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イタリア-トルコせんそう ―せんさう 【―戦争】
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伊土戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/04 00:43 UTC 版)
(イタリア・トルコ戦争 から転送)
伊土戦争(英: Italo-Turkish War, Turco-Italian War、伊: Guerra italo-turca、トルコ語: Trablusgarp Savaşı (トリポリの戦い))は、1911年9月から1912年10月の間にイタリア王国とオスマン帝国の間で戦われた戦争。
戦争はイタリア王国軍の勝利に終わり、敗北したオスマン帝国からローザンヌ講和会議でトリポリタニア・フェザーン・キレナイカを獲得した。占領統治にあたってイタリア王国政府は三つの植民地州をリビア属州として一括的に統治する事とした(リビア保護領)。
戦争の過程でイタリア海軍によって東地中海のドデカネス諸島を占領して制海権を奪取していたが、これについてはオスマン側に返還された[1]。だが対価として諸島でのイタリア海軍による拠点の建設など実質的な進駐が容認されていた。1923年、オスマン帝国崩壊に伴う第二次ローザンヌ会議において、ムスタファ・ケマルによるトルコ共和国はドデカネス諸島の完全な割譲に同意した[2]。
第一次世界大戦直前に起きた諸戦争の一つとして扱われる場合が多いが、それらの中でもこの戦争は非常に大きな意味を持った。イタリア王国軍が陸海戦でオスマン帝国軍を圧倒する様子は、オスマン帝国の支配下から脱したばかりのバルカン半島諸国に大きな勇気を与えた。バルカンが結束すればオスマンに勝てるかも知れないという希望は、バルカン同盟の結成と第一次バルカン戦争を促すことになる。
軍事的にも伊土戦争は非常に大きな意味を持つ戦いとなった。1911年10月23日、イタリア陸軍航空隊は飛行船による前線偵察を行わせており、11月1日に捕捉したオスマン軍部隊に爆弾を投下した。これは世界で最初の「空軍による地上攻撃」として記録されている[3]。
- ^ Treaty of Ouchy (1912), also known as the First Treaty of Lausanne
- ^ Full text of the Treaty of Lausanne (1923)
- ^ U.S. Centennial of Flight Commission: Aviation at the Start of the First World War
- ^ “Alliance System / System of alliances”. thecorner.org. 2007年4月3日閲覧。
- ^ M. Taylan Sorgun, "Bitmeyen Savas", 1972. Memoirs of Halil Pasa
- ^ Crow, Encyclopedia of Armored Cars, pg.104.
- ^ Biddle, Rhetoric and Reality in Air Warfare, pg.19.
- ^ "1911–1912 Turco-Italian War and Captain Mustafa Kemal". Ministry of Culture of Turkey, edited by Turkish Armed Forces-Division of History and Strategical Studies, pages 62–65, Ankara, 1985.
- ^ "1911–1912 Turco-Italian War and Captain Mustafa Kemal". Ministry of Culture of Turkey, edited by Turkish Armed Forces-Division of History and Strategical Studies, pages 62–65, Ankara, 1985.
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