インド大反乱とは? わかりやすく解説

インド‐だいはんらん【インド大反乱】


インド大反乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 08:12 UTC 版)

インド大反乱(インドだいはんらん、: Indian RebellionSepoy Mutiny)は、1857年から1858年の間にインドで起きたイギリス植民地支配に対する反乱民族的抵抗運動のことである。かつては「シパーヒーの乱」、「セポイの反乱」、「セポイの乱」と呼ばれたが、反乱参加者の出身・身分が多岐にわたり、インド社会全体に広がっていた事から、最近では「インド大反乱」と呼ばれる様になっている。


注釈

  1. ^ 江戸時代の日本の武家諸法度における「末期養子の禁」と同様に、養子に藩王位を世襲させることを認めない原則。
  2. ^ ここでいうライフル銃とは「銃身内部にライフリングが刻まれた小銃」という意味。それまでの滑腔式の小銃と異なり正確な命中精度と強力な威力を持つ。
  3. ^ 先込め銃に装填する一発分の火薬と弾丸をセットで紙包みに包んだもの。
  4. ^ 薬包を口中で噛んで柔らかくしたもの。
  5. ^ ヒンドゥー教におけるアヒンサー、イスラム教におけるハラール
  6. ^ 18世紀的な密集銃隊で運用された。
  7. ^ 殉教者としての宗教的葬儀を妨害する意図もあった。

出典

  1. ^ File:Indian revolt of 1857 states map.svg
  2. ^ The Gurkhas by W. Brook Northey, John Morris. ISBN 8120615778. Page 58
  3. ^ 1
  4. ^ 長崎暢子 『インド大反乱一八五七年』 中央公論社、1981年、33-37頁。
  5. ^ 長崎、58-60頁。
  6. ^ 長崎、60-63頁。
  7. ^ メトカーフ『ケンブリッジ版世界各国史 インドの歴史』、p.174
  8. ^ 辛島昇編『南アジア史』山川出版社、2004年、330頁。
  9. ^ a b チャンドラ『近代インドの歴史』、p.141
  10. ^ a b c d e メトカーフ『ケンブリッジ版世界各国史 インドの歴史』、p.148
  11. ^ メトカーフ『ケンブリッジ版世界各国史 インドの歴史』、p.147
  12. ^ 辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、p.330
  13. ^ a b c ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.268
  14. ^ 辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、pp.322-323
  15. ^ 辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、p.323
  16. ^ チャンドラ『近代インドの歴史』、p.152
  17. ^ チャンドラ『近代インドの歴史』、p.155
  18. ^ 長崎、122-129頁。
  19. ^ 長崎、103-104頁。
  20. ^ 長崎、137-153頁。
  21. ^ チャンドラ『近代インドの歴史』、p.153
  22. ^ チャンドラ『近代インドの歴史』、p.158
  23. ^ a b 辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、p.335
  24. ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.298


「インド大反乱」の続きの解説一覧

インド大反乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 16:02 UTC 版)

ラクシュミー・バーイー」の記事における「インド大反乱」の解説

王国失った後の3年間、隠棲ラクシュミー・バーイー表立った反英活動行っていない。 しかし、1857年5月にインド大反乱が勃発すると、ジャーンシーでもシパーヒー民衆蜂起しジャーンシー城(英語版)に駐留していたイギリス軍降伏させ捕虜虐殺すると、反乱軍イギリス仲介図ろうとした彼女に虐殺加担嫌疑かかった。更に、シパーヒー達がデリー転進しジャーンシー空白地帯になってしまい、民衆推戴受けたラクシュミー・バーイージャーンシー執政となる。 私財投じて集めた傭兵民衆から募った義勇軍率いた彼女は、7月イギリスと結ぶことで利権得ていた近隣藩王領主攻撃を自ら陣頭立って撃退し8月ジャーンシー城を奪還して、一躍反英闘争旗手として知られるようになった。 この件で、イギリス敵対することになってしまったジャーンシーは、イギリス軍による攻撃を受けることになる。近代装備を持つ圧倒的な大軍対し女子供まで含んだ義勇兵中心に対抗したジャーンシー軍は、ジャーンシー城で頑強な抵抗続けイギリス指揮官ヒュー・ローズ(英語版少将は、余り苦戦ぶりに 「 理由は十分すぎるほど明らかである。彼らは王妃のために、そして自分たちの国の独立のために闘っているのだ。 」 と書き残している。 ラクシュミー・バーイーも自らライフルを手に戦ったが、半月篭城戦の末に、1858年4月に砦は陥落してしまい、民衆懇願受けたラクシュミー・バーイーわずかな手勢と共に砦を脱出した途中でいったんイギリス軍逮捕されたものの、護送イギリス士官手づから斬殺して脱出したという逸話残っている)。 ラクシュミー・バーイー脱出したのち、カールピーで他の反乱軍指導者達合流するが、落としどころ探っていた他の指導者達徹底抗戦を叫ぶ彼女とでは意見合わず女性ということもあって孤立することになる。 ここもイギリス軍の攻撃受けて陥落すると、再び脱出した彼女は計略をもって6月1日グワーリヤル藩王国シンディア家)の支配していたグワーリヤル城無血奪取し、ここを拠点とした。 これに衝撃受けたイギリス軍は、グワーリヤル城大軍差し向けて攻撃した同月16日から総攻撃行い6月18日迎撃出陣したラクシュミー前線指揮中に狙撃され戦死し20日グワーリヤル城陥落したラクシュミー・バーイーと度々戦った敵将ローズは、彼女の遺体荼毘付し貴人対する礼を以て葬儀行ったという。

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インド大反乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 15:03 UTC 版)

サム・ブラウン」の記事における「インド大反乱」の解説

1857年5月10日スィパーヒー蜂起端を発するインド大反乱が発生ブラウン英印軍一員として反乱の鎮圧従事した1858年8月31日インドのシーラポラー(Seerporah)における戦い参加する。この戦いでブラウン左腕失ってしまうが、戦功を讃えられヴィクトリア十字章授与された。1861年3月1日付の英国政府官報ロンドン・ガゼット紙は英国戦争省英国国防省前身)が発表したインド大反乱におけるヴィクトリア十字章受章者一覧の中で、ブラウンについて次のように報じている。 1858年8月31日、シーラポラーにてカーン・アリー・カーン(Khan Allie Khan)指揮下の反乱軍戦闘があった。昼頃英国陸軍敵陣突破整然たるインド騎兵協働し9ポンド砲を備えた砲兵陣地攻勢砲手攻撃。これにより再装填妨害し攻勢中の友軍歩兵対す砲撃阻止した。 この最中、第2パンジャブ騎兵隊率いたサミュエル・ジェームズ・ブラウン大尉(現在は中佐)は左膝に深刻な刀傷受けた上、さらに肩から左腕切り落とされた。だがしかし同時にブラウン中佐襲撃してきた敵兵斬り捨てたのである彼の働きにより9ポンド砲陣地は我が方歩兵占領し砲手処刑された。 — ロンドン・ガゼット

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