オーベル‐シュル‐オワーズ【Auvers-sur-Oise】
読み方:おーべるしゅるおわーず
オーヴェル=シュル=オワーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/30 07:19 UTC 版)
オーヴェル=シュル=オワーズ(Auvers-sur-Oise)は、フランスのイル・ド・フランス地域圏ヴァル=ドワーズ県の村(コミューン)。ラ・ヴァレ・デュ・ソスロン小郡の小郡庁所在地。
- 1 オーヴェル=シュル=オワーズとは
- 2 オーヴェル=シュル=オワーズの概要
オーヴェル=シュル=オワーズ(1890年5月-7月)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 00:20 UTC 版)
「フィンセント・ファン・ゴッホ」の記事における「オーヴェル=シュル=オワーズ(1890年5月-7月)」の解説
同年(1890年)5月20日、ファン・ゴッホはパリから北西へ30 km余り離れたオーヴェル=シュル=オワーズの農村に着き、ポール・ガシェ医師を訪れた。ガシェ医師について、ファン・ゴッホは「非常に神経質で、とても変わった人」だが、「体格の面でも、精神的な面でも、僕にとても似ているので、まるで新しい兄弟みたいな感じがして、まさに友人を見出した思いだ」 と妹ヴィルに書いている。ファン・ゴッホは村役場広場のラヴー旅館に滞在することにした。 ファン・ゴッホは、古い草葺屋根の家々、セイヨウトチノキ(マロニエ)の花を描いた。またガシェ医師の家を訪れて絵画や文学の話をしつつ、その庭、家族、ガシェの肖像などを描いた。6月初めには、さらに『オーヴェルの教会』を描いた。テオには、都会ではヨーの乳の出も悪く子供の健康に良くないからと、家族で田舎に来るよう訴え、オーヴェルの素晴らしさを強調する手紙をしきりに送った。最初は日曜日にでもと言っていたが、1か月の休養が必要だろうと言い出し、さらには何年も一緒に生活したいと、ファン・ゴッホの要望は膨らんだ。そして6月8日の日曜日、パリからテオとヨーが息子を連れてオーヴェルを訪れ、ファン・ゴッホとガシェの一家と昼食をとったり散歩をしたりした。ファン・ゴッホは2日後「日曜日はとても楽しい思い出を残してくれた。……また近いうちに戻ってこなくてはいけない。」と書いている。6月末から50 cm(センチメートル)×100 cmの長いキャンバスを使うようになり、これを縦に使ってピアノを弾くガシェの娘マルグリットを描いた。 この頃、パリのテオは、勤務先の商会の経営者ブッソ、ヴァラドンと意見が対立しており、ヨーの兄アンドリース・ボンゲル(ドリース)とともに共同で自営の画商を営む決意をするか迷っていた。またヨーと息子が体調を崩し、そのことでも悩んでおり、テオは6月30日、兄宛に悩みを吐露した長い手紙を書いている。7月6日、ファン・ゴッホはパリを訪れた。ヨーによれば、アルベール・オーリエや、トゥールーズ=ロートレックなど多くの友人が彼を訪ねたほか、ギヨマンも来るはずだったが、ファン・ゴッホは「やり切れなくなったので、その訪問を待たずに急いでオーヴェルへ帰っていった」という。この日、テオやヨーとの間で何らかの話合いがされたようであるが、ヨーはその詳細を語っていない。ファン・ゴッホは、7月10日頃、オーヴェルからテオとヨー宛に「これは僕たちみんなが日々のパンを危ぶむ感じを抱いている時だけに些細なことではない。……こちらへ戻ってきてから、僕もなお悲しい思いに打ちしおれ、君たちを脅かしている嵐が自分の上にも重くのしかかっているのを感じ続けていた。」と書き送っている。また、大作3点(『荒れ模様の空の麦畑』、『カラスのいる麦畑』、『ドービニーの庭』)を描き上げたことを伝えている。また、ファン・ゴッホはその後にもテオの「激しい家庭のもめ事」を心配する手紙を送ったようであり(手紙は残っていない)、7月22日、テオは兄に、(共同自営問題に関し)ドリースとの議論はあったものの、激しい家庭のもめ事など存在しないという手紙を送り、これに対しファン・ゴッホは最後の手紙となる7月23日の手紙で「君の家庭の平和状態については、平和が保たれる可能性も、それを脅かす嵐の可能性も僕には同じように納得できる。」などと書いている。 『医師ガシェの肖像』1890年6月、オーヴェル。油彩、キャンバス、68.2 × 57 cm。オルセー美術館F 754, JH 2014。 『オーヴェルの教会』1890年6月、オーヴェル。油彩、キャンバス、93 × 74.5 cm。オルセー美術館F 789, JH 2006。 『夜の白い家』1890年6月、オーヴェル。油彩、キャンバス、59 × 72.5 cm。エルミタージュ美術館F 766, JH 2031。 『ピアノを弾くマルグリット・ガシェ』1890年6月、オーヴェル。油彩、キャンバス、102.6 × 50 cm。バーゼル市立美術館F 772, JH 2048。 『荒れ模様の空の麦畑』1890年7月、オーヴェル。油彩、キャンバス、50.4 × 101.3 cm。ゴッホ美術館F 778, JH 2097。 『カラスのいる麦畑』1890年7月、オーヴェル。油彩、キャンバス、50.5 × 103 cm。ゴッホ美術館F 779, JH 2117。 『ドービニーの庭』1890年7月、オーヴェル。油彩、キャンバス、54 × 101.5 cm。バーゼル市立美術館F 777, JH 2105。
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