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エスペラント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/06/02 04:33 UTC 版)

(エス語 から転送)

エスペラント
Esperanto
緑星旗 ユビレーア・スィムボーロ
シンボル
発音 IPA: /espe'ɾanto/
創案者 ラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフ
創案時期 1887年
母語話者数 母語話者200 - 2000人、第二言語話者100万人 - 200万人
話者数の順位 100位以内になし
目的による分類
参考言語による分類 文法ロマンス諸語
語彙ロマンス諸語およびゲルマン語派
音韻スラヴ語派
公的地位
公用語 無し 幾つかの国際機関公用語として使われている
統制機関 アカデミーオ・デ・エスペラント
言語コード
ISO 639-1 eo
ISO 639-2 epo
ISO 639-3 epo
SIL ESP
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エスペラントEsperanto)とは、ルドヴィコ・ザメンホフが考案した人工言語

目次

概要

言語のシンボル
緑星旗 ユビレーア・スィムボーロ
緑星旗 ユビレーア・スィムボーロ

エスペラントを話す者は「エスペランティスト」と呼ばれ、世界中に100万人程度存在すると推定されている(使用状況を参照)。

当初は特別な名称を持たなかった(単に「国際語」とされていた)が、創案者のラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフが「エスペラント博士(Doktoro Esperanto)」というペンネームを使って発表したため、しだいにこの名で呼ばれるようになった(「エスペラント博士の国際語」と呼ぶのは面倒)。この「エスペラント」とはエスペラントの単語で「希望する者」という意味である。ザメンホフは、帝政ロシア領(当時)ポーランドビアウィストク出身のユダヤ人眼科医で、1887年7月14日Unua Libro(最初の本)でこの言語を発表した。

ザメンホフは世界中のあらゆる人が簡単に学ぶことができ、世界中で既に使われている母語に成り代わるというよりは、むしろすべての人の第2言語としての国際補助語を目指してこの言語をつくった。現在でも彼の理想を追求している使用者が多くいる一方、理想よりも実用的に他国の人と会話するためや、他の国や異文化を学ぶためのものと割り切って使っている人もかなりいる。今日では異なる言語間でのコミュニケーションのために、旅行文通国際交流(文化交流の場合が多い)、ラジオインターネットラジオも含む。無線の場合、短波が多い)、インターネットテレビなど様々な分野で使われている。英語を国際共通語として当然視してしまう姿勢への対抗的姿勢が、多くの場合に、とって代わるべき国際補助語としてこのエスペラントを持ち出している。中国語では「世界語」とよぶ。 

歴史

エスペラントの草案者、L.L. ザメンホフ
1887年にワルシャワで出版されたエスペラントについての最初の本"Unua Libro"

エスペラントは1880年代ラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフによって創案された。最初の文法書・単語集は1887年に発表された。

言語の開発

最初、ザメンホフはラテン語の復権が言語問題の解決策になると考えていたが、実際にラテン語を学ぶと難しいことに気づいた。英語を学んだ際、名詞の文法上の性及び複雑な格変化並びに動詞の人称変化が不要であることに気づいた。 言語を学習するにはたくさんの単語を覚えなければならないが、街を歩いているとき偶然、ロシア語で書かれた二つの看板を見て、解決策を思いついた。 швейцарская(シュヴェイツァールスカヤ 門番所)とкондитерская(コンディテルスカヤ 菓子屋)という二つの看板には、共通して-skaja(スカーヤ 場所)という接尾辞が使われていた。 彼は一つ一つ別々に覚えなければならないと思われていた単語を、接辞を使って一つの単語から一連の単語群として作り出せるようにする方法を考えた。基本となる語彙は、多くの言語(ただし、ヨーロッパの言語に限られる)で使われているものを採用した。

1878年、現在のエスペラントのプロトタイプといえるLingwe uniwersala(リングヴェ ウニヴェルサーラ)を、ザメンホフはギムナジウムの同級生たちに教えた。その後6年間、まず各民族語の文学作品の翻訳と詩作に取りかかり、新しい言語の欠陥や運用上の扱いにくさを無くすことにした。ザメンホフは後の1895年ロシアエスペランティスト、ニコライ・ボロフコに宛てた手紙に「私は6年間を言語を完璧にするために費やした。たとえそれが1878年の段階で既にできあがっていたとしても」と書いている。彼はもう既に自らの言語を公表できる準備ができていると考えていたが、ロシア政府の検閲がそれを許さなかった。これにより公表が遅れたが、その間、彼は旧約聖書シェークスピアの作品などをエスペラントに翻訳し、言語の改良も重ねていった。1887年、ようやく出版されたUnua Libro(最初の本)でエスペラントの基礎について紹介した。こうして今日話されているエスペラントが世に出された。

