クィントゥス・ファビウス・マクシムスとは? わかりやすく解説

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クィントゥス・ファビウス・マクシムス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 23:09 UTC 版)

クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェッルコスス・クンクタートル (ラテン語: Quintus Fabius Maximus Verrucosus Cunctator, 紀元前275年 - 紀元前203年) は、共和政ローマの政治家、将軍。主要政務官を歴任し、第二次ポエニ戦争で活躍、持久戦略でハンニバルを苦しめ、「ローマの盾」と称された。なお、持久戦略をファビアン戦略(フェビアン戦略)、特に暴力革命プロレタリア独裁などに頼らない社会改良主義を志向した運動をフェビアニズムと呼ぶのはその名に由来する。




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クィントゥス・ファビウス・マクシムス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 13:52 UTC 版)

アゲル・ファレルヌスの戦い」の記事における「クィントゥス・ファビウス・マクシムス」の解説

クィントゥス・ファビウス・マクシムスはローマ貴族パトリキ)であるファビウス氏の一員で、独裁官選出必要性訴えていたが、ケントゥリア民会支持得て独裁官選出された。独裁官任期は6ヶ月であったファビウスは既に58歳であり、ハンニバル比較する30歳年長であったが、顔にいぼがあったため、「あばた顔(ウェッルコスス)」というあだ名付けられていた。ファビウス第一次ポエニ戦争従軍、また紀元前233年紀元前228年執政官に選出され、紀元前230年には監察官ケンソル)、またリグリア人対す勝利にも貢献した見られていた。通常独裁官自身副官を選ぶが、彼の政敵であったマルクス・ミヌキウス・ルフスen平民出身紀元前221年執政官)が副官としてつけられた。したがってファビウス実際地位独裁官代理のようなものであったが、任期中ファビウス独裁官として権力十分に活用した独裁官選出された後、ファビウスローマ市民士気回復し、さらにローマ防衛準備腐心した。まずは国政関連する宗教的行事と、民事手続きの遵守細心の注意払い市民士気上のために、トラシメヌス湖畔での敗戦戦死した執政官フラミニウス宗教的行事無視したことが原因であると非難した元老院ファビウス示唆によりシビュラの書元老院管理していた神託書)を参照し法務官プラエトル)の一人生贄捧げてローマ神々なだめる役が割り当てられた。ハンニバル実際位置や(ローマ直接攻撃はしないという)意図知らなかったため、ファビウス神事行った後に、ハンニバルラティウムローマを含むイタリア中央西地方侵攻対す準備開始した。 市の城壁修復され、ミヌキウスが「迎撃委員会」の準備命じられ、2個ローマ軍団と2個同盟国軍団および随伴騎兵部隊近隣のティブル(現在のティヴォリ防衛のために編制された。ラティウム地域城壁持たない都市放棄され住民城郭都市移住するように命令された。カルタゴ軍進軍困難にするため、主な橋破壊された。ハンニバルローマ攻撃意図が無いことが分かると、北方派遣されていた執政官セルウィリウスの軍団ラティウムに戻るよう命令したファビウス自身ローマ離れナルニア現在のナルニ)の近くあるいはオクリクラム(現在のオトリーコリ南方でセルウィリウスから軍の指揮引き継ぎ、さらにティブルでミヌキウスの軍団合わせてアッピア街道沿いにアプリア現在のプッリャ)に進んだ。セルウィリウスはオスティアで副執政官として海軍指揮執ることとなったローマ陸軍集中完了したため、ファビウス計画次の段階、すなわちカルタゴ陸軍勝利すること、を実行する必要があった。ファビウス子供時代大人しく人の言うことに従ったため、「子羊」とあだ名されていたが、次の数ヶ月彼の活動は、彼がそのあだ名のように最大限やってのけたとの印象周囲与えた

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クィントゥス・ファビウス・マクシムス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 08:11 UTC 版)

アド・アストラ -スキピオとハンニバル-」の記事における「クィントゥス・ファビウス・マクシムス」の解説

筆頭元老院議員鼻の脇に大きなイボを持つことから「ウェルコスス」(イボ)と仇名されるローマ政界の重鎮トラシメヌス湖畔の戦いの後に元老院によって独裁官指名され全権掌握する老熟し政略眼を備えると同時に果断な決断力持ち戦略必要とあらば友軍同盟都市切り捨てることも厭わない

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