キャッチ・ミー・フー・キャン
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キャッチ・ミー・フー・キャン(英語:Catch Me Who Can)はリチャード・トレビシックによって製造された4台目にして最後の蒸気機関車である。1808年にイングランドのブリッドノースの工場でジョン・アーペス・ラストリックとHazledineによって製造された。トレビシックによって現在のロンドンのユーストン・スクエア駅の南に位置するブルームスベリーで"蒸気サーカス"として円形の軌道上の走行が公開実演された。
- ^ “Catch Me Who Can”. 2018年3月31日閲覧。
- 1 キャッチ・ミー・フー・キャンとは
- 2 キャッチ・ミー・フー・キャンの概要
キャッチ・ミー・フー・キャン
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「リチャード・トレビシック」の記事における「キャッチ・ミー・フー・キャン」の解説
1808年、トレビシックは新たな蒸気機関車を製作し、キャッチ・ミー・フー・キャン(Catch Me Who Can) 号と名付けた。実際の組み立てはシュロップシャーのブリッジノースで、ジョン・ヘーズルダインとジョン・アーペス・ラストリック(英語版)が行い、デービス・ギディの娘が名付け親となった。この機関車は、ペナダレンで走ったそれとは異なり、シリンダーを縦に積み、動力伝達は歯車ではなくロッドであった。この機関車をロンドン(現在のユーストン・スクエア駅の南)で円形に敷いたレールの上を走らせた。考古学的調査により、現在のユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの中心的建物である Chadwick Building の建っている場所にレールがあったことが明らかとなった。 乗車料も含め入場料1シリングを徴収しつつ、蒸気機関車が馬よりも高速であることを広く知らしめようとした。名前(翻訳すると「捕まえてごらん」となる)に反して速度は時速8キロほどで、走れば楽に追いつけるほどであったという。やはり線路の強度不足が問題となり、あまり評判にもならなかった。 その結果に落胆し、トレビシックは蒸気機関車開発から身を引く。
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