かん‐がい【寒害】
かん‐がい【干害/×旱害】
かん‐がい【感慨】
かん‐がい〔クワン‐〕【×灌×漑】
かん‐がい〔クワングワイ〕【管外】
かん‐がい〔クワン‐〕【×菅蓋】
管亥
カンガイ | (?~?) | |
初平二年(一九一)、北海国の相孔融は黄巾賊を討伐せんと都昌に入城したが、そこで賊将管亥の包囲を受けた。城内に孔融の恩義を蒙っていた太史慈という者がいて、二人の騎兵を連れて城外に出た。包囲陣の兵士たちが驚いて兵馬を繰り出すと、太史慈は馬首を返して堀の内側に入り、騎兵に持たせていた標的を地面に突き立てた。そしてまた堀を出てその標的を弓矢で射抜き、それから城門に入った《太史慈伝》。 太史慈は翌朝も同じようにして標的を射たが、包囲陣の兵士たちには立ち上がる者もいたし、寝そべったままの者もいた。その翌日も同じように城外に出ると、今度は立ち上がる者はなかった。そこで太史慈は馬を鞭打って包囲陣を突破し、平原に向かい、平原国の相劉備から精鋭三千人を借りて戻ってきたので、管亥らは包囲を解いて逃げ去った《太史慈伝》。 |
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