ウラジーミル・スーズダリ大公国
ウラジーミル・スーズダリ大公国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 18:41 UTC 版)
「キエフ大公国」の記事における「ウラジーミル・スーズダリ大公国」の解説
公の権限を強化しようとしたウラジーミル大公アンドレイ・ボゴリュブスキーによる独裁政治と、それを除こうとするボヤーレのクチコ(ru)・下位層のドルジーナとが対立する事件が起きた。しかしアンドレイの死(1174年)の後、ボヤーレ側は敗北し、公個人の権力が大幅に増大することになった。とはいえ、その後14世紀の直前まで、ウラジーミル・スーズダリ大公国ではヴェーチェに関する言及が見出されることから、ヴェーチェは権力闘争の中において大きな役割を担うことになったと推測される。
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