ウィキペディア |
エヴルー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/06/13 11:34 UTC 版)
フランス > オート=ノルマンディー地域圏 > ウール県 > エヴルー
| Évreux | |
|---|---|
| 国 | |
| 地域圏(Région) | オート・ノルマンディー地域圏 |
| 県(département) | ウール県 |
| 郡(arrondissement) | Arrondissement of Évreux |
| 小郡(canton) | 4 |
| INSEEコード | 27229 |
| 郵便番号 | 27000 |
| 市長(任期) | ミシェル・シャンプルドン (2008年 - 2014年) |
| 座標 | 北緯49度01分07秒 東経1度08分56秒 / 北緯49.0187度 東経1.1489度 |
| 標高 | 最低:58 m 最高:146m |
| 面積 | 市: 26,45km² (2 645ha) |
| 人口 | 53,254人 (2008年) |
| 人口密度 | 2 013人/km² |
| 住民の呼称 | Ébroïcien, Ébroïcienne |
エヴルー (Évreux) は、フランス北西部、オート=ノルマンディー地域圏の都市である。ウール県の県庁所在地。1999年の人口は約5万人。
カトリックの司教座がおかれ、ゴシック建築のエヴルー大聖堂(ノートルダム寺院)がある。
歴史
古代、エヴルーはMediolanum Aulercorumの名で呼ばれていた。ガリア系のエブロウィス族(Eburovici)がここに本拠地をおき、紀元前1世紀に定住地を建設したのである。ローマ帝国時代初期にはガロ=ローマの人々は、ローマ神話の神を讃え、現在のコミューン郊外にギサクム神殿(Gisacumu)を建設した。ルーアン=シャルトル間、パリ=エヴルー間の交易路の間にあった町は、貿易で繁栄した。劇場やフォルム、浴場といった公共の建物が建てられた。ネクロポリスからは花器が発見され、碑文からはガロ=ローマ時代からエヴルーに織物産業が存在したことを示している。蛮族の侵攻が相次いだ3世紀末には、現在コミューン博物館で保存されているような城壁で町は覆われていた。
エヴルー初代司教は聖トラン (fr) である。989年にエヴルー伯領が、そして司教座がおかれた。892年にはノルマン人に占領され、962年には西フランク王ロテールに荒らされた。1120年にはイングランド王ヘンリー1世に略奪され、1194年にはフランス王フィリップ2世に火を放たれた。イングランド貴族デヴァルー家(Devereux)の家名は、エヴルーにちなんでいる。
14世紀から15世紀初めにかけて、カペー家の分枝エヴルー家が栄えた。エヴルー家の嫡系は1400年のエタンプ伯ルイ (fr) 死で断絶したが、フィリップ・デヴルー(のちのナバラ王フェリペ3世)とナバラ女王フアナ2世の結婚によりナバラ王国の王家となったエヴルー=ナヴァール家は1441年まで存続した。百年戦争中の1418年、イングランド王ヘンリー5世によりエヴルーは占領された。フランスの主権下に復帰したのは1440年であった。
姉妹都市
- 1 エヴルーの概要
- 2 外部リンク
固有名詞の分類
エヴルーに関係した商品