クイズタイムショック
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『クイズタイムショック』(QUIZ TIMESHOCK) は、1969年からテレビ朝日(旧:日本教育テレビ=NETテレビ)系列で3シリーズにわたってレギュラー放送されて、以後改編期または不定期に特別番組で放送されているクイズ番組である。通称「タイムショック」。
- ^ ただし生島時代は常に、鹿賀・中山&新山時代以降は『12アンサーズ』など一部の特殊形式の際に不正解のブザーが鳴る。
- ^ 当時の番組ホームページ
- ^ タイムショック21/8月13日の詳細
- ^ a b c 読売新聞・朝刊1969年5月23日付27面「クイズ作り・あの手この手」より
- ^ a b 装飾上のものであるため、特に役割は無く常時発光している。
- ^ 主にペナルティ発動時の解答者の様子を映し出すためのもの。
- ^ 第2回(2017年9月)放送分で判明。
- ^ a b 「テレビ放送50年 テレビアートのすべて」(2002年、KKベストセラーズ刊)より。
- ^ この時用いられた7セグ数字は全て"8"ではなく"1088000"と最低限の金額表示ができるような形となっていた(十万の位が0なのは、賞金に10万円、15万円の"1"か100万円の"0"しかないため)。
- ^ 「6」の表示は小文字の"b"のような表示。
- ^ 山口時代は番組本編の前枠(前口上から最初の解答者紹介前)でも表示されていた。
- ^ ただし、これらのシステムを使用しない回は撤去されている。
- ^ a b 「この10年」(1978年11月発行、北海道テレビ放送刊)より
- ^ a b 「テレビ・メイト」(1975年6月号、NETテレビ広報部発行、20.21ページ)
- ^ 使われている書体はナール
- ^ 山口司会時代後半ではボタンを押す場面が時々放送された
- ^ ボタンの形状は卓上ビデオゲームの操作盤のような形で、残っている問題ボタンが点灯、終了した問題番号は消灯する仕組みであった
- ^ 山口が番号ボタンを押すと文字が消灯、同時にラインが両端から順番に緑から赤に変化し、山口の「タイム・ショック!」コールに合わせ消灯していた文字が再び赤く点灯する
- ^ この回では大島渚が全問正解を成し遂げている。
- ^ 本編ではCGで番号の一覧と問題内容を表示。
- ^ 「チャレンジの軌跡 : new air, on air」(2010年、テレビ朝日社史編纂委員会編)より
- ^ 『アサヒグラフ』(1969年2月28日号)
- ^ 山口時代の『落語家特集』回では、出囃子が演奏された。
- ^ 最終回を除く。また田宮は正解が3問以内の場合に椅子が回ることを伝えた後、解答者に「よろしいですね?」と必ず確認を取っていた(山口も初期の頃に同様の対応を取っていた)。
- ^ 『21』開始当初、この鐘の音は加わっていなかった。追加以後は鐘の音が大きい関係上、聞き取りづらい節がある。
- ^ ただし、回転機構の不具合により従来のような水平方向の回転のみになった事がある。
- ^ 妊娠中の女性など身体に影響がある場合は椅子の回転は行わない。
- ^ フジテレビ『志村けんのだいじょうぶだぁ』の「人間ルーレット」と同形式。
- ^ ただし、該当解答者の敗退を以って全体の優勝者が決定した場合、演出の都合上ペナルティは行わない。
- ^ 山口時代最末期はパーフェクト達成者も対象
- ^ 最初にチャンピオン、その次にチャレンジャーの順に行う
- ^ 両者同じ正解数の場合先週までのチャンピオンが勝利した扱い
- ^ 上述の通り公正取引委員会によりオープン懸賞で獲得できる賞金・賞品の金額総額上限が100万円に定められたことによる。
- ^ 山口時代最末期ではパーフェクト達成者もトップチャレンジャーとなる為、チャンピオン戦ではパーフェクトを目指しチャンピオンのみが挑戦する形となる(ただ仮にチャンピオンが全問正解して防衛扱い、ないしはトップチャレンジャーがチャンピオン勝ち抜き戦においてチャンピオンを全問正解で下して新チャンピオンになったとしても、5週目を待たずしてそこでそのチャンピオンも打ち切りとなる)。
- ^ 当時のNET→テレ朝系の視聴者参加クイズ番組『クイズ・チェック!NOW』『ピラミッドクイズ』でもタイムショックと類似した勝ち抜き戦のシステムがあり、チャンピオンが5人勝ち抜くか、チャンピオン・チャレンジャー(当該週のトップ賞受賞者)を問わず全問正解を達成した場合は同様に賞金100万円を獲得して、そのチャンピオンは打ち切りとなるルールが存在した。
- ^ 800回記念回より
- ^ そのため出場者は風呂敷や大きなバッグを持参するように言われたという
- ^ 芸能人大会では5-8チームによる2ポイント先取の対決
