ウォルター・クライスラーとは? わかりやすく解説

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ウォルター・クライスラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/09 08:11 UTC 版)

ウォルター・クライスラー
Walter Chrysler
1937年10月8日
生誕 (1875-04-02) 1875年4月2日
アメリカ合衆国 カンザス州ウェイミーゴウ
死没 (1940-08-18) 1940年8月18日(65歳没)
アメリカ合衆国 ニューヨーク州キングスポイント
墓地スリーピー・ホロウ共同墓地
出身校国際通信学校
職業機械工
マネージャー
起業家
著名な実績クライスラーの設立
配偶者デラビオ・ラフォーカー
子供2人
家族エドガー・ガービッシュ(義理の息子)

ウォルター・パーシー・クライスラー(英語:Walter Percy Chrysler1875年4月2日 - 1940年8月18日)は、アメリカ合衆国の実業家。クライスラー社の創業者である。

経歴

クライスラー・ビルディング(2005年6月11日)

1875年4月2日カンザス州ウェイミーゴウに誕生した。父はカナダチャタム出身のドイツ・オランダ系で、母はミズーリ州出身のドイツ系である。

クライスラーの自動車業界での経歴は、アメリカン・ロコモティブ社(アメリカ機関会社:ALCO)が自動車産業への参入を決定したときに始まる。当時、ALCO社は多様化の一環として自動車製造に参入した。ヴァンダービルト杯で優勝するなどレースでは強かったが、販売には結びつかなかった。クライスラーはその当時工場長を務めていたが、ALCOが自動車業界からの撤退を決定する2年前の1911年ビュイック自動車会社に移った。

1919年にビュイックの社長を辞任し、ゼネラルモーターズ副社長となり、1921年にマックスウェル自動車会社の株式を大量に取得した。1925年にマックスウェルとチャーマーズを統合し、自らの名を冠したクライスラー社を創業した。1928年にはプリムスとデ・ソートの両ブランドを設立した。同年にタイム誌の「今年の人」に選ばれた。

1929年ダッジ社を買収し、ビッグスリーの一角に成長した。第二次世界大戦前には高い技術力でゼネラルモーターズに次ぐ第2位の座に着いたこともある[1]。また超高層ビル建設に融資し、ニューヨークマンハッタン島クライスラー・ビルディングが建設された。著書に自叙伝である「ザ・ライフ・オブ・アン・アメリカン・ワークマン(アメリカ人労働者の一生)」がある。

死去

1940年8月18日にその生涯を終え、現在はスリーピー・ホロウ共同墓地に眠っている。1967年自動車殿堂入りした。

死去後のクライスラー

この後のクライスラー社は、1987年ジープイーグルの両ブランドをアメリカン・モーターズから買収し、ビッグスリーの一角ではあり続けたものの、1998年ドイツダイムラー・ベンツによって事実上吸収合併され、ダイムラー・クライスラーが誕生する。

しかし、2007年に合併は解消され、クライスラー部門はサーベラス・キャピタル・マネジメントに売却された。2009年4月30日にニューヨーク州連邦倒産法第11章の適用を申請して破産し、以後はフィアットグループ傘下でのブランド再建を目指す。

その他

フリーメイソンの会員であった[2]

脚注





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