キプロス問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 01:05 UTC 版)
「ニコス・アナスタシアディス」の記事における「キプロス問題」の解説
アナスタシアディスは、キプロス問題に関する包括的合意案、いわゆるアナン案(英語版)を支持していたが、所属する民主運動党はこの案に対し過半数の61%が反対して否決した。また否決に際して、党内からもアナスタシアディスに党首辞任を求める声が上がった。さらに、アナスタシアディスが欧州議会に対しキプロス政府は言論の自由や人権を蹂躙していると主張する文書を送りつけ、党幹部の多くがこれに激怒したこともある。
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キプロス問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/14 04:44 UTC 版)
「日本とキプロス共和国の関係」の記事における「キプロス問題」の解説
キプロスは1960年に英国よりキプロス共和国として独立。しかし、ギリシャ系住民とトルコ系住民との間で対立が激化、国連安保理は国連キプロス平和維持隊(UNFICYP)を派遣。1974年にギリシャ系住民がクーデターを企図したのを機にトルコ軍がトルコ系住民の保護を名目に軍事侵攻を開始、キプロス北部やく37%を占領。それ以降、キプロスは北部のトルコ軍支配地域(トルコ系)と南部のキプロス共和国政府支配地域(ギリシャ系)とに分断されている。北部の北キプロス・トルコ共和国は独立を宣言。トルコのみが国家承認をしている。 日本は「北キプロス・トルコ共和国」不承認の立場をとっている。
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