キァンとは? わかりやすく解説

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キアン

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 14:29 UTC 版)

キアン[3] またはキァン[4]キャン[5]アイルランド語: Cian mac Dían Cecht[6] IPA 発音: /kʲiːən/ 。英:Cian)は、アイルランド神話神話サイクル)に登場する神。トゥアハ・デ・ダナーン神族(ダーナ神族)で、ルーの父親。


注釈

  1. ^ 古典『アイルランド来寇の書』および近世の説話『トゥレンの子らの最期』)
  2. ^ Macalister は訳名を使わないが、p. 101で綽名について触れており、scál を"亡霊 (apparition)"の意とみている。"唖者の英雄 (dumb champion)"の意は、ボーラス(W.C. Borlase)による。ボーラスの説明によれば、意味が通じない多国語をしゃべる者を"唖者"と形容したのであり、"Scal Balb"の名はフォウォレ族の王についている。
  3. ^ 厳密にはルーが自分を "Lug mac Ethlend maic Tigernmais (ティゲルンワスの息子エスリウの息子ルー)と父称形で名乗る。しかしこれはルー神の祖父をアイルランド上王ティゲルンワス英語版としており、伝説群の混合がはなはだしい作品だとマカリスターが罵倒している[14]
  4. ^ オカリーに拠れば、このカンチャの正体は不明。
  5. ^ この段落¶319は R1 の亜本である Miniuguid 稿本のみに所収される[27]
  6. ^ Cian mac Cáinteと題するアイルランド語の文学作品はかつて存在しており、キアンによるグラス・ガヴレンの牛引きの話だった可能性もあるとアラン・ビュフォードが憶測している(Bruford 1966, p. 162)。
  7. ^ アイルランド語: Mac Cinnfhaelaidh; アイルランド英語:Mac Kineely, MacKineely,[36] MacKenealy[37]
  8. ^ トーリー島英語版在住の Shane O'Dugan より1835年採集。
  9. ^ Fin MacKinealy; アイルランド語: Fionn mac Cionnfhaolaidh
  10. ^ Gial Duv; アイルランド語: Giolla Dubh。Donn。
  11. ^ アーサー・C・L・ブラウンが、カーティンの一冊の話集に、類話が三篇あると指摘しており、ロイド Laoide 編のアイルランド語版の情報を得たとしている[42]
  12. ^ 原典では Druim na Teine ドゥリム・ナ・テーネで、館野 2011年訳は"火の尾根"。
  13. ^ 話では明言されないがバロールは、フォウォレ族の将軍で、ダーナ神族と戦ったことは、当時のアイルランドで広く記憶されていたとオドノヴァンは解説している。また、語り手によるバロールの描写はかなり潤色に富んでいて、片目が額の真ん中に、邪眼が後頭部にあり、そこからバシリスクのごとく「光線(ビーム)や有毒の色素」が発せられ、相手を石化してしまう、等とある。そうした部分はグレゴリー夫人は割愛している。
  14. ^ また、兄弟の名も「サヴィン」等と端折るなど、グレゴリー夫人は他にも名を変えている。
  15. ^ Ethnea 現代発音は「エフニャ」あたり(?)。
  16. ^ グレゴリー夫人は、これを「ガラスの塔」に置き換えている[44]。トーリー島には、フォウレ族のコナン英語版の塔があり、ネンニウスは、その塔の記述と思われる箇所で、それをガラスの塔と呼んでいる[45]
  17. ^ 例えばラーミニーの採集話では、牛の持ち主は鍛冶師である。しかしそこでは兄弟ではないので、牛を逃がしてしまうキアンに対して、死で持って償う罰は、三日間猶予はされるが、免除はされない[35]
  18. ^ 原話では"Glas Gavlen"だが、このグラス・ガヴレンの正しい表記がグラス・ガヴナンであるとオドノヴァンが注釈している。
  19. ^ 原話では Biroge、ロールストンはBirógとつくる[36]
  20. ^ この作品では無名だが、ラーミニーの話例ではドルダナ Dul Dauna と呼ばれており、そのままだと「盲目で依怙地な奴」 (dall)や「暗くて横柄な者」(<doilbh?)ととれるが、じつはルーの綽名「イルダナハ Ildanach」‘諸芸の達人’の転訛であると指摘される[46][47][48]。 また、赤子がルイ・ラヴァーダ Lui Lavada のように長腕のルーに近い名で呼ばれる類話もある[40][49]
  21. ^ ウィリアム・ジョン・グリフィズ英語版の仮設によれば、赤子に名は与えられていなかった。なぜなら、本来の説話はウェールズの説話『マソヌウイの息子マース英語版』と同源であり、アリアンロッドが三つの禁忌を与えて名付もしなかったように、おそらくバロールも孫にゲッシュを与えて名をつけさせなかった展開があったのだとする(Gruffydd (1928), pp. 102–106[50])。

