ウォーナーリストとは? わかりやすく解説

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ラングドン・ウォーナー

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/10 07:02 UTC 版)

ラングドン・ウォーナーLangdon Warner1881年8月1日 - 1955年6月9日)は、アメリカ美術史家。ランドン・ウォーナーとも表記される。シルクロードの探検家であり、アメリカ芸術科学アカデミーフェロー(1927年)[1]


  1. ^ Book of Members, 1780-2010: Chapter W”. American Academy of Arts and Sciences. 2011年4月15日閲覧。
  2. ^ From the Harvard Art Museums' collections Eight Men Ferrying a Statue of the Buddha (from Mogao Cave 323, Dunhuang, Gansu province)”. 2011年1月閲覧。
  3. ^ Eight Men Ferrying a Statue of the Buddha”. 2011年1月閲覧。
  4. ^ Eight Men Ferrying a Statue of the Buddha”. 2011年1月閲覧。
  5. ^ モースの沖縄コレクションネットワーク 3.ランドン・ウォーナー―沖縄で収集(ピボディ・エセックス博物館) (PDF) アメリカ大使館「アメリカン・ビュー」2008年冬号
  6. ^ a b c ウォーナー博士の功績をめぐる異説について (PDF) 稲村退三、茨城大学五浦美術文化研究所報 第10号 1985年
  7. ^ Peter Hopkirk (2006). Foreign Devils on the Silk Road. John Murray. ISBN 978-0-7195-6448-2. https://books.google.co.uk/books?id=DoxsQDBQHYEC&printsec=frontcover&f=false#v=onepage&q&f=false 
  8. ^ From the Harvard Art Museums’ collections Eight Men Ferrying a Statue of the Buddha (from Mogao Cave 323, Dunhuang, Gansu province)”. 2017年12月26日閲覧。
  9. ^ ここから持ち去られた壁画はいまハーバード大学にある。”. 2017年12月26日閲覧。
  10. ^ 壁画はいまハーバード大学にある。”. 2017年12月26日閲覧。
  11. ^ ウォーナー伝説と敦煌”. 2017年12月26日閲覧。
  12. ^ 蔵経洞の大発見と殺到する探検家たち”. 2017年12月26日閲覧。
  13. ^ アメリカのウォーナー博士の探検隊が勝手に壁画を剥がした。”. 2017年12月26日閲覧。
  14. ^ 下村海南. 終戦秘史. 講談社学術文庫 700. p. 283. ISBN 4061587005 
  15. ^ a b 都市の計画と京都の自己イメージの特徴 明治・大正・昭和の三断面を (PDF) 京都大学『人文』第53号、2006
  16. ^ 大谷大学図書館のこと (PDF) 大谷大学図書館・博物館報(第26号)2009年
  17. ^ a b c “【正論】日本人の安易な感謝癖と謝罪癖 比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘氏”. 産経ニュース. (2010年9月27日). オリジナルの2010年10月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101015025854/sankei.jp.msn.com/politics/policy/100927/plc1009270258003-n1.htm 
  18. ^ 平川祐弘. 日本の正論. 河出書房新社. pp. 66-67. ISBN 978-4309246673 
  19. ^ 最終講義「歴史を学ぶ楽しさ」(鈴木良) (PDF) 立命館産業社会論集(第36巻第1号)2000年6月
  20. ^ 毎日新聞2007年1月14日、五百旗頭 「個人が歴史を変えた」「回避された京都への原爆」
  21. ^ 内海のインタビュー


「ラングドン・ウォーナー」の続きの解説一覧

ウォーナーリスト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 10:01 UTC 版)

ラングドン・ウォーナー」の記事における「ウォーナーリスト」の解説

太平洋戦争時日本多く都市・地域空爆があったが、京都爆撃されなかった。この事実理由として、ウォーナーが、空爆すべきでない地名リスト(ウォーナーリスト)を作成して米政府進言したから、という説がある。リストは、戦前ウォーナー翻訳作業手伝った日本古代美術展カタログ下敷き作成された。ウォーナー親交があった美術研究家矢代幸雄が、1945年11月朝日新聞にウォーナーリストが文化財救ったという談話発表したことから広まり以来広く一般に知れ渡ったウォーナー知己である牧野伸顕の『回顧録』、近藤啓太郎の『日本画誕生』や岡倉覚三村岡博訳の『茶の本』の解説福原麟太郎)などにも、その旨記述がある。また、下村宏自著で、ハロルド・ヘンダーソン(英語版)の話によると、と前置きしてこの説を述べている。 米国軍事資料をもとにした研究により、1945年7月ポツダム会談のさなかに至るまで、米国陸軍航空部隊京都原爆投下最有力都市のひとつに温存しており、原爆物理的効果測定するため、京都通常爆撃対象から外していたことが判明しているが、矢代らによるウォーナー賛美により、1950年には、通常爆撃目標からの除外原爆投下目標のためであったにも関わらず京都日本文化象徴であり、爆撃目標から特に除外され世界平和生きた記念像である」という認識に基づく「京都国際文化観光都市建設法」が公布されウォーナー亡くなった1955年には勲二等瑞宝章授与され高山義三京都市長ハーバード大学感謝状贈った京都救ったのはウォーナーであるという話に基づいて1958年6月法隆寺西円堂近く供養塔顕彰碑ウォーナー塔 (Warner Monument) が建立された。また「ウォーナーリストへの掲載=貴重である証し」といった解釈各方面でなされ、1961年には鈴木大拙が「ウォーナー博士爆撃から除外されるべきものとして米国大統領進言した文化財中でも特に貴重なものとして、大谷大学図書館指摘されている」と語り同大学の新図書館建設のための募金活動つながった鎌倉にも同趣旨に基づくプレートがある。さらにウォーナーへの感謝胸像作られ米国の大学寄贈されたこともある。なお、平川祐弘ウォーナー困惑し、この胸像人目につかない地下室置いたことを紹介している。

※この「ウォーナーリスト」の解説は、「ラングドン・ウォーナー」の解説の一部です。
「ウォーナーリスト」を含む「ラングドン・ウォーナー」の記事については、「ラングドン・ウォーナー」の概要を参照ください。

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