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イワン・レンドル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/07 15:27 UTC 版)

イワン・レンドル
Ivan Lendl 2010.jpg
イワン・レンドル
基本情報
ラテン文字名 Ivan Lendl
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 チェコスロバキア・オストラヴァ
居住地 アメリカ・コネティカット州
生年月日 1960年3月7日(52歳)
身長 188cm
体重 79kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1978年
引退年 1994年
ツアー通算 100勝
シングルス 94勝
ダブルス 6勝
生涯通算成績 1257勝378敗
シングルス 1070勝238敗
ダブルス 187勝140敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪 優勝(1989・90)
全仏 優勝(1984・86・87)
全英 準優勝(1986・87)
全米 優勝(1985-87)
優勝回数 8(全豪2・全仏3・全米3)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 3回戦(1984)
全仏 ベスト4(1980)
全英 2回戦(1985)
全米 3回戦(1980)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 1位
ダブルス 20位

イワン・レンドルIvan Lendl, 1960年3月7日 - )は、チェコスロバキアオストラヴァ出身の元男子プロテニス選手、テニス指導者。1980年代の男子テニス界に君臨した名選手である。4大大会通算8勝はフレッド・ペリーケン・ローズウォールジミー・コナーズアンドレ・アガシと並ぶ男子シングルスの歴代7位タイ。世界ランキング1位の通算座位期間「270週」は男子シングルスの歴代3位。ATPツアーでシングルス94勝、ダブルス6勝を挙げた。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。重いトップスピン(順回転)のグラウンド・ストロークを武器にしたベースライン・プレーヤーである。レンドルは現役時代から大のゴルフ好きであり(ただしゴルフだけは左打ち)、ミュシャの蒐集家としても知られる。

目次

来歴

両親ともにテニス選手だった彼は、母親の影響でテニスを始めた。両親はともに当時のチェコ・スロバキアのプロテニスプレーヤーとして活躍。2歳の時からネットのポストに縛り付けられて練習に付き合わされていた。ところが1968年ソ連チェコスロバキア侵攻、いわゆる「プラハの春」が彼の人生、そして後のアメリカ移住、帰化に際して大きな影響を与える。またその後に起こったマルチナ・ナブラチロワのアメリカ亡命も、彼のその後に大きく影響している。

1978年にプロ入り。1981年全仏オープンで、21歳にして初めての4大大会決勝進出を果たす。この時レンドルは、大会4連覇を達成したビョルン・ボルグに 1-6, 6-4, 2-6, 6-3, 1-6 のフルセットで敗れた。その後レンドルは、1982年から1989年まで、8年連続で全米オープン決勝進出を果たしたが、最初の2回はジミー・コナーズに連敗している。1983年2月8日、初めて世界ランキング1位になった。しかしこの年は、年末の全豪オープン決勝でもマッツ・ビランデルに敗れる。最初期は4大大会準優勝が4度あり、“万年準優勝”のイメージがあった。

1984年全仏オープンで、レンドルはついに宿願の4大大会初優勝を達成する。決勝では、この年絶好調で年初から連勝を続けていたジョン・マッケンローを3-6, 2-6, 6-4, 7-5, 7-5 と2セット・ダウン(先に相手に2セットを取られた状態)からの大逆転で破り、マッケンローの年初からの連勝記録を42で止めた。また、マッケンローはこの年わずか3敗しかしなかったが、そのうちの最初の1敗をレンドルがつけたことになる。しかし同年の全米オープン決勝ではそのマッケンローに完敗しており、3年連続の準優勝に終わっている。しかし翌1985年の同大会決勝戦でマッケンローに雪辱を果たし、4年連続の決勝進出でついに全米オープン初優勝を実現させている。以後1987年まで大会3連覇。

1986年全仏オープンで2年ぶり2度目の優勝。この年はウィンブルドンでも初の決勝進出を果たしたが、当時18歳のボリス・ベッカーに完敗し、連覇を許している。また、先述の通りこの年は全米でも優勝しており、かつ大会開催時期の変更の過渡期で同年の全豪は開催されなかったので、この年は変則的ながら年間グランドスラム全大会決勝進出を果たしたことになる。 翌1987年も全仏優勝、ウィンブルドン準優勝、全米優勝を記録(この年から開催が1月に戻った全豪は準決勝でキャッシュに敗退、ちなみに翌1988年も全豪準決勝でキャッシュに敗れている)。ウィンブルドン決勝戦ではオーストラリアパット・キャッシュに敗れて、2年連続の準優勝に終わった。苦手な芝生コートのウィンブルドン選手権は、レンドルにとって“鬼門”の大会となった。どうしても優勝したかったレンドルは、当時自分専用の芝生コートを作るなど対策を練ったが、プロテニス選手が最も優勝したいと願う“聖地”のタイトルだけは、どうしても手が届かなかった。