最初の世界大会まで

最初のうち、エスペラントの話者どうしの交流の手段としては、文通か雑誌『La Esperantisto』(1889年から1895年まで発行)程度しかなかった。1905年までに17のエスペラント関係の雑誌が発行された。活動は最初ロシア東ヨーロッパに限られていたが、次第に西ヨーロッパアメリカアジアに広がっていった。日本では1906年二葉亭四迷が日本最初のエスペラントの教科書『世界語』を著した。

1904年小規模な国際会議が開かれ、それが1905年8月、フランスブローニュ=シュル=メールで行われる最初の世界エスペラント大会の開催につながる。このときは33の国から688人が参加した。大会でザメンホフは、エスペラント運動の指導者としての地位を公式に放棄した。ザメンホフ自身がユダヤ人であったため、反ユダヤ主義による偏見が言語の発展を妨げるのを恐れたためである。彼はエスペラント運動の原理に基づいたブローニュ宣言を提案し、大会出席者たちはこれを採択した。

言語の発展

1905年フランスブローニュで開催された第1回世界エスペラント大会で、『エスペラントの基礎』の変更を制限する宣言が採択された。宣言は、言語の基礎をザメンホフが出版した『エスペラントの基礎』(Fundamento de Esperanto フンダメント デ エスペラント)から変更してはならないとし、いかなる者もこれを変える権利を有しないとした。この宣言は使用者が適当と思うように新しい考えを発表しても良いとしている[1]

しかしながら実際には、現代のエスペラントの使い方は『エスペラントの基礎』で示された「お手本」と完全に一緒というわけではない。例えば「私はこれが好きです。」の一文をエスペラント文に翻訳するときを例に説明する。『エスペラントの基礎』に沿って訳せば"Mi amas ĉi tiun."(ミ アーマス チ ティーウン)となるが,これは「私はこれを愛しています。」の意味となり、少し意味が強すぎてふさわしくないと感じるエスペランティストが多く、実際には"Mi ŝatas ĉi tiun."(ミ シャータス チ ティーウン)で代用することが多いが、これは元来「私はこれを高く評価します。」という意味であり、元の意味からは少しずれている(ただし,現行の辞書では動詞"ŝati"を「好きだ」の意味で使うことを追認している)。また、"Ĉi tiu plaĉas al mi."(チ ティーウ プラーチャス アル ミ)と訳すこともある。逐語訳すれば「これは私に気に入る」であり、完全に同じ意味ではないが、こちらの訳の方が「私はこれが好きです。」の意味に近い。

ほかの慣習的な変化としては、国名を表す接尾辞-uj-から-i-が主流に変わったことがある(例:JapanujoJapanio[2]。また、厳密に言えば、エスペラント化された単語のうち-aで終わる単語はすべて形容詞であるが、ヨーロッパ諸語でのMariaのように-aで終わる名前が使われることがあり、これを慣習的にエスペラント化された名詞として認められる辞書もある[3]。ただし、『エスペラントの基礎』に従うなら、エスペラント化された名詞は、すべてMarioのように-oで終わらなければならないはずであり、この立場をとる辞書もある[4]。またĥの発音がとりわけ難しいとされてkに置き換えられる[5]など、語形変化も起こっている。

加えてエスペランティストたちは、新しく登場した事物や概念、外来語を表すために、さまざまな新語を取り入れた。例えば1934年発行の"Plena Vortaro"は7004項目(ほぼ語根)からなるが、2005年発行の"La Nova Plena Ilustrita Vortaro"は16780項目からなる[6]。これらはそのまま使うのではなく、可能な限りエスペラントの造語法などに従った形で取り込まれている。例えば、コンピュータ(computer)はkomputilo(コンプティーロ)といった具合である(道具を意味する接尾辞-il-を使っている)。これにより、テレビやウェブやWindowsやMacなど、ザメンホフの時代には存在しなかった事物も自由に表現できるようになっている。「CD-ROMの中のbinというフォルダにあるボールペンのアイコンをダブルクリックするとウィンドウズにワープロのプログラムやファイル、フォントなどがインストールされます。このときインターネットに自動的にアクセスするので、通信を許可するようにファイアウォールを設定してください。」といった文章も、現代のエスペラントでは表現できるのである。