- ^ 第2期初回のみ積立金持ち帰りか『ビジュアルタイムショック』からのやり直しかを選択
- ^ この第3期を最後にビジュアルタイムショックは廃止となるが、問題映像が『クイズ!バーチャQ』に流用された。
- ^ 問題番号は1-6、後に1-10で全てレギュラー問題
- ^ チャンピオンが複数の場合、その分ペーパーテストの通過者が減る仕組み
- ^ チャンピオンが複数の場合は勝ち抜き数の少ない順
- ^ 最終回に限り満たなかった場合即、トルネードスピンとなった
- ^ 全員が全問正解で最高25万円
- ^ トーナメント1回戦では『映像レギュラー問題』『12アンサーズ』が、2回戦では『漢字書き取り』が選ばれた
- ^ 挑戦の都合上6人ずつに分けて行い、編集で同時としている
- ^ 第2回までは各グループトップ3人でさらにレギュラー問題を1セット行い、正解数が最も多い1人が復活
- ^ 第6回のDグループは全員が同点となり、じゃんけんで選択順を決めた
- ^ 第2回のDグループは、5人全員が正解数が5問以下でトルネードスピンになったが、5問正解が2人いた為、プレーオフで決着を付けた
- ^ 同点がいる場合は年齢が高い人から上位に付けられる
- ^ ただし残っているジャンルに関しては適時司会者が説明するほか、司会者席には何番がどのジャンルかを示すモニターが存在した
- ^ 3つのジャンルが全て『12チョイス』(後述)、『3ラインクイズ』(後述)で構成された問題セットが第1回・第2回共に1つずつ含まれてる
- ^ トーナメントSPと絶対クイズ王誕生SPでは、2巡目のみ漢字問題で、1 - 6の問題セットの中から1つ選択する
- ^ 第11回の決勝3巡目(クリアライン10問)で宇治原史規、畠山健、やくみつるの3人が全員9問でトルネードとなり、これがタイムショック史上初の出来事となった
- ^ 出題ジャンルが切り替わる際は制限時間のカウントが一旦ストップし、出題者が次のジャンル名を読み上げた後に問読みとカウントが再開する。
- ^ 一般正解率を基に設定。
- ^ 3問正解で100万円、以後1問ごとに200万→400万→1000万円と続く
- ^ 2006年3月放送「バトルロイヤル10」
- ^ 2006年9月放送「バトルロイヤル11」平成元年問題
- ^ 田宮・山口時代の肩書きは「コンピューター」。
- ^ “『タイムショック』50周年 令和最初の放送にSnow Man阿部ら出演”. ORICON NEWS. 2019年9月25日閲覧。
- ^ 早い段階だと、4人目や5人目が挑戦すら出来ずに打ち切りとなる。
- ^ 解答時の環境が通常と同時タイムショックでは異なるため区別。
- ^ a b 週刊TVガイド 1984年6月22日号 p.28 - 31「設問95000 6000人が挑んだ緊・迫・の・1・分・間 800回を迎える『クイズタイムショック』」
- ^ なおこの回では当時12歳だった津軽三味線奏者・上妻宏光も出場。彼がお客様として出演した「徹子の部屋」(2002年11月13日放送分)にてその回の映像が放送された。
- ^ 「マツコ&有吉の怒り新党」(2017年2月16日放送分)での「記憶調査委員会」にて一般視聴者から「クイズタイムショックの最終回で大泉滉さんが全問不正解だったような記憶があるんですがどうなんでしょうか?」と言った旨の疑問が寄せられ、それに答える形で大泉滉が挑戦して椅子が回るまでのこの回の映像が放送された。
- ^ 挑戦者の中には、かつて田宮時代にパーフェクトを達成した者がいた。
- ^ クイズを趣味として楽しむ競技者の間では「タイムレース」と称される形式である
- ^ 例えば、北川宣浩は第2回ウルトラクイズの優勝者であり、道蔦岳史も第5回で上位進出している。また、生島時代に第15回優勝者・能勢一幸とともに出場した彼の一橋大学の後輩も第12回で上位進出した男性で、生島時代には第11、12、13回の上位入賞者が多数出場した(内訳は第11回が決勝に進出した1名、第12回が前述の能勢の後輩も含め4名(最上位は第8回でも上位進出した準決勝進出者。また、このうち女性1名が後にタイムショック21にも出場している)、第13回が準決勝に進出した2名でそのうちの一人は現在実業家である秋利美記雄)。この他、タイムショックには出場していないが近年のタイムショックのクイズ作家長戸勇人は第13回の、田中健一は第16回の優勝者である。
- ^ KBCはクイズタイムショックをネットしていた。
- ^ a b c d e 1985年9月まで同時ネット。10月以降は火曜19:00からの放送。
- ^ 放送開始当初はテレビ岩手ではなく同局で金曜17:30からのVTRネット。途中でテレビ岩手に移行。その後ANN系列脱退によりまた同局に再移行でVTRネット。1982年9月まで放送