1988年マッツ・ビランデルが年間3冠を獲得した年になり、レンドルも全米オープン決勝戦でビランデルに「4時間55分」の激闘の末に 4-6, 6-4, 3-6, 7-5, 4-6 のフルセットで敗れ、大会4連覇を逃している。レンドルは1985年から「157週」連続で世界ランキング1位の座を保持してきたが(連続保持記録は男子歴代3位)、それもビランデルに止められた不本意な年だった。

1989年1月、全豪オープンでついに宿願の初優勝を達成。1987年までの全豪オープンは、クーヨン・テニスクラブの芝生コートで行われていたが(レンドルの苦手なコート)、1988年からメルボルン市のナショナル・テニスセンターのハードコートに移転した。ハードコートになった全豪で、レンドルは前年のソウル五輪金メダリスト、ミロスラフ・メチージュを破って優勝した。全米オープン決勝進出はこの年が最後になり、ボリス・ベッカーに敗れる。1990年全豪オープンで大会2連覇を達成。しかし全米オープンの準々決勝で、当時19歳のピート・サンプラスに敗れ、ここでの連続決勝進出記録が止まった。(当時、まだ伸び盛りだったサンプラスを、レンドルは直前の練習パートナーとして自宅のテニスコートに招待している。)1991年全豪オープンで3年連続の決勝進出を果たすが、ボリス・ベッカーに敗れて大会3連覇を逃した。これがレンドルの最後の4大大会決勝戦となる。キャリア通算で男子歴代2位の「19度」の進出となり、「8勝11敗」で終わった。

キャリアが晩年に入ってから、レンドルは1992年7月にアメリカ市民権の取得を認められた。1994年に腰痛の悪化のため、34歳で現役を引退した。2001年国際テニス殿堂入りを果たしている。

2012年1月1日よりアンディ・マレーのコーチに就任している[1]

プレースタイル

レンドルのテニスは、サーブ、フォアハンド、バックハンドのいずれもが1980年代トップレベルのもので、同時に「機械」と言われるほどの安定感も兼ね備えていた。サーブは、しなやかなフォームと高く上げられたトスが特徴的で、スピードは「ビッグサーバー」といわれるボリス・ベッカーなどと同じくらい速く、エースも多かった。フォアハンドは、非常に打点が高いトップスピン・ボールで、威力・コントロールともに抜群で穴という穴がなかった。それはバックハンドも同様で、片手打ちとしては異例の強打を誇っていた。このように、威力、安定感ともに屈指のレベルのストローク力は、1980年代最高のものであると評価されている。ストロークを優位に進める上の必要条件ともいえるフットワークの良さも持っていた。しかし、ネットプレーだけは少し苦手にしており、それがウィンブルドンを獲得できなかった理由であるとも言われている。また、4大大会決勝での勝率の悪さ(8勝11敗=42%)から、メンタル面の弱さもよく指摘されていた。

レンドルは、その全盛期を前後して前半はジミー・コナーズビョルン・ボルグジョン・マッケンローといった偉大な先輩たちと、後半はマッツ・ビランデルボリス・ベッカーステファン・エドベリアンドレ・アガシなど、後に世界ランキング1位になった後輩と覇権を繰り広げ続けてきた。テニスがスピード化した1980年代から、ビッグサーブを主体としたオールラウンドな時代となる1990年代への流れを象徴する選手として、テニス史に残る名選手であることに疑いはないが、4大大会において引き立て役になってしまった場面も多く、やや不運であったといえる。

クールな表情で試合に臨む姿勢から愛想がよくないとされていたレンドルだが、コネチカットの自宅近くで道を横切ったリスをよけて車をぶつけるなど 実際には心やさしい面を持つ。

また、グリップの滑り止めとして大量のオガクズを右ポケットに入れ使用していたため、コートチェンジのたびにボールボーイが床を掃除していた光景が有名である。




  1. ^ テニス=四大大会8勝のレンドル氏、マリーのコーチに ロイター・ジャパン 2012年1月1日閲覧


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