ウェンブリー・スタジアム
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ウェンブリー・スタジアム(英語: Wembley Stadium)はイギリス、ロンドンのブレント区ウェンブリーにあるサッカー専用のスタジアム。
- ^ “Wembley kick-off: Stadium is ready and England play first game in fortnight”. Daily Mail (London). (2007年3月9日) 2007年3月19日閲覧。
- ^ Projects : Wembley Stadium. Populous.com .
- ^ a b c d “Wembley Stadium, London”. Design Build Network (2006年6月19日). 2010年8月11日閲覧。
- ^ Tottenham Hotspur on Twitter: "We’ve reached agreement with @WembleyStadium to play our @ChampionsLeague fixtures there for the 2016/17 season. https://t.co/BPCGmW1mrQ"
- ^ Tottenham Hotspur on Twitter: "…The agreement additionally provides an option to play all @PremierLeague & cup home games at @WembleyStadium for the 2017/18 season. 2/2"
- ^ “Wembley Stadium finally connects with EE”. SportsPro Media (2014年2月26日). 2020年6月4日閲覧。
- ^ 北澤豪氏提出資料 国立競技場整備計画再検討のための関係閣僚会議(第2回)平成27年8月10日
- ^ 芝生のとっておき話(4)2003/08/28 スタッフブログ|日産スタジアム
- ^ “WEMBLEY STADIUM TO HOST FROCH V GROVES REMATCH”. Wembley Stadium. 2014年3月4日閲覧。
- 1 ウェンブリー・スタジアムとは
- 2 ウェンブリー・スタジアムの概要
- 3 概要
- 4 サッカー以外のイベントの利用
- 5 脚注
ウェンブリー・スタジアム
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「ライヴエイド」の記事における「ウェンブリー・スタジアム」の解説
コールドストリームガーズ 軍楽隊 - 当日、来賓として招かれたチャールズ皇太子と(当時)ダイアナ妃を迎え入れるための演奏を担当。ちなみに、このライヴエイドの発起人である、ボブ・ゲルドフも、この2人と一緒に入場している。人権問題に大変な関心を寄せていたダイアナ妃の意向で、この2人の出席が実現した。 ステイタス・クォー - このバンドの「ロッキン・オール・オーヴァー・ザ・ワールド」でライヴエイドの幕は上がった。 ザ・スタイル・カウンシル ブームタウン・ラッツ - バンド自体は開店休業状態だったが「哀愁のマンデイ」など過去のヒット曲を披露。3曲目の「ラット・トラップ」はボブが、あまりの興奮のためにマイクのケーブルを抜いてしまい、歌声を消してしまった。そのため、この曲はDVD未収録。 アダム・アント ウルトラヴォックス - 「Reap the Wild Wind」「Dancing With Tears in My Eyes」「One Small Day」「Vienna」の4曲を披露。ミッジ・ユーロはギターとE-MU Systems社のシンセサイザーEmulator IIを交互に演奏しつつ歌唱した。 スパンダー・バレエ - ヒット曲「トゥルー」を披露した。 エルヴィス・コステロ - ビートルズの「愛こそはすべて」をエレキギター1本で披露した。 ニック・カーショウ シャーデー スティング(元ポリス) - ポリスのデビュー曲、「ロクサーヌ」を披露。 フィル・コリンズ - 自身の「見つめて欲しい」を歌い終えた後、スティングとポリスの「見つめていたい」で共演。その後、ヒースロー空港からコンコルドに乗り込みアメリカの会場へ移動。 ハワード・ジョーンズ - ピアノ一台で自身の代表曲、「かくれんぼ」を歌唱。 ブライアン・フェリー デヴィッド・ギルモア(ピンク・フロイド) - ライブエイドには、ブライアン・フェリーのバンド・メンバーとして出演。 ポール・ヤング - この会場のフィナーレを飾る、「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」をソロで歌唱。4曲目にはダリル・ホール&ジョン・オーツのカバー曲「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」を披露。 アリソン・モイエ - ポール・ヤングの3曲目でポール・ヤングと共演。 U2 - ボーカルのボノが2曲目、「バッド」の間奏中に客席から女性客を引っ張り出し、その女性とダンスを踊り出し、その後、テレビクルーの女性スタッフとも踊るという珍事を起こした。なお客席から客を引っ張り出す行為は取り決めで禁止されていた。 ダイアー・ストレイツ - スティングがコーラスで参加。 クイーン - 「ボヘミアン・ラプソディ」(バラード部分のみの短縮版)、「RADIO GA GA」、「ハマー・トゥ・フォール」、「愛という名の欲望」、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」(短縮版)、「伝説のチャンピオン」と全出演陣の中でも最多となる6曲を披露。そのライヴ・パフォーマンスは他を圧倒し、ボブ・ゲルドフも彼らを絶賛した。この出演が当時、解散寸前状態と言われていたバンドを再浮上させる大きな転機となった。このステージの模様はクイーンを題材として33年後の2018年に公開された映画『ボヘミアン・ラプソディ』にて細部に至るまで忠実に再現された。 デヴィッド・ボウイ - 4曲目の「ヒーローズ」が終わった段階で、このライヴエイドのきっかけとなったCBCによる「エチオピア大飢饉」の映像が流れる。 ザ・フー - 1985年時点では解散していたが、この日限り再結成。「マイ・ジェネレーション」「ピンボールの魔術師」「愛の支配」「無法の世界」の4曲を演奏。序盤で中継電源が切れるトラブルによりアメリカ・イギリス両方で映像が途切れてしまった。 エルトン・ジョン キキ・ディー - 既にエルトンのコーラスメンバーにいたが3曲目の「恋のデュエット」でエルトンと共演。終了後、再びコーラスに戻る。 ワム! - ジョージ・マイケルはエルトンの伴奏で、「僕の瞳に小さな太陽」を歌唱。相方でリーダーのアンドリュー・リッジリーはコーラスメンバーに加わった。なおイギリス会場で一番の声援を浴びたメンバーが、この2人だった。 フレディ・マーキュリー&ブライアン・メイ - クイーンの2人が「悲しい世界」を歌うためだけに、この形をとった。 ポール・マッカートニー(元ビートルズ) - 「レット・イット・ビー」をピアノの弾き語りで披露。曲の中盤からボブ・ゲルドフ、アリソン・モイエ、デヴィッド・ボウイ、そしてザ・フーのギタリストである、ピート・タウンゼントがコーラスで参加。しかし、ポールの直前に出演したフレディ・マーキュリー&ブライアン・メイのスタッフが誤ってマイクのケーブルを抜いてしまったため、曲の前半ではポールの歌声が全く聞こえなかった。後に発売されたDVDでは、ライブ翌日にBBCのスタジオでボーカルを収録し直したものが採用された。観客からの歓声が、曲が始まってしばらく経ってから起こるのはそのためである。アーティスト個々の出演としては、ポールがイギリスでのトリを務めた。 バンド・エイド - 「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」を出演者全員で歌唱。レコードとは歌唱者・順番が異なっており、レコードではポール・ヤングが最初に歌っているが、ここではデヴィッド・ボウイが最初の部分を歌っている。ボブ・ゲルドフとジョージ・マイケルがメイン・ボーカルを担当しており、ジョージとボノはレコードと同じ場所を歌っている。
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