クィントゥス・ファビウス・マクシムス
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クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェッルコスス・クンクタートル (ラテン語: Quintus Fabius Maximus Verrucosus Cunctator, 紀元前275年 - 紀元前203年) は、共和政ローマの政治家、将軍。主要政務官を歴任し、第二次ポエニ戦争で活躍、持久戦略でハンニバルを苦しめ、「ローマの盾」と称された。なお、持久戦略をファビアン戦略(フェビアン戦略)、特に暴力革命やプロレタリア独裁などに頼らない社会改良主義を志向した運動をフェビアニズムと呼ぶのはその名に由来する。
- 1 クィントゥス・ファビウス・マクシムスとは
- 2 クィントゥス・ファビウス・マクシムスの概要
- 3 参考文献
クィントゥス・ファビウス・マクシムス
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「アゲル・ファレルヌスの戦い」の記事における「クィントゥス・ファビウス・マクシムス」の解説
クィントゥス・ファビウス・マクシムスはローマ貴族(パトリキ)であるファビウス氏の一員で、独裁官選出の必要性を訴えていたが、ケントゥリア民会の支持も得て独裁官に選出された。独裁官の任期は6ヶ月であった。ファビウスは既に58歳であり、ハンニバルと比較すると30歳も年長であったが、顔にいぼがあったため、「あばた顔(ウェッルコスス)」というあだ名が付けられていた。ファビウスは第一次ポエニ戦争に従軍、また紀元前233年と紀元前228年に執政官に選出され、紀元前230年には監察官(ケンソル)、またリグリア人に対する勝利にも貢献したと見られていた。通常独裁官は自身で副官を選ぶが、彼の政敵であったマルクス・ミヌキウス・ルフス(en、平民出身で紀元前221年の執政官)が副官としてつけられた。したがって、ファビウスの実際の地位は独裁官代理のようなものであったが、任期中ファビウスは独裁官としての権力を十分に活用した。 独裁官に選出された後、ファビウスはローマ市民の士気を回復し、さらにローマ防衛の準備に腐心した。まずは国政に関連する宗教的行事と、民事手続きの遵守に細心の注意を払い、市民の士気向上のために、トラシメヌス湖畔での敗戦は戦死した執政官のフラミニウスが宗教的行事を無視したことが原因であると非難した。元老院はファビウスの示唆によりシビュラの書(元老院が管理していた神託書)を参照し、法務官(プラエトル)の一人に生贄を捧げてローマの神々をなだめる役が割り当てられた。ハンニバルの実際の位置や(ローマ直接攻撃はしないという)意図を知らなかったため、ファビウスは神事を行った後に、ハンニバルのラティウム(ローマを含むイタリア中央西部地方)侵攻に対する準備を開始した。 市の城壁は修復され、ミヌキウスが「迎撃委員会」の準備を命じられ、2個ローマ軍団と2個同盟国軍団および随伴騎兵部隊が近隣のティブル(現在のティヴォリ)防衛のために編制された。ラティウム地域の城壁を持たない都市は放棄され、住民は城郭都市に移住するように命令された。カルタゴ軍の進軍を困難にするため、主な橋は破壊された。ハンニバルにローマ攻撃の意図が無いことが分かると、北方に派遣されていた執政官セルウィリウスの軍団にラティウムに戻るよう命令した。ファビウス自身はローマを離れ、ナルニア(現在のナルニ)の近くあるいはオクリクラム(現在のオトリーコリ)南方でセルウィリウスから軍の指揮を引き継ぎ、さらにティブルでミヌキウスの軍団を合わせて、アッピア街道沿いにアプリア(現在のプッリャ)に進んだ。セルウィリウスはオスティアで副執政官として海軍の指揮を執ることとなった。ローマ陸軍の集中が完了したため、ファビウスは計画の次の段階、すなわちカルタゴ陸軍に勝利すること、を実行する必要があった。ファビウスは子供時代に大人しく人の言うことに従ったため、「子羊」とあだ名されていたが、次の数ヶ月の彼の活動は、彼がそのあだ名のように最大限をやってのけたとの印象を周囲に与えた。
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クィントゥス・ファビウス・マクシムス
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「アド・アストラ -スキピオとハンニバル-」の記事における「クィントゥス・ファビウス・マクシムス」の解説
筆頭元老院議員。鼻の脇に大きなイボを持つことから「ウェルコスス」(イボ)と仇名されるローマ政界の重鎮。トラシメヌス湖畔の戦いの後に元老院によって独裁官に指名され、全権を掌握する。老熟した政略眼を備えると同時に果断な決断力も持ち、戦略上必要とあらば友軍や同盟都市を切り捨てることも厭わない。
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