グイド・フルベッキ
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グイド・フルベッキことギドー・ヘルマン・フリドリン・フェルベック(英: Guido Herman Fridolin Verbeck、あるいは蘭: Verbeek[注釈 1]、1830年1月23日 - 1898年3月10日)は、オランダ出身[注釈 2]で、アメリカ合衆国に移民し、日本にキリスト教オランダ改革派宣教師として派遣され活躍した法学者・神学者・宣教師。
注釈
- ^ オランダでは蘭: Verbeekでフェアビークと呼ばれていた。アメリカ移住のとき、アメリカ人が発音しやすいように英: Verbeckと変えた(村瀬寿代 2003, pp. 56)。一方で青山墓地のフルベッキの墓碑銘はVerbeekと刻されている(村瀬寿代 2003, pp. 71)。
- ^ フルベッキはオランダに長い間帰国しなかったのでオランダ国籍を喪失した[要出典]。友人グリフィスも著書で彼を「国籍のない人」と言っている。
- ^ フランシス・ホールは最大の米国対日商社となったウォルシュ・ホール商会(ウオロス・ホール、またはワルシ・ホールとも表記される)の設立者。
- ^ フルベッキ家は裕福なアムステルダムの商人で、ドイツ人とオランダ人の名家の婚姻によって生まれた家である[2]。
- ^ 舎長副島種臣、その補佐が大隈重信。
出典
- ^ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/784010
- ^ 中島、辻、大西 2003, p. 187.
- ^ a b c 村瀬寿代 2003, p. 56.
- ^ a b 村瀬寿代 2003, pp. 57.
- ^ 守部 & 2010守部 2009, pp. 179–180.
- ^ “活動報告”. www.asahi-net.or.jp. 長崎フルベッキ研究会レポート. 一般社団法人長崎親善協会. 2022年4月22日閲覧。
- ^ 村瀬寿代 2001, pp. 30.
- ^ 村瀬寿代 2001, pp. 33.
- ^ 村瀬寿代 2000, pp. 69.
- ^ 馬場 2006, pp. [, 要ページ番号], .
- ^ 村瀬寿代 2000, pp. 70.
- ^ 村瀬寿代 2000, pp. 76.
- ^ 村瀬寿代 2000, pp. 76–77.
- ^ a b 村瀬寿代 2001, pp. 31.
- ^ 守部 2010, p. 180.
- ^ a b 村瀬寿代 2000, pp. 81.
- ^ 村瀬寿代 2000, pp. 83.
- ^ a b 村瀬寿代 2001, pp. 32.
- ^ 村瀬寿代 2000, pp. 87.
- ^ “第一編序説東京専門学校創立前史 第十章フルベッキ来朝”. 早稲田大学百年史 . 2022年4月22日閲覧。
- ^ a b 高橋是清 1976, pp. [, 要ページ番号], .
- ^ 田中 1977, pp. [, 要ページ番号], .
- ^ 『第4章 年表』(PDF)全国公立学校教頭会 。
- ^ 『日本キリスト教歴史大事典』 教文館、1988年。
- ^ “William Jordan Verbeck” (英語). Find a grave. 2022年4月22日閲覧。
- ^ a b 大岡 2018, pp. 84–85.
- 1 グイド・フルベッキとは
- 2 グイド・フルベッキの概要
- 3 著述
- 4 伝記
- 5 外部リンク
固有名詞の分類
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