- ^ 放送開始当初は火曜19:00からの時差ネット
- ^ 放送開始当初は同時ネット。
- ^ 1970年2-3月のテスト放送時も放送。
- ^ 土曜22:00からの放送。
- ^ 1973年10月5日、1980年8月29日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ^ 金曜19:00からの放送。
- ^ 1980年10月5日、1983年9月25日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ^ 日曜18:00からの放送。
- ^ 北國新聞 1974年6月6日付、1985年9月19日 - 1985年10月8日付、1986年3月25日付各朝刊テレビ欄より
- ^ 北國新聞 1973年11月4日付、1984年10月5日付各朝刊テレビ欄より。
- ^ 北國新聞 1985年9月26日 - 1985年10月8日付各朝刊テレビ欄より
- ^ 初期は同時ネット。
- ^ ネットスポンサーではなく、地元スポンサーに差し替えての放送。その為、1976年3月までは同時刻でのVTRネット、1976年4月以降はNET→テレ朝からのマイクロネット。愛媛放送編成局編成部編「放送番組表にみるテレビ愛媛30年のあゆみ」(2000年3月1日発行)
- ^ 『愛媛新聞』1979年4月8日付 テレビ欄参照
- ^ 1975年4月から1984年9月までは同時ネット。
- ^ 1975年3月ごろは月曜19:00からの時差ネット。
- ^ 土曜12:00からの放送。
- ^ 1978年8月31日時点で20局、1984年時点で27局、最終回時点で27局(この時点でテロップに表示されるネット局が存在しなかったエリアは岩手・長野・佐賀・熊本・沖縄の5エリア)と表示された
- ^ 1989年11月~1990年2月、土曜10:00~10:30、1990年3月のみ土曜16:00~16:30に放送。北國新聞参照。
- ^ 2003年4月より「メ〜テレ」の愛称を使用
- ^ 超タイムショックは山陰放送で放送されたことがある。
- ^ 「週刊平凡」1969年32号、46ページ「なぜ、タレントはクイズ番組に強いのか?」参照。
クイズタイムショック(1969年1月 - 1986年3月)
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「クイズタイムショック」の記事における「クイズタイムショック(1969年1月 - 1986年3月)」の解説
司会 初代:田宮二郎(1969年1月9日 - 1978年9月28日) 2代目:山口崇(1978年10月5日 - 1986年3月27日) 放送時間 毎週木曜 19:00 - 19:30 平均視聴率14%、最高視聴率は1969年8月28日放送の29%(ビデオリサーチ調べ、関東地区。「テレビ朝日開局60周年記念 年代別にすべて発表!! 番組視聴率ランキング」の1960年代視聴率ランキング 10位) レギュラーシリーズ第1弾、全888回。 田宮司会の時期の映像は、当時のVTRの規格が2インチで機器・テープ共に高価だった上に、当時は著作権法などの絡みで番組の資料保存が制約されていた事情もあり、テレビ朝日の映像アーカイブス倉庫に現存する数は少なく、神奈川県横浜市にある放送ライブラリーに保存されている映像は1本も無い。初回の放送は「ゲスト大会」で立川談志、奈美悦子、世志凡太らが挑戦した。番組開始時からカラー放送にて放送されていた。 登場開始時期が不明だが、山口司会時代に、テレビ朝日の廣瀬雅子アナウンサー(当時)もサブ司会として最終回まで出演した。最終回では、エピソードを振り返る企画でクイズ回答者としても出演した。 『超タイムショック』第5回(2009年3月放送分)では、ピーターが出演した山口の初日である第505回(1978年10月5日放送分)および山口最終日である第888回(1986年3月27日放送分)でタイムガールズが3問以下で回転降下する映像が流れた。また、『超タイムショック』第9回(2010年9月24日放送分)でもピーターが出演したため、その際に再びその映像が流された。 『ザ・タイムショック』50周年記念大会(2019年9月25日放送分)では、視聴者から初期の番組VTRを募集する企画を行った。初回のVTRは発見されなかったが、テレビ朝日に現存する最古の映像(一番古いのでは1978年8月31日放送分『500回記念特集・78年度日本一王座決定戦!!』)よりも古いVTRが6本提供され、中でも1977年9月29日放送の北川宣浩が新チャンピオンになった回などを放送した。
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クイズタイムショック(1989年10月 - 1990年3月)