出典

  1. ^ ミアハがディアン・ケヒトの息子であることは『来寇の書』の校訂本によっては否定的に扱われている。
  2. ^ 『来寇の書』の段落¶319によれば、『キアンはトゥリル・ビクレオの母方の伯父(叔父)にあたるわけだが、他の段落の記述とへだたりがあり、続柄は必ずしも整然としていない。しかし親戚であることは確かである。トゥリルの父親はオグマとされ、これはディアン・ケヒトの再従兄弟(はとこ)にあたる。
  3. ^ a b ブレキリアン 2011年、50頁のカナ表記
  4. ^ 井村 1983年『ケルトの神話』の表記
  5. ^ a b c 以下のアイルランド語歌の題名の邦訳のカナ表記:イーファ・ニ・アーリ (歌手) (1997年). Úrchnoc Chéin Mhic Cáinte [キャン・マック・カンチャの丘] (CD). イーファ (アイルランド語). ビクターエンタテインメント. {{cite AV media}}: 不明な引数|label=が空白で指定されています。 (説明)
  6. ^ アイルランド来寇の書』、Macalister 1941, R2 (第2稿本)¶330
  7. ^ Ellis, Peter Beresford (2011). “2 The Sons of Tuirenn”. The Mammoth Book of Celtic Myths and Legends. Little, Brown Book Group. pp.  . ISBN 9781780333632. https://books.google.com/books?id=YcrABAAAQBAJ&pg=PT39 
  8. ^ eDIL s.v. "cían": "long, enduring, far, distant" "long, enduring, far, distant".
  9. ^ a b 『来寇の書』、Macalister 1941, p. 101, ¶311 p. 116–, ¶330 p. 148–, ¶368 p.186–
  10. ^ Borlase 1897, pp. 1077–1078.
  11. ^ eDIL s.v. "scál (1)": "supernatural or superhuman being, phantom, giant, hero. Later also man, human being ".
  12. ^ 『来寇の書』、Macalister 1941 p. 101; ¶319 pp. 135–137; ¶368 pp. 186–187
  13. ^ 『来寇の書』、Macalister 1941, p. 101; ¶319 pp. 135–137; ¶368 pp. 186–187。後世の挿入文英語版(序、p. 101 "interpolation")。
  14. ^ a b Macalister 1941, p. 101.
  15. ^ Meyer, Kuno (1901) Baile in Scáil @ CELT corpus
  16. ^ マグ・トレッドの戦い』。Stokes 1891, p. 59; Gray 1982 §8 p. 25.
  17. ^ 『来寇の書、Macalister 1941, 第1稿本( R1) ¶314, R2 ¶314, R3 ¶368。まず三人の息子がいる、と記述しておきながら、次いで四人目の息子についても記述するので、加筆の形跡がある。
  18. ^ a b O'Curry 1863, pp. 168–171, notes 161, 162, 165.
  19. ^ 例)王立アイルランドアカデミー RIA 23 M 25 (1684年)。Bruford (1966), p. 264
  20. ^ 『トゥレンの子らの最期』, O'Curry 1863
  21. ^ 井村 1983年『ケルトの神話』
  22. ^ ブレキリアン 2011年、35–52頁
  23. ^ 『トゥレンの子らの最期』, O'Curry 1863 pp. 190–191。
  24. ^ ブレキリアン 2011年、40–41頁
  25. ^ 『トゥレンの子らの最期』, O'Curry 1863 pp. 158–161, 222–223(詩中)。
  26. ^ 『来寇の書』、Macalister 1941¶319 pp. 134–135: "The adventures of Tuirill Biccreo and of his sons, Brian, Iuchar, and Iucharba.. Delbaeth s. Ogma had the name of Tuirill Piccreo, and it is his sons who slew Ehtlend father of Lug, whose name was Cian, when he went in the form of a lapdog to the Brug."
  27. ^ Macalister 1941 p. 135. 脚注 (c)
  28. ^ LGE, Macalister 1941, p.135(e) "Oirc, not (here at least) 'a pig' (orc.)"
  29. ^ Thurneysen 1896, p. 243: ""Er hat orce “Schosshund” als orc missverstanden".
  30. ^ eDIL s.v. "oirce": "A pet dog, a lap-dog"
  31. ^ 『来寇の書』、Macalister 1941¶319
  32. ^ a b Bruford 1966, p. 162.
  33. ^ Brown, Arthur C. L. (August 1924), “The Grail and the English Sir Perceval. V”, Modern Philology 22 (1): 87–88, JSTOR 433319 
