ウンガルンとは?

辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書

初めての方へ

参加元一覧


用語解説|文献|全文検索
Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ウンガルンの意味・解説 

ウィキペディア

ウィキペディアウィキペディア

ハンガリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/19 06:49 UTC 版)

(ウンガルン から転送)

ハンガリー
Magyarország
ハンガリーの国旗 ハンガリーの国章
国旗 国章
国の標語: なし
国歌: 賛称(神よマジャル人を祝福し賜え)
ハンガリーの位置
公用語 ハンガリー語(マジャル語)
首都 ブダペスト(ブダペシュト)
最大の都市 ブダペスト(ブダペシュト)
政府
大統領 アーデル・ヤーノシュ
首相 オルバーン・ヴィクトル
面積
総計 93,030km2107位
水面積率 0.7
人口
総計(2011年 9,985,722人(80位
人口密度 108人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 26兆7,000億[1]フォリント
GDPMER
合計(2005年 1,562億[1]ドル(44位
GDPPPP
合計(2003年 1,960億[1]ドル(48位
1人あたり 19,499[1]ドル
オーストリア・ハンガリー帝国から独立
ハンガリー王国成立
ソビエト連邦による占領
第三共和国成立
1918年10月31日
1920年3月1日
1945年5月8日
1989年10月23日
通貨 フォリントHUF
時間帯 UTC +1(DST: +2)
ISO 3166-1 HU / HUN
ccTLD .hu
国際電話番号 36

ハンガリーは、中央ヨーロッパ共和制国家である。西にオーストリアスロベニア、北にスロバキア、東にウクライナルーマニア、南にセルビア、南西にクロアチアに囲まれた内陸国であり、首都はブダペスト

国土の大部分はなだらかな丘陵で、ドナウ川などに潤される東部・南部の平野部には肥沃な農地が広がる[2]。首都ブダペスト(ブダペシュト)にはロンドンイスタンブルに次いで世界で3番目に地下鉄が開通した。

目次

国名

正式名称はハンガリー語で Magyarország。公式の英語表記は Hungary

日本語の表記はハンガリー。漢字表記では洪牙利で、と略される。中国語では、ハンガリーのフン族語源説が伝えられて以降、フン族と同族といわれる匈奴から、匈牙利と表記するようになった。

ハンガリー語において、ハンガリー人もしくはハンガリーを指すMagyar は日本では「マジャール」と表記されることが多い。実際の音では伸ばさず「マジャル」となる。

歴史上、ハンガリー王国は多民族国家であり、今日のハンガリー人のみで構成されていたわけではなかった。そのため、その他の民族とハンガリー民族を特に区別する際に「マジャル人」という表現が用いられることがある。

「ハンガリー」は俗説にあるような「フン族」が語源ではなく、ドイツ語 Ungarn、ギリシャ語 Oungroi に見られるように元々は語頭の h がなかった。語源として一般に認められているのは、7世紀のテュルク系の Onogur という語であり、十本の矢(十部族)を意味する。これは初期のハンガリー人がマジャール7部族とハザール3部族の連合であったことに由来する。

ブダペストのドナウ川

2012年1月1日より新たな憲法「ハンガリー基本法」が施行され国名が変更された[3]

  • 1989年 - 2011年 ハンガリー共和国(Republic of Hungary、Magyar Köztársaság(マジャル ケスタールシャシャーグ))
  • 2012年 - ハンガリー(Hungary、Magyarország(マジャルオルサーグ))

歴史

詳細は「ハンガリーの歴史」を参照。

ハンガリーの国土はハンガリー平原と言われる広大な平原を中心としており、古来より様々な民族が侵入し、定着してきた。

古代にはパンノニアと呼ばれ、パンノニア族などが住んでいた。紀元前1世紀にはローマに占領され、属州イリュリクムに編入。1世紀中頃属州パンノニアに分離された。4世紀後半にはフン族が侵入、西暦433年に西ローマ帝国によりパンノニアの支配を認められ、フン族によってハンガリーを主要領土(一部現在のブルガリア・ルーマニアを含む)とする独立国家が初めて誕生した。

