カンブレーの戦いとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > カンブレーの戦いの意味・解説 

カンブレーの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/21 13:23 UTC 版)

カンブレーの戦い(カンブレーのたたかい)は、1917年11月20日から12月7日にかけて行われた、第一次世界大戦におけるイギリスの攻勢作戦である。フランスのノール県にあるカンブレーは、当時ドイツ軍のヒンデンブルク線の一部であるジークフリート線のための重要な補給地点であった。また、近在のブルロンの丘陵には、北方のドイツ軍前線の後背を脅かすという優れた利点があった。この作戦では、実験的に砲兵を運用することも予定されていた。第9歩兵師団の司令官であったヘンリー・ヒュー・チューダー少将は、新しい歩砲連合の戦法を、彼の担当する戦区で施行することを提案した。


  1. ^ Hammond 2007, p. ix.
  2. ^ 当時のイギリス軍は、機関銃や戦車といった最新兵器の部隊を機関銃軍団 (Machine Gun Corps) や王立戦車軍団に配属し、大隊・中隊といった単位で、必要に応じて歩兵師団など在来部隊の指揮下に送っていた。多くの兵科では訓練などを統括するadministrative corpsが置かれるが、戦車部隊のRoyal Armoured Corpsは1939年に創設され、RTCはRTR (Royal Tank Regiment) と改称したうえでRACの下部組織となった。
  3. ^ Hammond 2009, p. 430
  4. ^ Hammond 2009, pp. 429-430
  5. ^ Hammond 2009, p. 57.
  6. ^ ふつう1門だけで試射・観測し、目標に落ちるよう修正を加えて数門~数十門の砲が効力射を行う。これでは攻撃の意図が漏れ、敵の予備投入が間に合ってしまうので、ここでは地図などを頼りに照準を合わせ、敵目標にいきなり全力射撃を浴びせた。計算射撃は「計算法による射撃」ともいう。
  7. ^ 歩兵の進む速度に合わせ、弾幕を敵陣の奥に移していくこと。当時の最新戦法。
  8. ^ Mann, Chris: Battles That Changed Warfare, pp.178–185
  9. ^ 部隊の一番長い方向を貫くように撃たれること。ここでは、横隊で進んでいるところを側面から撃たれること。
  10. ^ 直協歩兵に戦車のすぐ後を進ませ、塹壕に残った敵歩兵を迅速に掃討するのが良いのだという考え方と、それでは直協歩兵が戦車に向けられた砲撃を浴びて何もできないうちに大損害を受けてしまう(ので少し後を進むべきだ)という考え方が当時せめぎ合っていて、当時の公式なドクトリンは前者であり、後者に基づく指導をしていたハーパーが批判された。ただし後者も上級司令部が認めたものでありハーパーの個人的責任とまでは言えず、後者を取った部隊がむしろ良い結果を出している例もあるとHammond[2009]は述べている。
  11. ^ Sheffield & Bourne 2005, p. 348.
  12. ^ Hammond 2007, p. 233.
  13. ^ Turner 2007, p. 45.
  14. ^ Sheldon, J. The German Army at Cambrai, p. 312 (2009)


「カンブレーの戦い」の続きの解説一覧

カンブレーの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:37 UTC 版)

西部戦線 (第一次世界大戦)」の記事における「カンブレーの戦い」の解説

イギリス軍11月20日にカンブレーの戦いにおいて、世界初となる大規模な戦車投入行った。2個師団ドイツ軍に対して合計324台もの戦車使用された。奇襲攻撃重視したため、事前砲撃行われず煙幕をはって戦車進撃カモフラージュした塹壕と幅4メートルほどの対戦車壕乗り越えるために、戦車の上面には木材備えられていた。第51スコティッシュ・ハイランド師団除いた師団による攻撃成功収め、4ヶ月間のイーペル戦で占領できなかった地点までたった6時間で到達した損害は4,000名であり、攻勢計画としては極めて少ないものであった。 この攻撃によって形成され突起部は11月30日ドイツ軍の反撃奪い返された。しかし戦車有用性がはっきりと認識され、これ以後戦闘では戦車中心とした戦術採用されるになった一方ドイツ軍は、この戦闘西部戦線としては初め突撃歩兵による浸透戦術使用した。この戦術第二次世界大戦機甲師団登場するまで、歩兵戦術基本と見なされていた画期的なのである

※この「カンブレーの戦い」の解説は、「西部戦線 (第一次世界大戦)」の解説の一部です。
「カンブレーの戦い」を含む「西部戦線 (第一次世界大戦)」の記事については、「西部戦線 (第一次世界大戦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「カンブレーの戦い」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カンブレーの戦い」の関連用語

カンブレーの戦いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カンブレーの戦いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカンブレーの戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの西部戦線 (第一次世界大戦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS