インゴ・シュトイアーとは?

辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書

初めての方へ

参加元一覧


用語解説|プロフィール|全文検索

ウィキペディア

ウィキペディアウィキペディア

インゴ・シュトイアー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/04/25 08:20 UTC 版)

インゴ・シュトイアー
オリンピック
フィギュアスケート
1998 ペア

インゴ・シュトイアーIngo Steuer1966年11月1日 - )は、ドイツケムニッツ出身の男性フィギュアスケート選手。1998年長野オリンピックペア銅メダリスト。1997年世界フィギュアスケート選手権ペアチャンピオン。パートナーはマンディ・ベッツェルなど。

目次

経歴

東ドイツのカール・マルクス・シュタット(現在のケムニッツ)に生まれ、幼少期にスケートを始めた。マヌエラ・ラントグラフ(Manuela Landgraf)とペアを組んで1984年の世界ジュニア選手権で優勝、同選手権初のドイツ人優勝者となる。1988-1989シーズンよりイネス・ミュラーとペアを組み、欧州選手権で7位になる。

1992-1993シーズンからマンディ・ベッツェルとペアを組み、1995年の欧州選手権に続いて1996-1997シーズンのISUグランプリファイナルおよび世界選手権で優勝。1997年、膝の手術や交通事故に遭うトラブルを経るも、翌年の長野オリンピックで銅メダルを獲得、のちプロに転向した。

アリオナ・サフチェンコ & ロビン・ゾルコーヴィのコーチである。同ペアのトリノ五輪出場前、シュトイアーは東ドイツ時代にシュタージ秘密警察)に協力していたという告発を受けた。一旦は代表チームから外されたが、大会直前になってベルリン地裁の処分撤回命令を受けてチームに復帰する。[1]その後もシュトイアーとドイツスケート連盟との確執は続き、サフチェンコとゾルコーヴィはコーチの変更を迫られ、これを拒否したため国からの財政支援を打ち切られるなどしたが、2007年5月、ドイツスケート連盟がシュトイアーを同ペアのコーチとして正式に認めたことにより、騒動は収束した。[2]

主な戦績

大会/年 1989-90 1990-91 1991-92 1992-93 1993-94 1994-95 1995-96 1996-97 1997-98
オリンピック 8 棄権 3
世界選手権 2 4 5 2 1
欧州選手権 7 7 6 2 5 1 2 2 3
ドイツ選手権 4 2 1 1 1 1
東ドイツ選手権 3

関連項目

外部リンク




  1. ^ <トリノ五輪>シュトイアー、ドイツ五輪チームへ復帰”. AFP BB (2006年2月9日). 2007年11月21日閲覧。
  2. ^ Flade, Tatjana (2007年7月10日). “Mission accomplished” (英語). Golden Skate. 2007年11月21日閲覧。





固有名詞の分類




インゴ・シュトイアーのページへのリンク
「インゴ・シュトイアー」の関連用語
インゴ・シュトイアーのお隣キーワード
モバイル
モバイル版のWeblioは、下記のURLからアクセスしてください。
http://m.weblio.jp/
» モバイルで「インゴ・シュトイアー」を見る
_ _   


インゴ・シュトイアーのページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのインゴ・シュトイアー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2012 Weblio RSS