オキナワ移住地とは? わかりやすく解説

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オキナワ移住地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/18 01:01 UTC 版)

オキナワ移住地(オキナワいじゅうち)またはコロニア・オキナワ西: Colonia Okinawa)は、ボリビアサンタ・クルス県にある日本人移民の入植地である。第二次世界大戦の後1950年代に、リベラルタ沖縄出身の戦前移民者が中心となりボリビアに郷土沖縄から移民を呼び寄せる計画を立て[1]、またこの計画に乗る形で、連合国軍に占領された沖縄で社会問題化した過剰人口と土地不足を移民で解消することを画策した琉球政府により、この地に入植した。ここでは、オキナワ移住地の説明と合わせて、戦後の沖縄からのボリビア移民計画、移民者と移住地の歴史を説明する。


注釈

  1. ^ ボリビアでは日本における「市」「町」「村」の区別はなく、スペイン語のMunicipioは単に「基礎自治体」を指す。ただし、ここでは引用文献に合わせて「村」と表記する。
  2. ^ 2013年の沖縄県全体の農用地面積は約45,000haで、オキナワ移住地はそれより広い[14]。また移住地外にも農耕地を所有しており、2004年の資料では移住地外の所有地の面積は20,000haに及ぶ[6]。従って、日系人が所有している農用地の面積は、沖縄県の全体の農用地面積より広大だと推定されている。
  3. ^ コロソマはスペイン語圏ではパクPacuとも呼ばれている
  4. ^ 日本とボリビアの間には、移民に関する条約締結がなかった[26]。このため、ペルーからボリビアへの再入植を知った外務省は移民保護法違反であるとし、移民会社に即刻ペルーへ引き戻すように厳命を出した[26]
  5. ^ 一般住人の戦死者には戦闘参加者も含む[29]
  6. ^ 使節団がサンタ・クルス県を訪問した時期は雨季にあたり、川の増水、道路のぬかるみで、移動は困難を極めた[37]
  7. ^ 岸信介は1954年に設立された日本ボリビア協会の初代会長であった[42]。日本ボリビア協会の設立目的は日本国内のボリビア移住への機運を盛り上げることにあった[42]
  8. ^ パス・エステンソロは沖縄からの移民の受け入れを決断したことから、「オキナワ移住地の父」という碑名が刻まれた銅像が移住地の中央広場に立っている。
  9. ^ 漢字の当て字では「宇流麻」と書く。
  10. ^ 移民者たちは、日本政府発行のパスポートを渡されるまでは「琉球住民身分証明書」という琉球政府発行の書類を携行していた。
  11. ^ 綿花を摘むための期間労働者確保と管理は困難を極めた[87]。当時、CAICO職員であった具志堅興貞によるとサンタ・クルス周辺の俗に「カンバ」と呼ばれる低地住民は性格がおおらかな反面、根気のいる作業に向いておらず、彼らもそのような仕事を敬遠する傾向があった[87]。このため、サンタクルス県での確保をあきらめ、ポトシ県チュキサカ県へ出向いて労働者の確保にあたったと回顧している[87]
  12. ^ 1987年に、現在使われているボリビアーノを発行し、1,000,000ペソ・ボリビアーノスを1ボリビアーノスにするデノミネーションが実施された
  13. ^ この時、沖縄県知事としてオキナワ移住地を訪問した稲嶺惠一の父は、戦後の過剰人口問題の解決策として移民を積極的に推進すべきという立場をとった稲嶺一郎である。1954年、ボリビアへの移民について移民使節団の琉球政府団長としてボリビアを訪問し、オキナワ移住地の予定地を視察している。
  14. ^ 稲嶺惠一が50周年記念式典参加のためボリビア滞在中に沖国大米軍ヘリ墜落事件が発生し、予定を短縮して式典終了後に日本に帰国することになった。
  15. ^ 北東方向に偏在しているのはサンタ・クルスからみてオキナワ移住地[110]
  16. ^ 日本もボリビアも二重国籍を認めていなかったが、ボリビアでは事実上容認されていた。このため二重国籍の日系ボリビア人は「日本人」として入国でき、外国人登録者数には現れてこない。不可視の移住であった。
  17. ^ ここでいう「日本的料理」とは、伝統的な日本料理だけでなく、もともと西洋料理や中華料理であったものが日本人の嗜好にあうように調理された雑多な日本の家庭料理を指す[123]
  18. ^ また藤崎康夫が大山朝常に聞いた話として、大山は「立法院議員であった1955年、軍用地問題のため琉球政府代表使節団の一員としてアメリカ本土へ訪問した。このとき、アメリカ政府にボリビアへの移民について謝辞を述べた。また、新たな沖縄県民の移住先としてインドネシアとマリアナ諸島の検討を求めたが、マリアナ諸島はアメリカ海軍の反対、インドネシアについては政情不安を理由に認められなかった」と語っている[142]
  19. ^ 大宅がボリビアに滞在中、ボリビア通貨の下落がとまらず、「ボリビアの金は、私の滞在中にも下落をつづけ、自由相場は一ドルについて二千ボリビアノスに近づいた。ホテルの払いは、食事もついて、一日五十セントくらいにしかならない。こんどの旅行でレコードだ《原文ママ》」と記している[143]
  20. ^ この時、衆議院議員だった今村忠助もラパスに滞在しており、大宅と接触があった[144]。今村忠助は日本本土からボリビアに大規模移民する計画を持っており、ボリビア政府に提案したところ好感触を得たと大宅に語っている[144]
  21. ^ 入植25周年記念誌には一文だけ先住民の襲撃が掲載されていたが、50周年記念誌にはこの記述は見つからない
  22. ^ アメリカ統治下の沖縄で日章旗を掲げることはタブーであった。
  23. ^ ボリビア時代は愛称「カミカゼ」と呼ばれていた
  24. ^ 沖縄都市モノレール線おもろまち駅にトックリキワタの導入樹木とされる「天野株」が現存している[154]

出典

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