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インパール作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/27 09:02 UTC 版)
(ウ号作戦 から転送)
インパール作戦(インパールさくせん、日本側作戦名:ウ号作戦(ウごうさくせん))とは、1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され7月初旬まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。
補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用される。
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注釈
- ^ 2つの作戦を比較と言う表現は新見政一の表現に倣った記述だが、カイロ会談ではチンドウィン川渡河作戦に関する議論も英中間で行われている。
- ^ 1944年6月初頭に実施された。会談当時は1944年5月予定だったがこれを一ヶ月延期するかが問題になっていた。
- ^ 日本艦隊の動静分析については例えば2月24日、戦艦7、空母2、巡洋艦8、駆逐艦18の大部隊がシンガポールに向かっているという報告で混乱したことがある。トラック島空襲による部隊の後退であり、同港の修理能力やリンガ泊地の活用をしただけという正確な分析結果もあったが、英国側は確証を持てなかった。動機が何であれ、能力においてベンガル湾に進出可能な優勢な敵艦隊が出現したことは疑いの余地がなかったからである[20]。
- ^ 参考として1944年(昭和19年)初頭、空輸による中国への補給量は毎月13000トン前後だった
- ^ 第31師団後方担当参謀であった小口徳二の述べた見解[26]。ただし時代背景を考慮すれば、かなり潤沢な場合を見積もったものである。
- ^ タラク少将は、コヒマやディマプール、インパールの防備は手薄で、インパールへの食糧の集積も不十分、アラカン方面に5個師団が釘付けにされていたことを挙げ、仮にインパールへの誘致作戦を考えていたとしても、実際には何の役にも立っていないと評している[29]。
- ^ 牟田口は戦後連合軍の尋問に対して4月末に失敗を悟ったと語り、河辺は自身の日記の中で、4月中旬には失敗を悟ったと記している[35]。
- ^ 「一将功成りて万骨枯る」のもじり。
出典
- ^ a b アレン(1995年)下巻、付録3頁。
- ^ a b アレン(1995年)中巻、275頁。
- ^ a b c d 戸部(1991年)、142-143頁。
- ^ a b 戸部(1991年)、147-148頁。
- ^ 『戦史叢書 インパール作戦』、89-91頁;戸部(1991年)、149頁。
- ^ 『戦史叢書 インパール作戦』、95-101頁;戸部(1991年)、150-152頁。
- ^ a b 戸部(1991年)、153頁。
- ^ 『戦史叢書 インパール作戦』、105-106頁。
- ^ a b 戸部(1991年)、158頁。
- ^ 『戦史叢書 インパール作戦』、106-111頁。
- ^ 『戦史叢書 インパール作戦』、115頁;戸部(1991年)、157頁。
- ^ 『戦史叢書 インパール作戦』、123頁。
- ^ 『戦史叢書 インパール作戦』、126頁。
- ^ a b c 英国の姿勢転換、マウントバッテンへの命令、日本側の侵攻作戦把握については、荒川(2003年)、151頁。
- ^ 新見(1984年)、432-433頁。
- ^ 新見(1984年)、454-457頁。
- ^ カイロ会談、スマトラ、アンダマン両作戦については、新見(1984年)、458-467頁。
- ^ TARZAN取り下げについては、新見(1984年)、484-485頁。
- ^ アレン(1995年)中巻、178-179頁。
- ^ 新見(1984年)、480頁。
- ^ レド公路とパイプラインについては、新見(1984年)、475-476、485-486頁。
- ^ 新見(1984年)、「極東戦略に関する英国首相(戦争内閣)と英国幕僚長会議の間の意見対立」。
- ^ アレン(1995年)中巻、172-174頁。
- ^ a b c d e f g 『戦史叢書 イラワジ会戦』、209-212頁。
- ^ 『戦史叢書 インパール作戦』、184-185頁。
- ^ NHK取材班(1993年)、72頁以降。
- ^ 『戦史叢書 インパール作戦』、116頁。
- ^ 『戦史叢書 インパール作戦』、189-192頁。
- ^ タラク(1978年)、218-219頁。
- ^ 『陸戦史集 インパール作戦 上巻』、166-167頁。
- ^ a b 田部幸雄「インパール作戦で全滅した第15軍の軍馬12,000頭の悲劇」『獣医畜産新報』1977年6月
- ^ アレン(1995年)中巻、70-72頁。
- ^ 『責任なき戦場』、200頁。
- ^ 『責任なき戦場』、207頁。
- ^ 『責任なき戦場』、214頁。
- ^ 『責任なき戦場』、206頁。
- ^ 『戦史叢書 イラワジ会戦』、135-137頁。
- ^ 伊藤(1973年)、199頁。
- ^ 伊藤(1973年)、207頁。
- ^ 「美倉重夫さん=反原発を訴え和歌山県日置川町長に初当選」『毎日新聞』1988年7月4日東京朝刊3面
- ^ 「この人=野口英世記念医学賞を受賞した日本生物科学研究所主任研究員 阪崎利一さん」『産経新聞』1998年11月13日朝刊3面
- ^ 『サザエさんうちあけ話』ISBN 4784480013 参照。作内では「玉砕した」の記載がある。