クレシーの戦いとは? わかりやすく解説

クレシーの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 03:49 UTC 版)

クレシーの戦い(クレシーのたたかい、: Battle of Crécy)は、1346年8月26日百年戦争の一環としてフランス北部、港町カレーの南にあるクレシー=アン=ポンティユー近郊で行われた戦い。




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クレシーの戦い

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エドワード3世 (イングランド王)」の記事における「クレシーの戦い」の解説

エドワード3世率いイングランド軍は1346年7月ポーツマスからノルマンディーサン=ヴァースト=ラ=ウーグ上陸したイングランド軍は道中ひたすら破壊放火略奪繰り返す長距離進軍によって敵軍挑発して合戦おびき出す騎行(Chevauchée)」と呼ばれる行軍方法ノルマンディー横断したのち北上して1カ月350キロ踏破した。 この挑発乗ったフランス王フィリップ6世フランス軍率いて迎撃出たイングランド軍はポンティユー伯領のクレシー郊外においてエドワード3世率い本隊エドワード3世長男エドワード黒太子や第11ウォリック伯トマス・ド・ビーチャムの率いる隊、ノーサンプトン伯ウィリアム・ド・ブーン(英語版)の隊の3隊に分かれて布陣し8月26日両軍激突してクレシーの戦いが発生戦いイングランド軍の大勝終わった。これは長弓部隊による勝利とも、長弓というよりもイングランド軍が防御的陣形取り、それを維持したためとも言われるエドワード3世息子である黒太子はこの戦い初陣だった。ウォリック伯補佐受けていたとはいえ黒太子勇戦イングランドのみならずフランスにもその武名轟かせることになった。この戦いでエドワード3世が最も悔やんだのはフランス軍側の身分の高い者が大勢戦死してしまい、捕虜にして身代金を得る機会逃したことだったという。 クレシーの戦い直後9月からカレー包囲をはじめ、翌1347年までにここを陥落させ、8月4日にはエドワード3世カレー入城したエドワード3世カレー維持重視していたので、征服軍の当然の権利考えられていた破壊略奪からカレーを守るとともに輸出羊毛指定市場(英語版)をカレーに移させた。これはカレー経済的に自立させるのが目的だった。カレーこの後百年戦争超えてメアリー1世時代1558年失われるまでイングランド領であり続ける。 また1346年10月17日には第2代ネヴィル男爵英語版ラルフ・ネヴィル英語版)と第2代パーシー男爵英語版ヘンリー・パーシー英語版率いイングランド軍がネヴィルズ・クロスの戦いにおいてデイヴィッド2世率いスコットランド軍を破りデイヴィッド2世捕虜にすることに成功した以降デイヴィッド2世11年わたって捕虜となり、その間スコットランド国政ロバート1世の娘の子である執事ロバート・ステュアート(後のロバート1世)が主導するようになったブルターニュ方面でも1347年6月20日ラ・ロッシュ=デリアンの戦いでトマス・ダグワース(英語版率いイングランド軍がブロワ伯捕虜にする勝利を収めた1347年9月28日にはローマ教皇仲裁によって1355年6月までを期限とする休戦協定フランスとの間に締結した

※この「クレシーの戦い」の解説は、「エドワード3世 (イングランド王)」の解説の一部です。
「クレシーの戦い」を含む「エドワード3世 (イングランド王)」の記事については、「エドワード3世 (イングランド王)」の概要を参照ください。

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