カーナティック戦争とは? わかりやすく解説

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カーナティック戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/18 15:20 UTC 版)

カーナティック戦争(カーナティックせんそう、英語:Carnatic Wars)とは、18世紀南インドで、イギリスインドの拠点であったマドラスフランス領インドの拠点であったポンディシェリーとの間で3次にわたって繰り広げられた戦争。ここで言及されるカルナータカ地方は、現在のアラビア海に面したカルナータカ地方とは違い、アーンドラ地方タミル地方の一部を指す。また、カーナティックは英語読みであるため、カルナータカ戦争とも呼ばれる。




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カーナティック戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/23 23:57 UTC 版)

チャンダー・サーヒブ」の記事における「カーナティック戦争」の解説

1742年10月13日サフダル・アリー・ハーン従兄弟ムルタザー・アリー・ハーンに暗殺されたが、ニザームがこれに介入した。これにより、サフダル・アリー・ハーン幼少息子サアーダトゥッラー・ハーン2世太守位を継ぎその後見役にホージャ・アブドゥッラー・ハーンが任命された。 また、ニザームカルナータカ太守軍勢ティルチラーパッリマラーター勢力包囲し8月29日にこれを占領したティルチラーパッリ包囲戦) だが、1744年3月にホージャ・アブドゥッラー・ハーンが暗殺されると、ニザーム代官アンワールッディーン・ハーン太守後見役となった同年7月にはサアーダトゥッラー・ハーン2世暗殺されナワーヤト朝直系血筋絶えると、アンワールッディーン・ハーンニザーム王国により新太守に任命されアンワーリーヤ朝成立した。 これに激怒したのがナワーヤット家のチャンダー・サーヒブだった。彼はサアーダトゥッラー・ハーン2世義理叔父で、ドースト・アリー・ハーン娘婿である自分こそが新太守にふさわしいと思っていた。彼はフランスジョゼフ・フランソワ・デュプレクスチャンダー・サーヒブニザーム王国ムザッファル・ジャングらと結び、太守位を狙った。 そして、1749年8月3日チャンダー・サーヒブフランスムザッファル・ジャング連合してアンワールッディーン・ハーンとアンブールで戦い、これを敗死追い込んだ(アンブールの戦い)。 アンワールッディーン・ハーン殺害後、その息子ムハンマド・アリー・ハーン新太となったが、チャンダー・サーヒブ太守位を宣し2人太守両立するかたちとなったムハンマド・アリー・ハーンイギリス結んでティルチラーッパッリ城塞逃げ込みチャンダー・サーヒブフランスと結び、第二次カーナティック戦争勃発したまた、ムハンマド・アリー・ハーンイギリスのほかにも、ニザーム王国君主ナーシル・ジャングマイソール王国タンジャーヴール・マラーター王国とも同盟した1750年4月5日および1751年1月21日には、ムガル帝国皇帝アーラムギール2世の勅状により、ムハンマド・アリー・ハーンアンワールッディーン・ハーン後継者であり、カルナータカ太守であると認められた。他方チャンダー・サーヒブムガル帝国皇帝アフマド・シャー太守位の叙任要請している。 1751年から1752年にかけて、チャンダー・サーヒブフランス援助のもと、ムハンマド・アリー・ハーン篭城するティルチラーパッリ要塞攻めたティルチラーパッリ包囲戦)。 だが、チャンダー・サーヒブはこの包囲兵員大部分割き首都アルコット手薄となっていたため、1751年12月アルコットイギリスロバート・クライヴ奪われてしまった(アルコット戦い)。 1752年4月にはチャンダー・サーヒブ自身敗れタンジャーヴール・マラーター王国援助求めたが、同年6月12日裏切られ殺害された。その後デュプレクス善戦したものの、1754年8月戦費問題から帰還させられ10月和議結ばれ戦争終結したその後チャンダー・サーヒブ息子レザー・サーヒブはナワーヤト家による太守位の奪還目指し戦い続けフランスから軍事的支援受けた。だが、フランス第三次カーナティック戦争により敗北したことで、イギリス南インドにおける優位決まった。そして、1763年2月第三次カーナティック戦争と併行して行われた七年戦争フレンチ・インディアン戦争講和条約であるパリ条約により、ムハンマド・アリー・ハーン正式に太守となった

※この「カーナティック戦争」の解説は、「チャンダー・サーヒブ」の解説の一部です。
「カーナティック戦争」を含む「チャンダー・サーヒブ」の記事については、「チャンダー・サーヒブ」の概要を参照ください。

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