  34. ^ アーサー・C・L・ブラウンも、この牛物語の"近年になって収集された民話版 recently collected folk-tale versions"を、古い伝承をとどめる資料として扱っている。『トゥレンの子らの最期』で、バロルの妻が、もしルーが台頭してきたら我らのアイルランドの支配も終わりだとつぶやいたことも、これら民話例で"確認"でき、"さらなる別の一点をも提供している" (バロルが特別の武器でしか倒せないこと)としている[33]
  35. ^ a b Larminie, William (1893). “The Gloss Gavlen”. West Irish Folk-tales and Romances. 1. London: Elliot Stock. pp. 1–9. オリジナルの2007-05-09時点におけるアーカイブ。. https://archive.org/details/westirishfolktal00larmuoft } (oral tale told by John McGinty, Achill Island)
  36. ^ a b Rolleston, T. W., Myths and Legends of the Celtic Race, 1911, pp. 109–112.
  37. ^ "Glas Ghaibhleann", Mackillop (1998) ed., Oxford Dictionary of Celtic Mythology.
  38. ^ a b c O'Donovan, John (1856), Annála Ríoghachta Éireann: Annals of the Kingdom of Ireland by the Four Masters, 1, Dublin: Hodges, Smith, and Co., pp. 18–21, https://books.google.com/books?id=8LHSAAAAMAAJ  footnote S
  39. ^ Rhys 1886, pp. 305–314, 314–321。アイルランド語: cenn '頭'+fáel '狼'の属格。
  40. ^ a b Curtin (1911), pp. 283–295「トーリー島のバロル」
  41. ^ Laoide, Seosamh (1913) [1909]. “XIII Balor agus Mac Cionnfhaolaidh”. Cruach Chonaill. Dublin: Chonnradh na Gaedhilge. pp. 63–65. https://archive.org/stream/cruachchonaillti00lloyuoft#page/62/mode/2up . 1909 edition; e-text via Historical Irish Corpus (RIA)
  42. ^ Brown (1924), p. 87 and note 4.
  43. ^ Laoide 1913, p. 177.
  44. ^ a b Gregory 1905, pp. 17–21.
  45. ^ Arbois de Jubainville 1903, pp. 64–67.
  46. ^ Larminie 1893, p. 251.
  47. ^ Westropp, Thomas Johnson (1921), “The ′Mound of the Fiana′ at Cromwell Hill, Co. Limerick, and a Note on Temair Luachra”, Proceedings of the Royal Irish Academy: Archaeology, Culture, History, Literature 36: 75, JSTOR 25504223, https://books.google.com/books?id=OdIXAQAAIAAJ&q=%22Duldauna%22 
  48. ^ Squire 1905, p. 237.
  49. ^ Curtin (1911), pp. 296–311「邪眼のバロルと孫のルイ・ラヴァーダ」
  50. ^ a b Loomis, Roger Sherman (January 1929), “(Review) Math Vab Mathonwy, An Inquiry into the Origins and Development of the Fourth Branch of the Mabingogi, with the Text and a Translation by W. J. Gruffydd”, Speculum 4 (1): 139–144, JSTOR 2847153 
  51. ^ "Gwydion", Mackillop (1998) ed., Oxford Dictionary of Celtic Mythology.
  52. ^ Rhys 1886, pp. 314–321.
  53. ^ Rhys 1886, pp. 314–321。リースはこれをマビノギ四枝『マース』(pp. 307–308) と牛のアイルランド民話(p. 317)と直接比較するようには述べていない。それは、中間的な比較材料としてカルブレ・ムースク(pp. 308–309)やカルブレ・キンハット英語版(p. 310)にまつわる伝説を類話として比較しているからである。そこで明言的に比較が述べられるのは、マック・キニーリーことキアンの息子ルーと、カルブレ・キンハットの息子モランのあいだである(p. 317)
  54. ^ Gruffydd (1928), pp. 8, 366, apud Loomis (1929), p. 140[50]
  55. ^ O'Laverty, James (1859), “Remarkable Correspondence of Irish, Greek, and Oriental Legends”, Ulster Journal of Archaeology, First Series 7: 342–343, JSTOR 20563514, https://books.google.com/books?id=0Fo_AQAAMAAJ&pg=PA342 


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