ウェルナー・フォン・ブラウン
氏名:ウェルナー・フォン・ブラウン
国籍:ドイツ/アメリカ合衆国
出生地:プロシア国ビルジッツ(現在のビージスク)
生年月日:1912年3月23日
没年月日:1977年6月16日
業績:「ロケットの父」。弾道ミサイルV2の開発。アメリカ初の人工衛星の打ち上げに成功。NASAのジョージ・マーシャル宇宙飛行センター初代所長就任。レッドストーン、ジュピター、サターン・ロケットを開発。
ロケットの初期からアポロの月着陸まで開発に関わり、ロケットを現在の水準に高めた天才です。 1912年ポーランドの裕福な男爵家に生まれ、少年時代は数学と天文学が得意でした。 19歳の時(1932年)に全長2mのロケットを高度1,600mまで打ち上げ、世界記録を作りました。
ベルリン工科大学でロケットを研究した後、第二次大戦中はドイツの陸軍ロケット研究所で弾道ミサイルV2の研究・開発を行いました。戦後は所員とともにアメリカに亡命。軍とNASAに所属し、アメリカ初の人工衛星打ち上げに使われたレッドストーンや、アポロ計画で人類を月に送ったサターン・ロケットを開発しました。
ヴェルナー・フォン・ブラウン
(ウェルナー・フォン・ブラウン から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 04:05 UTC 版)
ヴェルナー(ヴェルンヘル)[1]・マグヌス・マクシミリアン・フライヘル(男爵)・フォン・ブラウン(Wernher Magnus Maximilian Freiherr von Braun, 1912年3月23日 - 1977年6月16日)は、工学者であり、ロケット技術開発の最初期における最重要指導者のひとりである。第二次世界大戦後にドイツからアメリカ合衆国に移住し、研究活動を行った。ソ連のセルゲイ・コロリョフと共に米ソの宇宙開発競争の代名詞的な人物である。
- ^ Wernher はヴェルンヘルと転写される (ドイツ語発音: [' vɛrnhɛr], Das Aussprachewörterbuch (6 ed.). Duden. p. 834. ISBN 978-3-411-04066-7)。日本ではヴェルナーと表記されるが、関連はあるものの別の名前 (Werner, ドイツ語発音: [' vɛrnɐ], Das Aussprachewörterbuch (6 ed.). Duden. p. 834. ISBN 978-3-411-04066-7) 。
- ^ 西條寿雄 「ロケットと火薬の歴史書:その起源から近代ロケットの誕生まで」によると、フォン・ブラウンはベルリン大学で学んだ形跡はなく、工学士も取得していない。
- ^ 武田知弘「ナチスの発明」45ページ
- ^ “Qian Xuesen: Scientist and pioneer of China's missile and space programmes”. インデペンデント (2009年11月13日). 2017年6月2日閲覧。
- ^ “A dragon in winter”. Space Reviw (2008年1月4日). 2018年10月17日閲覧。
- ^ Chang, Iris (1996). Thread of the Silkworm. Basic Books. p.112 ISBN 978-0-465-00678-6.
- ^ フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿
- 1 ヴェルナー・フォン・ブラウンとは
- 2 ヴェルナー・フォン・ブラウンの概要
- 3 アメリカ時代
- 4 死去
- 5 演じた人物
ウェルナー・フォン・ブラウン
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「天空の覇者Z」の記事における「ウェルナー・フォン・ブラウン」の解説
ペッパー飛行曲芸団のメンテナンス担当者にしてベルリン大学所属のメカニックの天才技術者。メガネと猫のようなヒゲがチャームポイントで、ウェルという愛称で呼ばれる。欧州に流れついた天馬にとっては、「ヨーロッパで出来た最初の友人」にして、技術面での相棒。ナチスに「未来から来た頭脳」と噂される程の技術者・設計者であり、初登場時はZ砲の発射が上手くいかなかった欠陥を、完全改修する事で見事克服し、その功績を持ってZ艦長補佐官に任命され、最終話までZの担当メカニック兼設計者として活躍する。
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