フン族はその後アキラ(日本では一般的にアッティラ)の時代に現在のハンガリーだけではなくローマ帝国の一部も支配下に収めたが、アキラが40歳で死亡した後、後継者の不在によりフン族は分裂。結果的に6世紀にはアヴァールの侵入を許す。その後、8世紀にはアヴァールを倒したフランク王国の支配下に移るが、フランク王国はほどなく後退し、9世紀にはウラル山脈を起源とするマジャル人が移住してきた。

10世紀末に即位したハンガリー人の君主イシュトヴァーン1世は、西暦1000年キリスト教に改宗し、西ヨーロッパカトリック諸王国の一員であるハンガリー王国アールパード朝)を建国した。ハンガリー王国はやがてトランシルヴァニアヴォイヴォディナクロアチアダルマチアなどを広く支配する大国に発展する。13世紀にはモンゴル帝国軍の襲来を受け大きな被害を受けた。14世紀から15世紀頃には周辺の諸王国と同君連合を結んで中央ヨーロッパの強国となった。

しかし、15世紀後半からオスマン帝国の強い圧力を受けるようになった。1526年には、モハーチの戦いに敗れ、国王ラヨシュ2世が戦死した。1541年ブダが陥落し、その結果、東南部と中部の3分の2をオスマン帝国(オスマン帝国領ハンガリー)、北西部の3分の1をハプスブルク家オーストリアによって分割支配され(王領ハンガリー)、両帝国のぶつかりあう最前線となった。

オスマン帝国が軍事的に後退すると、1699年カルロヴィッツ条約でハンガリーおよびハンガリー王国領のクロアチアやトランシルヴァニアはオーストリアに割譲された。ハンガリーにとっては支配者がハプスブルク家に変わっただけであり、たびたび独立を求める運動が繰り返された。1848年3月革命では、コッシュート・ラヨシュが指導した独立運動こそロシア帝国軍の介入により失敗したが、オーストリアに民族独立運動を抑えるための妥協を決断させ、1867年キエッジェズィーシュ(和協)が結ばれた。これにより、ハプスブルク家はオーストリア帝国とハンガリー王国で二重君主として君臨するが、両国は外交などを除いて別々の政府を持って連合するオーストリア=ハンガリー帝国となった。

オーストリア=ハンガリー二重帝国の体制下、資本主義経済が発展し、ナショナリズムが高揚したが、第一次世界大戦で敗戦国となり、オーストリアと分離された。1918年にハンガリー初の共和制国家であるハンガリー民主共和国が成立し、社会民主党系のカーロイ・ミハーイ (enが初代大統領及び首相を務める。さらに共産党との連立によってハンガリー革命が勃発し、クン・ベーラを首班とするハンガリー・ソビエト共和国が成立したが、ルーマニアの介入で打倒される(ハンガリー・ルーマニア戦争)。1920年に結ばれたトリアノン条約により、ハンガリーはトランシルヴァニアなど二重帝国時代の王国領のうち、面積で72%、人口で64%を失い、ハンガリー人の全人口の半数ほどがハンガリーの国外に取り残された。

ハンガリー王国(1920年 - 1946年)

1920年3月1日、ハプスブルク家に代わる王が選出されないまま、ホルティ・ミクローシュ摂政として統治するハンガリー王国の成立を宣言したが、領土を失った反動から次第に右傾化した。ドイツの後押しもありミュンヘン協定ウィーン裁定、スロバキア・ハンガリー戦争等で一部領土を回復した。第二次世界大戦では失地回復のため、およびナチスドイツからの圧迫を受けて枢軸国に加わったが、戦局は次第に劣勢となり、1944年にはホルティは枢軸国からの離脱を目指すが、ナチスドイツ軍と矢十字党によるクーデター(パンツァーファウスト作戦)で阻止され、1945年5月8日敗戦まで枢軸国として戦うことになった。1945年5月8日には、ナチスドイツが降伏・崩壊し、ハンガリーの全土はソビエト連邦に占領され、ファシズム体制下のハンガリー王国は事実上崩壊した。

