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エリオ・グレイシー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/06/07 06:28 UTC 版)
| エリオ・グレイシー | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 本名 | エリオ・グレイシー |
| 通称 | |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1913年10月1日 |
| 出身地 | |
| 命日 | 2009年1月29日(満95歳没) |
| 所属 | |
| 身長 | 170cm |
| 体重 | 65kg |
| 階級 | |
| スタイル | ブラジリアン柔術 |
| テーマ曲 | |
エリオ・グレイシー(Hélio Gracie、1913年10月1日 - 2009年1月29日)は、ブラジル出身の男性ブラジリアン柔術家であり、グレイシー柔術の創始者。ブラジリアン柔術十段(赤帯)。ガスタオン・グレイシー家の五男。身長170cm、体重65kg。
目次 |
来歴
父ガスタオン・グレイシーから依頼され前田光世は兄カーロス・グレイシーやエリオを含む5人兄弟に柔道(柔術)の技術と精神を教えていた。その後、カーロスとエリオは、グレイシー柔術の技術体系を築き、エリオは「グレイシー柔術アカデミー」総裁となる。1930年代からバーリ・トゥードを戦い始め、約20年間無敗を誇りブラジルスポーツ界の英雄となる。
43歳の時、弟子であったヴァウデマー・サンターナと対戦。3時間以上の試合となったがKO負けとなり、この試合を最後に引退した。
90歳を過ぎてからも、道着に袖を通し道場に姿を現しては稽古、指導を行っていた。
2008年2月に、ヒクソン・グレイシーを会長とする全日本柔術連盟(JJFJ)の相談役に就任した。
2009年1月29日、リオデジャネイロ郊外のBeneficencia Portuguesa Hospitalにおいて死去。95歳没。
日本人柔道家との対戦
1951年9月6日にリオデジャネイロ市で加藤幸夫とブラジリアン柔術ルールで対戦し、10分3ラウンド引き分け。9月23日に再戦し8分目で加藤を絞め落としエリオの一本勝ち。
1951年10月23日にブラジルリオデジャネイロ市のマラカナン・スタジアム(観衆はブラジル大統領を含む3万人)で木村政彦と対戦(10分3ラウンド)。2R開始3分で大外刈からのキムラロック(本来の名称は柔道の腕がらみ。木村が掛けた技である為、後にこう呼ばれる。)で腕を取られ、エリオは意識がなくなっていた(一説に骨折したと言われている)ため兄のカーロスがタオルを投入し敗北した。
他にも、矢野武雄、冨川富興、小野安一(2度対戦し2引き分け)らと対戦したが、木村以外に対しては不敗であった。
家族
- 父ガスタオン・グレイシー
- 長兄カーロス・グレイシー(Carlos Gracie)
- 四兄ジュルジ・グレイシー
- 長男ホリオン・グレイシー(Rorion Gracie)1952年1月10日生
- ヒイロン・グレイシー(ホリオンの長男)
- ヘナー・グレイシー(ホリオンの次男)
- ハレック・グレイシー(ホリオンの三男)
- 次男ヘウソン・グレイシー(Relson Gracie)1953年3月28日生
- 三男ヒクソン・グレイシー(Rickson Gracie)1959年11月21日生
- 孫ハクソン・グレイシー(Rackson Gracie、ヒクソンの長男)
- 孫クロン・グレイシー(ヒクソンの次男)
- 四男ホウケル・グレイシー(Rolker Gracie)1964年7月22日生
- 五男ホイラー・グレイシー(Royler Gracie)1965年12月6日生
- 六男ホイス・グレイシー(Royce Gracie)1966年12月12日生
- 七男ホビン・グレイシー(Robin Gracie)1971年8月17日生
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類