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「クイズタイムショック」の記事における「クイズタイムショック(1989年10月 - 1990年3月)」の解説
司会 生島ヒロシ 放送時間 毎週水曜 19:00 - 19:30。当時のこの枠はゴールデンローカルセールス枠だった。 レギュラーシリーズ第2弾。 3年半ぶりの放送再開。企画段階ではタイトルが『クイズタイムショック2』となっていたが、実際は旧版と同様の番組名となった。 オープニングキャッチフレーズは「時間と戦い、時代を知る。24時間戦っているあなたにクイズタイムショック!1分間で100万円のチャンスです」だった。 司会の生島は、自身がフリーアナウンサーになって初めてゴールデン枠で担当した番組となった。 出場者紹介ナレーションや、CM入りアイキャッチャーなどを、ラジオDJのキャロル久末が担当していた。 毎回「○○大会」と称して特定の条件に沿った一般出場者と芸能人が混合で参加していた。1回目は当時のテレビ朝日の番組からの代表者による対抗戦だった。 瀬戸内海放送ではエンディングのスタッフロールが終わった後(提供クレジット - 「SEE YOU NEXT TIME」のテロップ)がカットされ、ブルーバックのエンドカードに差し替えられた。
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クイズタイムショック(田宮・山口時代 1969年1月 - 1986年3月)
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「クイズタイムショック」の記事における「クイズタイムショック(田宮・山口時代 1969年1月 - 1986年3月)」の解説
放送開始当初は日本の民放にはまだオープンネット局状態が色濃く残っており、テレビ朝日系列局が少なかったこともあって系列を超えて、また当時は1・2局しかない地域でも、同時ネットされることが多かった。中には、時折所属系列の19時台後半の番組が19時から拡大して放送されたときでも、通常通り本番組をネットして19時半から飛び乗る現象もみられた。TBS系の場合、1975年4月から1984年9月まで木曜19時台がローカル枠であったことも大きかった。 系列は放送終了当時(打ち切り時はネット打ち切り時)のもの。 放送対象地域放送局系列ネット形態備考関東広域圏 テレビ朝日 テレビ朝日系列 制作局 1977年3月までNETテレビ 北海道 北海道テレビ 同時ネット 青森県 青森テレビ NETテレビ系列TBS系列 1975年3月まで 青森放送 日本テレビ系列テレビ朝日系列 遅れネット 1975年4月から 岩手県 テレビ岩手 同時ネット 岩手放送 TBS系列 遅れネット 現:IBC岩手放送 宮城県 仙台放送 フジテレビ系列日本テレビ系列 同時ネット 1969年3月まで 東北放送 TBS系列 1969年4月から1970年9月まで ミヤギテレビ 日本テレビ系列NETテレビ系列 1970年10月開局から1975年9月まで 東日本放送 テレビ朝日系列 1975年10月開局から 秋田県 秋田放送 日本テレビ系列 遅れネット 1975年4月から1984年3月まで 秋田テレビ フジテレビ系列テレビ朝日系列 同時ネット 1984年4月から 山形県 山形テレビ 1980年3月まで 山形放送 日本テレビ系列テレビ朝日系列 遅れネット 1980年4月から 福島県 福島中央テレビ 同時ネット 1970年4月開局 から1981年9月まで 福島放送 テレビ朝日系列 1981年10月開局から 山梨県 山梨放送 日本テレビ系列 遅れネット 1974年3月30日から1986年4月12日まで 新潟県 新潟総合テレビ フジテレビ系列テレビ朝日系列 同時ネット 現:NST新潟総合テレビ1969年4月から1983年9月まで 新潟テレビ21 テレビ朝日系列 1983年10月開局から 長野県 長野放送 フジテレビ系列 遅れネット 1973年10月5日から1980年8月29日まで テレビ信州 日本テレビ系列テレビ朝日系列 1980年10月5日から、1983年9月25日打ち切り 静岡県 静岡けんみんテレビ テレビ朝日系列 同時ネット 現:静岡朝日テレビ、1978年7月から 富山県 北日本放送 日本テレビ系列 遅れネット 1974年6月6日ネット開始。1985年9月19日までは木曜 19:00 - 19:30であったが、1985年10月8日から1986年3月25日の最終回前回までは火曜 19:00 - 19:30に変更。 石川県 北陸放送 TBS系列 1973年11月4日ネット開始。開始当初は日曜 17:13 - 17:43の放送であった。