新語の導入はエスペランティストなら誰でも提案することができ、最終的には一種の「競争原理」を勝ち抜いて人口に膾炙するようになったものが受け入れられる。例えば「コンピュータ」に関しても、komputatorokomputero など様々な提案が行われたが,最終的にエスペランティストにとって最も簡潔と思われるkomputiloが勝ち残ったのである[7](この際,動詞komputi「計数・計量する」に「計算機で計算(演算)する」という意味が付け加えられた)。エスペラントの言語としての統制機関としてアカデミーオ・デ・エスペラントが在るが、個々のエスペランティストをがちがちに縛り付けるようなことはしていない[8]

新語はどんなものでも受け入れられるとは限らない。例えば「安い」を意味する新語ĉipa(チーパ・英語のcheapに由来)は、長たらしいmalmultekosta(マルムルテコスタ:mal/multe/kost/a=「(反対)・多く・費用・(形容詞)」)に代わるものとして造られたが、あまり使われていない。

最初の世界大会以降

1905年以降、世界エスペラント大会は二つの世界大戦の間を除き、毎年開催されている。

1920年代国際連盟の作業言語にエスペラントを加えようという動きがあった。日本の新渡戸稲造をはじめ10人の各国代表者が賛同したが、フランスの代表者ガブリエル・アノトーの激しい反対にあい、実現しなかった。フランス語英語国際語の地位を脅かされつつあり、エスペラントを新たな脅威とみなしていたからである。

その後、アドルフ・ヒトラーヨシフ・スターリンはエスペラントの人道主義性・博愛性に危険を感じ、エスペランティストたちを粛清した。ヒトラーは1925年の『我が闘争』第1部の中で「ユダヤ人は離散しているので各地の人々の言語を話しているが、もし各地の人々を隷属させたら、より簡単に彼らを支配するために世界語(たとえばエスペラント)を習わせるだろう」[9]として嫌悪感を表明し、政権をとった後でエスペランティストを迫害した。

年表


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  1. ^ M.ボウルトン著、水野義明訳「エスペラントの創始者ザメンホフ」(1993年、新泉社)p.128-130
  2. ^ 藤巻謙一「まるごとエスペラント文法」(2001年、日本エスペラント学会)、p.51
  3. ^ "Plena Ilustrita Vortaro"(1971年、Sennacieca Asocio Tutmonda)
  4. ^ "La Nova Plena Ilustrita Vortaro"(2005年、Sennacieca Asocio Tutmonda)
  5. ^ 辞典編集委員会編「エスペラント日本語辞典」(2006年、日本エスペラント学会)p443・ĥ解説
  6. ^ "La Nova Plena Ilustrita Vortaro"(2005年、Sennacieca Asocio Tutmonda)、前書き
  7. ^ 辞典編集委員会編「エスペラント日本語辞典」(2006年、日本エスペラント学会)p578・該当の語に対する「より望ましい語」の注記による
  8. ^ CED編、"Esperanto en Perspektivo"(1974年、世界エスペラント協会)、p664-669
  9. ^ Mein Kampf, Erster Band, 11. Kapitel:Volk und Rasse
  10. ^ 財団法人日本エスペラント学会 2009年度事業報告書
  11. ^ Hugo Röllinger "Monumente pri Esperanto - ilustrita dokumentaro pri 1044 Zamenhof/Esperanto Objektoj en 54 landoj",Universala Esperanto Asocio, Rotterdam 1997, ISBN 92 9017 051 4.
  12. ^ 特定非営利活動法人アニミ
  13. ^ 株式会社OVOが『就職ベストマッチング交流会2008』を開催 2月24日・東京渋谷/3月1日・大阪梅田
  14. ^ SWANY バッグ事業部 Q&A集
  15. ^ http://www.puk.jp/theatre/theater.html プーク人形劇場
  16. ^ http://www.festivalo.co.jp/karaimo_world/tenmonkan_festivalo.html
  17. ^ http://www.felica.ac.jp/mean.html
  18. ^ 手作りパン工房ボングスタ
  19. ^ http://www.mediafactory.co.jp/anime/rahxephon/onair/ab_world.html ラーゼフォン 世界観
  20. ^ 街区名称は「丸の内オアゾ(OAZO)」に決定
  21. ^ http://www.movado.com/AboutMovado.aspx
  22. ^ http://www.tokoyo.jp/wa_6.php
  23. ^ ヤクルトのマメ知識
  24. ^ Bicikla “Veturilo” en Varsovio


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