クイズタイムショックとは?

クイズタイムショック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/24 06:42 UTC 版)

クイズタイムショック』(QUIZ TIMESHOCK) は、テレビ朝日(旧:日本教育テレビ)がかつて放送していたクイズ番組。通称「タイムショック」。




  1. ^ 読売新聞・朝刊1969年5月23日付27面「クイズ作り・あの手この手」より
  2. ^ 使われている書体はナール
  3. ^ 山口司会時代後半ではボタンを押す場面が時々放送された
  4. ^ ボタンの形状は卓上ビデオゲームの操作盤のような形で、残っている問題ボタンが点灯、終了した問題番号は消灯する仕組みであった
  5. ^ 山口が番号ボタンを押すと文字が消灯、同時にラインが両端から順番に緑から赤に変化し、山口の「タイム・ショック!」コールに合わせ消灯していた文字が再び赤く点灯する
  6. ^ 読売新聞・朝刊1969年5月23日付27面「クイズ作り・あの手この手」より
  7. ^ この時用いられた7セグ数字は全て"8"ではなく"1088000"と最低限の金額表示ができるような形となっていた(十万の位が0なのは、賞金に10万円、15万円の"1"か100万円の"0"しかないため)
  8. ^ 「6」の表示は小文字の"b"のような表示
  9. ^ 特に役割は無く常時発光している
  10. ^ ただしこれらのシステムを使用しない回は撤去されている
  11. ^ 山口時代の『落語家特集』回では出囃子が演奏された
  12. ^ ただし生島時代は常に、鹿賀・中山&新山時代以降は『12アンサーズ』など一部の特殊形式の際に不正解のブザーが鳴る
  13. ^ 読売新聞・朝刊1969年5月23日付27面「クイズ作り・あの手この手」より
  14. ^ ただし、回転機構の不具合により従来のような水平方向の回転のみになった事がある
  15. ^ 妊娠中の女性など身体に影響がある場合は椅子の回転は行わない
  16. ^ 山口時代最末期はパーフェクト達成者も対象
  17. ^ 挑戦は最初にチャンピオン、その次にチャレンジャーの順に行う
  18. ^ 両者同じ正解数の場合先週までのチャンピオンが勝利した扱い
  19. ^ 山口時代最末期ではパーフェクト達成者もトップチャレンジャーとなる為、チャンピオン戦ではパーフェクトを目指しチャンピオンのみが挑戦する形となる
  20. ^ 800回記念回より
  21. ^ そのため出場者は風呂敷や大きなバッグを持参するように言われたという
  22. ^ 芸能人大会では5-8チームによる2ポイント先取の対決
  23. ^ 第2期初回のみ積立金持ち帰りか『ビジュアルタイムショック』からのやり直しかを選択
  24. ^ この第3期を最後にビジュアルタイムショックは廃止となるが、問題映像が『クイズ!バーチャQ』に流用された
  25. ^ 問題番号は1-6、後に1-10で全てレギュラー問題
  26. ^ チャンピオンが複数の場合、その分ペーパーテストの通過者が減る仕組み
  27. ^ チャンピオンが複数の場合は勝ち抜き数の少ない順
  28. ^ 最終回に限り満たなかった場合即トルネードスピンとなった
  29. ^ 3問正解で100万円、以後1問ごとに200万→400万→1000万円と続く
  30. ^ 2006年3月放送「バトルロイヤル10」
  31. ^ 2006年9月放送「バトルロイヤル11」平成元年問題
  32. ^ 全員が前問正解で最高25万円
  33. ^ トーナメント1回戦では『映像レギュラー問題』『12アンサーズ』が、2回戦では『漢字書き取り』が選ばれた
  34. ^ 挑戦の都合上6名ずつに分けて行い、編集で同時としている
  35. ^ 第2回までは各グループトップ3名でさらにレギュラー問題を1セット行い、正解数が最も多かった1名が決勝ラウンド復活
  36. ^ ただし残っているジャンルに関しては適時司会者が説明するほか、司会者席には何番がどのジャンルかを示すモニターが存在した
  37. ^ 田宮時代、山口時代中期までの肩書きは「コンピューター」
  38. ^ 解答時の環境が通常と同時タイムショックでは違うため区別。
  39. ^ なおこの回では当時12歳だった津軽三味線奏者・上妻宏光も出場。彼がお客様として出演した「徹子の部屋」(2002年11月13日放送分)にてその回の映像が放送された。
  40. ^ マツコ&有吉の怒り新党」(2017年2月16日放送分)での「記憶調査委員会」にて一般視聴者から「クイズタイムショックの最終回で大泉滉さんが全問不正解だったような記憶があるんですがどうなんでしょうか?」と言った旨の疑問が寄せられ、それに答える形で大泉滉が挑戦して椅子が回るまでのこの回の映像が放送された。
  41. ^ 挑戦者の中には、かつて田宮時代にパーフェクトを達成した者がいた。
  42. ^ 例えば、北川宣浩は第2回ウルトラクイズの優勝者であり、道蔦岳史も第5回で上位進出している。また、生島時代に第15回優勝者・能勢一幸とともに出場した彼の一橋大学の後輩も第12回で上位進出した男性で、生島時代には第11、12、13回の上位入賞者が多数出場した(内訳は第11回が決勝に進出した1名、第12回が前述の能勢の後輩も含め4名(最上位は第8回でも上位進出した準決勝進出者。また、このうち女性1名が後にタイムショック21にも出場している)、第13回が準決勝に進出した2名でそのうちの一人は現在実業家である秋利美記雄)。この他、タイムショックには出場していないが近年のタイムショックのクイズ作家長戸勇人は第13回の、田中健一は第16回の優勝者である。
  43. ^ KBCはクイズタイムショックをネットしていた。
  44. ^ a b c d e 1985年9月まで同時ネット。10月以降は5日遅れの火曜19:00からの放送。
  45. ^ 放送開始当初はテレビ岩手ではなく同局で金曜17:30からのVTRネット。途中でテレビ岩手に移行。その後また同局に再移行でVTRネット。1982年9月まで放送
  46. ^ 放送開始当初は同時ネット。
  47. ^ 1970年2-3月のテスト放送時も放送。
  48. ^ 14日遅れの土曜22:00からの放送。
  49. ^ 1973年10月5日、1980年8月29日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  50. ^ 1日遅れの金曜19:00からの放送。
  51. ^ 1980年10月5日、1983年9月25日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  52. ^ 3日遅れの日曜18:00からの放送。
  53. ^ 初期は同時ネット。
  54. ^ ただし、1975年10月の4局化まで、広島ホームテレビの編成の都合により一時的に中国放送に放映権を委譲した場合もあり。
  55. ^ 1975年4月から1984年9月までは同時ネット。
  56. ^ 1975年3月ごろは月曜19:00からの時差ネット。
  57. ^ 2日遅れの土曜12:00からの放送。
  58. ^ 1978年8月31日時点で20局、1984年時点で27局と表示された
  59. ^ 2013年9月3日放送分の超タイムショック(野球中継のため未放送)は9月7日に時差放送
  60. ^ 特別番組に降格して以降山陰放送で放送されたことがある。
  61. ^ 読売新聞・朝刊1969年5月23日付27面「クイズ作り・あの手この手」より







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