための場から、売買の場へ変質した。形は似ても全く非なるものが、出来あがってしまったのだ。自立した創作(まんが)のドラマとして時間軸上に展開していたコミケットは、ヌボーッとした肥大しか能がない空間へと転化した。未来も過去もない、ただ茫漠とした今、この瞬間、それがコミケットである。まさに、生みだすものもなくだ。」亜庭じゅん「コミケットは趣味が不自由なのである」『亜庭じゅん大全』(迷宮'11 2011年12月31日)632P
- ^ 「コミケットはもはや趣味でやれる範囲をこえている。しかもなお、『趣味』でやらねばコミケットではないだろう。アマチュアでもプロでもない第三の場を創ること。『同人誌』でも『商業誌』でもない既成概念の転倒。人が人と作品を通して媒介される場――コミケットの道は本来ここにあった。スタンスは、『創る』の一点を軸にしていた。プロもアマもでは決してない。プロでもない、アマでもない、否定形を通しての未来。それがコミケットの視線の行く先、見すえた焦点であった。それを見つづけるのは、『趣味』かもしれない。そして、この視線を、『プロもアマも』に移行させるのは、はっきり言って悪い趣味である。その『趣味』の悪さが、コミケットをダメにしたのだ。つまりこういうことだ。『米ヤンのバカァーッ!』。あんたはもっと趣味のいい人間だった筈だ。」亜庭じゅん「コミケットは趣味が不自由なのである」『亜庭じゅん大全』(迷宮'11 2011年12月31日)634P
- ^ 奇しくもこの時期は昭和天皇の病状悪化による自粛ムードと重なったため、これに伴う開催延期という説もあった。しかしこれは誤りで、準備会は「C35は昭和天皇の病状悪化が原因で開催延期はしていない」と否定声明を出している。
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- ^ @hamazi__ (2022年12月30日). "【C101 "BLANK802." お知らせ(1)】現在、コミケ運営スタッフさんにご状況を伺い、サークルが外のスペースへ移動となりましたことをお知らせいたします。場所は画像をご参考下さい。寒空の中、誠に申し訳ございません何卒よろしくお願いいたします。". X(旧Twitter)より2023年1月6日閲覧。
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- ^ 『コミケ・ジングル超募集!』受賞作発表!!(コミックマーケット準備会)
- ^ 夏コミ時も同様のイベントが開催されるが、献血参加者の健康への配慮から会場及び国際展示場駅での献血は行わず、都内及び周辺3県の血液センターでの開催になる。
- ^ C83冊子版カタログ1328〜1329ページ
- ^ コンテンツエージェント株式会社「コミックマーケット 献血応援イベント」
- ^ 2012年のC82より千葉県内の血液センターで(C82の時は同時開催ではなく9〜10月の開催)、2013年のC84からは埼玉県・神奈川県血液のセンターでも開催した。
- ^ 「はたらくおぢさん総集編」54ページ(企画・編集:横川俊・コミックマーケット準備会)
- ^ “日本赤十字社金色有功章・受章について”. 2023年11月21日閲覧。
- ^ 当初はコミックマーケット準備会として受賞という話を東京都赤十字血液センターから受けていたとのことだが、「献血を行っているのは多くが参加者であり、準備会は場所等の提供を行っているに過ぎない」との考えから、「コミックマーケット」として受賞することになったとのこと。
- ^ “コミケに日本赤十字社から「金色有功章」、献血への貢献で”. 2023年11月21日閲覧。
- ^ “「コミックマーケット」日本赤十字社の金色有功章を受章 長年の献血への協力が評価”. 2023年11月21日閲覧。
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- ^ 使いすぎ?「コミケ」でゆうちょ銀行ATM残金ゼロ 身ぐるみ剥がされる!! J-CASTニュース、2009年8月17日
- ^ コミックマーケット83における『黒子のバスケ』サークル・頒布物対応に関する緊急のお知らせ
- ^ コミケ83:「黒子のバスケ」脅迫で一部出展見合わせを決定 - MANTANWEB(まんたんウェブ)
- ^ コミックマーケット83、「黒子のバスケ」関連すべて中止へ 脅迫状への対応として - ねとらぼ
- ^ コミケ83:「黒子のバスケ」同人誌900サークル出展見合わせ 37年で初の大規模自粛
- ^ コミケ:3年ぶりに手荷物確認実施へ テロ対策強化の要請を受け まんたんウェブ 2015年12月15日
- ^ コミックマーケット89における警備強化に関するお知らせ コミックマーケット公式サイト 2015年12月15日
- 1 コミックマーケットとは
- 2 コミックマーケットの概要
- 3 概要
- 4 コミックマーケット準備会とその関連企業
- 5 歴史
- 6 その他
- 7 脚注
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