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ウィリアム・ウィリス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/09 12:23 UTC 版)

ウィリアム・ウィリスWilliam Willis, 1837年 - 1894年)は、幕末から明治維新にかけて日本での医療活動に従事したイギリス人医師(医学博士)、お雇い外国人


  1. ^ 日本勤務を希望した理由として、ウィリスは家族への手紙に「年俸500ポンドという英国ではとても期待できない収入」が得られるためと記している
  2. ^ 母親はウィリスの遺言書に記されていた「ちの」という女性か?
  3. ^ 大山巌の依頼で前線近くの相国寺養源院に野戦病院を置き薩摩藩兵(西郷従道など)の治療にもあたった。
  4. ^ 高崎・軽井沢・上田・善光寺を経由して高田・柏崎・新潟・新発田で治療に従事、落城直後の会津若松の様子も目撃した。
  5. ^ 明治政府が正式にドイツ人医師の派遣を要請したのはウィリスの退職後であるが、新政府の医学取調掛に任命された相良知安・岩佐純が大学に基礎を置き研究活動を重視するドイツ医学の採用を主張していた
  6. ^ アダムズは公式の覚書「ウィリス博士の鹿児島病院」のなかで、ウィリスが患者の治療だけではなく食生活の改善・公衆衛生・予防医学・教育などの分野で多くの業績をあげていることを報告している。
  7. ^ 鹿児島県士族江夏(こうか)十郎の娘である。
  8. ^ 1873年、次男アルバートが生まれ、異母兄のジョージとともに養育されたと思われる。
  9. ^ 後に海軍軍医となった高木は「根拠に基づいた医療」を特性とするイギリス医学に依拠して、当時流行していた脚気が栄養の不足に基づくものと考え、兵食改革をすすめ、海軍における脚気の発生率を劇的に低下させた。他方、研究を重視するドイツ医学の流れをくむ陸軍では高木の考えは否定され、結果として日清戦争日露戦争では多くの脚気患者を出してしまった。


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