1984年10月時点では金曜 11:00 - 11:30にて放送。 福井県 福井放送 日本テレビ系列 1985年9月26日までは木曜 19:00 - 19:30であったが、1985年10月8日以降は火曜 19:00 - 19:30に変更。 中京広域圏 名古屋テレビ テレビ朝日系列 同時ネット 近畿広域圏 毎日放送 NETテレビ系列 1975年3月まで 朝日放送 テレビ朝日系列 現:朝日放送テレビ1975年4月から、腸捻転解消に伴う移行 鳥取県・島根県 日本海テレビ 日本テレビ系列 遅れネット 岡山県 岡山放送 フジテレビ系列NETテレビ系列 1969年4月開局から、1974年ごろ打ち切り られるも再開し1978年9月時点では日曜10:30-11:00に放送放送当時の愛称:テレビ岡山、当時の放送エリアは岡山県のみ 広島県 広島ホームテレビ テレビ朝日系列 同時ネット 1970年10月1日(サービス放送開始初日)からそれ以前の中国放送(TBS系列)・広島テレビ放送(放送当時フジテレビ系列・日本テレビ系列)での放送歴なし 山口県 テレビ山口 TBS系列フジテレビ系列テレビ朝日系列 1978年9月まで 山口放送 日本テレビ系列テレビ朝日系列 遅れネット 1978年10月から 徳島県 四国放送 日本テレビ系列 1984年4月から 香川県・岡山県 瀬戸内海放送 テレビ朝日系列 同時ネット 1979年3月までの放送エリアは香川県のみ1979年4月の電波相互乗り入れに伴い岡山県にもエリア拡大 愛媛県 テレビ愛媛 フジテレビ系列 1973年10月から最終回まで 高知県 高知放送 日本テレビ系列 遅れネット 1979年4月時点で日曜16:40-17:10、1985年10月時点で水曜11:00-11:30に放送。 福岡県 九州朝日放送 テレビ朝日系列 同時ネット 長崎県 長崎放送 TBS系列 遅れネット 熊本県 テレビ熊本 フジテレビ系列テレビ朝日系列 月曜18:00-18:30(1974年4月時点)→木曜19:00-19:30(1982年3月時点)→月曜19:00-19:30(1982年9月時点)に放送 大分県 テレビ大分 フジテレビ系列日本テレビ系列テレビ朝日系列 同時ネット 宮崎県 テレビ宮崎 鹿児島県 鹿児島テレビ 1982年9月まで 鹿児島放送 テレビ朝日系列 1982年10月開局から 沖縄県 沖縄テレビ フジテレビ系列 遅れネット 1974年4月から9月まで なお、この元祖のみオープニングではネット局の紹介テロップが流されていた(田宮時代初期 - 山口時代末期まで、番販ネット局を除く、同時ネット局のみ表示された)。また、静岡けんみんテレビ(現:静岡朝日テレビ)は1978年7月1日の開局以降、同時ネットであったにもかかわらず、マイナーチェンジした同年10月5日放送分までネット局の紹介テロップにて表記されなかった。
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クイズタイムショック(生島時代 1989年10月 - 1990年3月)
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「クイズタイムショック」の記事における「クイズタイムショック(生島時代 1989年10月 - 1990年3月)」の解説
系列は放送当時のもの。 放送対象地域放送局系列ネット形態備考関東広域圏 テレビ朝日 テレビ朝日系列 制作局 北海道 北海道テレビ 同時ネット 宮城県 東日本放送 福島県 福島放送 新潟県 新潟テレビ21 長野県 テレビ信州 日本テレビ系列テレビ朝日系列 静岡県 静岡けんみんテレビ テレビ朝日系列 現:静岡朝日テレビ 石川県 石川テレビ フジテレビ系列 遅れネット 中京広域圏 名古屋テレビ テレビ朝日系列 同時ネット 近畿広域圏 朝日放送 現:朝日放送テレビ 広島県 広島ホームテレビ 香川県・岡山県 瀬戸内海放送 福岡県 九州朝日放送 熊本県 熊本朝日放送 宮崎県 テレビ宮崎 フジテレビ系列日本テレビ系列テレビ朝日系列 遅れネット 鹿児島県 鹿児島放送 テレビ朝日系列 同時ネット
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クイズタイムショック(1969年1月 - 1986年3月)
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「クイズタイムショック」の記事における「クイズタイムショック(1969年1月 - 1986年3月)」の解説
