カブラの冬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/12 05:08 UTC 版)
カブラの冬(かぶらのふゆ、独:Steckrübenwinter)とは、第一次世界大戦下の1916年から1917年にかけてのドイツで発生した飢饉状態のこと。飼料用として主に用いられてきたルタバガ(カブラ)を食して飢えをしのいだという逸話に由来する。ただし、ドイツにおける食糧不足は第一次世界大戦開戦直後から続いていた。
- ^ 藤原、2016年、P30-32
- ^ ドイツ皇帝・ヴィルヘルム2世が1914年7月末の開戦直後、兵士たちに「諸君は木の葉が散るころには家に帰れるだろう」と述べており、数か月以内の戦いを想定していたことを示している。
- ^ 藤原、2016年、P27-29
- ^ 藤原、2016年、P42
- ^ 藤原、2016年、P52-54
- ^ 藤原、2016年、P62-70
- ^ 藤原、2016年、P24-27
- ^ 藤原、2016年、P42-62
- ^ 藤原、2016年、P76-85
- ^ 藤原、2016年、P20-21
- ^ この主張は食料の量やカロリー計算上だけの議論であり、穀物から得られる炭水化物と家畜から得られるタンパク質や脂質の互換が出来ないことを無視した主張であったが、食料不足に悩まされた政府や人々はその意見に乗ってしまったのである(藤原、2016年、P75)。
- ^ 藤原、2016年、P32-37・73-76
- ^ 藤原、2016年、P96-109
- ^ 藤原、2016年、P9-11・112-119
- ^ 藤原、2016年、P119-131
- ^ 藤原、2016年、P133-139
- ^ 藤原、2016年、P7-13
- 1 カブラの冬とは
- 2 カブラの冬の概要
- 3 他国への影響
カブラの冬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 09:07 UTC 版)
詳細は「カブラの冬」を参照 ドイツでは1916年から1917年にかけての冬、天候による不作などが原因となってカブラの冬が起きた。最高価格の定められた状況ではポテトや穀物をそのまま売るより、飼料として使ったり、蒸留所に売ったりした方が利益が出たため、状況はさらに悪化した。2月、毎日の食料配給が1,000kcal分まで下がり(成人が必要な生理的熱量は平均で毎日2,410kcal)、食料不足がさらに厳しくなった。カブラの冬により、ドイツの社会が団結していない状況(生産者と消費者の対立)、そして国が食料を提供する能力の不足が浮き彫りになった。
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