カーナティック戦争
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カーナティック戦争(カーナティックせんそう、英語:Carnatic Wars)とは、18世紀に南インドで、イギリス領インドの拠点であったマドラスとフランス領インドの拠点であったポンディシェリーとの間で3次にわたって繰り広げられた戦争。ここで言及されるカルナータカ地方は、現在のアラビア海に面したカルナータカ地方とは違い、アーンドラ地方とタミル地方の一部を指す。また、カーナティックは英語読みであるため、カルナータカ戦争とも呼ばれる。
- 1 カーナティック戦争とは
- 2 カーナティック戦争の概要
- 3 第3次カーナティック戦争(1758年 - 1763年)
- 4 戦後
- 5 備考
カーナティック戦争
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「チャンダー・サーヒブ」の記事における「カーナティック戦争」の解説
1742年10月13日、サフダル・アリー・ハーンは従兄弟ムルタザー・アリー・ハーンに暗殺されたが、ニザームがこれに介入した。これにより、サフダル・アリー・ハーンの幼少の息子サアーダトゥッラー・ハーン2世が太守位を継ぎ、その後見役にホージャ・アブドゥッラー・ハーンが任命された。 また、ニザームとカルナータカ太守の軍勢はティルチラーパッリのマラーター勢力を包囲し、8月29日にこれを占領した(ティルチラーパッリ包囲戦) だが、1744年3月にホージャ・アブドゥッラー・ハーンが暗殺されると、ニザームの代官アンワールッディーン・ハーンが太守の後見役となった。同年7月にはサアーダトゥッラー・ハーン2世も暗殺され、ナワーヤト朝の直系の血筋が絶えると、アンワールッディーン・ハーンがニザーム王国により新太守に任命され、アンワーリーヤ朝が成立した。 これに激怒したのがナワーヤット家のチャンダー・サーヒブだった。彼はサアーダトゥッラー・ハーン2世の義理の叔父で、ドースト・アリー・ハーンの娘婿である自分こそが新太守にふさわしいと思っていた。彼はフランスのジョゼフ・フランソワ・デュプレクスとチャンダー・サーヒブ、ニザーム王国のムザッファル・ジャングらと結び、太守位を狙った。 そして、1749年8月3日にチャンダー・サーヒブはフランス、ムザッファル・ジャングと連合して、アンワールッディーン・ハーンとアンブールで戦い、これを敗死に追い込んだ(アンブールの戦い)。 アンワールッディーン・ハーン殺害後、その息子ムハンマド・アリー・ハーンが新太守となったが、チャンダー・サーヒブも太守位を宣し、2人の太守が両立するかたちとなった。ムハンマド・アリー・ハーンはイギリスと結んで、ティルチラーッパッリの城塞に逃げ込み、チャンダー・サーヒブはフランスと結び、第二次カーナティック戦争が勃発した。また、ムハンマド・アリー・ハーンはイギリスのほかにも、ニザーム王国の君主ナーシル・ジャング、マイソール王国、タンジャーヴール・マラーター王国とも同盟した。 1750年4月5日および1751年1月21日には、ムガル帝国の皇帝アーラムギール2世の勅状により、ムハンマド・アリー・ハーンはアンワールッディーン・ハーンの後継者であり、カルナータカ太守であると認められた。他方、チャンダー・サーヒブもムガル帝国の皇帝アフマド・シャーに太守位の叙任を要請している。 1751年から1752年にかけて、チャンダー・サーヒブはフランスの援助のもと、ムハンマド・アリー・ハーンの篭城するティルチラーパッリ要塞を攻めた(ティルチラーパッリ包囲戦)。 だが、チャンダー・サーヒブはこの包囲に兵員の大部分を割き、首都アルコットが手薄となっていたため、1751年12月にアルコットはイギリスのロバート・クライヴに奪われてしまった(アルコットの戦い)。 1752年4月にはチャンダー・サーヒブ自身も敗れ、タンジャーヴール・マラーター王国に援助を求めたが、同年6月12日に裏切られて殺害された。その後、デュプレクスは善戦したものの、1754年8月に戦費の問題から帰還させられ、10月に和議が結ばれ戦争は終結した。 その後、チャンダー・サーヒブの息子レザー・サーヒブはナワーヤト家による太守位の奪還を目指して戦い続け、フランスから軍事的支援を受けた。だが、フランスが第三次カーナティック戦争により敗北したことで、イギリスの南インドにおける優位が決まった。そして、1763年2月に第三次カーナティック戦争と併行して行われた七年戦争とフレンチ・インディアン戦争の講和条約であるパリ条約により、ムハンマド・アリー・ハーンが正式に太守となった。
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