構成:多村映美(一時期「田村映美」と表記されることもあった) 問題作成:企画集団Q、高橋昌道、菊池一隆彌(構成担当の多村映美が主宰で『クイズ・チャンス・チャンス』や『象印クイズ ヒントでピント』などの同局におけるクイズ番組の問題作成も担当) プロデューサー:杉崎充男、森尚武(企画兼プロデューサー、第1回〜不明)、後藤武彦、小松伸二、松村春彦、中島睦夫、下川靖夫、大村正二、北村英一、浅見文吉(末期)、三倉文宏(最末期(末期にはディレクターを担当))ほか ディレクター:阿部幸雄、神田光之、武田伸彦ほか田宮時代-山口時代(初期)にはエンディングテロップにおいて、ディレクター・プロデューサーともに「担当」と表記されていた。
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クイズタイムショック
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「百獣戦隊ガオレンジャー」の記事における「クイズタイムショック」の解説
2001年秋の期首特番として放送された『タイムショック21スペシャル』(10月8日放送分)内の「出張タイムショック」に、ガオレンジャーとツエツエが出演。
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クイズ タイムショック(田宮・山口時代)
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「クイズタイムショック」の記事における「クイズ タイムショック(田宮・山口時代)」の解説
解答席は時計台の前方に設置。背後のリフトによって椅子が上昇する。田宮・山口時代とも一貫して、椅子は時計台の正時の位置まで上昇していたため、クイズの最中はその周辺(57秒~03秒)が椅子に隠れて見えないのが常だった。番組初期の椅子は、マイクと2点式シートベルトを備えたのみの小柄で簡素なものだったが、田宮時代中期になると外周に電飾を備えた肉厚の椅子に変更された。山口への司会交代後は、先代の装備を踏襲しつつも軽量化された、ゆりかごに似た形の椅子に変更され、フォルムもそれまでの角形から円形となった。また、この代より背後に出題用のスピーカーが追加装備されている。
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クイズ タイムショック(生島時代)
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「クイズタイムショック」の記事における「クイズ タイムショック(生島時代)」の解説
解答席は時計台の内部に設置。解答者はキャスター式の椅子に乗って左右後部から登場。歴代の解答者席で上昇およびペナルティの回転機構がなかったのはこの代のみである。また先代と異なりシートベルトや電飾などの装備が一切ないため、この代の椅子は歴代で最も簡素であった。なお、解答者用のマイクは椅子ではなく時計台の内部に常設されていた。
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クイズ タイムショック(田宮・山口時代)
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「クイズタイムショック」の記事における「クイズ タイムショック(田宮・山口時代)」の解説
時計台は解答席の背後に設置。時計台の外周に1 - 12の数字が記されたランプが配置され、該当する問題に正解すると正解ランプと共に赤く点灯する。
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クイズ タイムショック(初代)
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「クイズタイムショック」の記事における「クイズ タイムショック(初代)」の解説
放送開始当初は自動的に出題される方式で、当時は問題を番号で選ぶシステムではなかったため、司会者席は質素な箱型だった。
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クイズ タイムショック(生島時代)
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「クイズタイムショック」の記事における「クイズ タイムショック(生島時代)」の解説
問題番号を表示するネオン表示板はテーブルの前面に1段設置。残っている問題番号が点灯しており、司会者の操作で指定された問題番号が効果音と共に消灯するが、この時同時にショックポイントの抽選がスタートする(後述)。席後方の背景は前期の番組のタイトルロゴが映し出されたのに対して、後期は「QUIZ TIME SHOCK」と書かれた看板に変更された。
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