共産党時代(1945年 - 1989年)

1945年5月8日の敗戦によってソビエト連邦に占領されたハンガリーでは、共産化が推進された。1946年2月1日には王制が廃止され、ハンガリー王国は名実ともに崩壊した。ソビエト連邦占領下のハンガリーでは、ハンガリー共和国(第二共和国)が成立したものの、1949年ハンガリー人民共和国が成立。共産党一党独裁国家としてソビエト連邦の衛星国となり、冷戦体制の中では東側の共産圏に属した。しかし、ソビエト連邦に対する反発も根強く、1956年にはハンガリー動乱が起こったが、ソビエト連邦軍に鎮圧された。

1980年代後半になると、ソビエト連邦のペレストロイカとともに、共産党(ハンガリー社会主義労働者党)独裁の限界が明らかとなった。1989年5月に、ハンガリーは西側のオーストリアとの国境に設けられていた鉄条網「鉄のカーテン」を撤去し、国境を開放した。これにより西ドイツへの亡命を求める東ドイツ市民がハンガリーに殺到、汎ヨーロッパ・ピクニックを引き起こし、冷戦を終結させる大きな引き金となった。そして、1980年代後半のハンガリー民主化運動の結果、1989年8月にはハンガリー社会主義労働者党が下野し、1989年10月23日には新憲法(ハンガリー共和国憲法)の施行によって、ハンガリー人民共和国が名実ともに崩壊した。

第三共和国(1989年 - 現在)

1989年10月23日ハンガリー共和国憲法施行に伴う非共産党政府の成立により、ハンガリー人民共和国は崩壊し、多党制に基づくハンガリー第三共和国が成立した。

1990年代、ハンガリーはヨーロッパ社会への復帰を目指して改革開放を進め、1999年北大西洋条約機構 (NATO) に、2004年欧州連合 (EU) に加盟した。

ハンガリー第三共和国の国旗国章では、ファシズム体制を敷いた矢十字党の「矢印十字」の紋章と、共産党時代の「赤い星」の紋章が消去されている。又、ナチスドイツ、矢十字党、ソビエト連邦共産党一党独裁による圧制の反動から、「鉤十字」「矢印十字」「鎌と槌」「赤い星」の使用が、1993年の改正刑法にて禁止されている[4]2008年にはバルト三国全域で、2009年11月にはポーランド第三共和国で、「鉤十字」と「鎌と槌」の両方を禁止する法律が可決された。




[ヘルプ]
  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ 農林水産省. “ハンガリーの農林水産業概況 (HTML)”. 2008年8月9日閲覧。
  3. ^ 在ハンガリー日本国大使館案内. “ハンガリーの国名変更 (HTML)”. 2012年1月15日閲覧。
  4. ^ ハンガリー文化センター 2008年7月6日~12日のニュース
  5. ^ 『科学朝日』 モンゴロイドの道 朝日選書 (523) より。北方モンゴロイド特有の酒が飲めない下戸遺伝子 日本人: 44%、ハンガリー人: 2%、フィン人: 0% 下戸遺伝子とは、アセトアルデヒド脱水素酵素 (ALDH) の487番目のアミノ酸を決める塩基配列がグアニンからアデニンに変化したもので、モンゴロイド特有の遺伝子であり、コーカソイド(白人)・ネグロイド(黒人)・オーストラロイド(オーストラリア原住民等)には存在しない。よってこの遺伝子を持つということは、黄色人種であるか、黄色人種との混血であることの証明となる[2]
  6. ^ a b c d e 田代文雄『東欧を知る事典』692頁


「ハンガリー」の続きの解説一覧






ウンガルンのページへのリンク
「ウンガルン」の関連用語

注目の情報

ウンガルンのお隣キーワード
モバイル
モバイル版のWeblioは、下記のURLからアクセスしてください。
http://m.weblio.jp/
» モバイルで「ウンガルン」を見る
_ _   


ウンガルンのページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのハンガリー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2012 Weblio RSS