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イギリス海軍航空隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/10/03 04:16 UTC 版)
| イギリス海軍航空隊 Royal Naval Air Service |
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|---|---|
イギリス海軍航空隊第1飛行隊のメンバー (1914年後期) |
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| 創設 | 1914年7月1日 - 1918年4月1日 |
| 国籍 | |
| 軍種 | |
| 兵科 | 海軍航空部門 |
| 勲章 | 第一次世界大戦 |
| 識別 | |
| ラウンデル | |
イギリス海軍航空隊(-かいぐんこうくうたい、The Royal Naval Air Service / RNAS)は第一次世界大戦当時のイギリス海軍の航空部隊である。第一次世界大戦の終わり近くに、イギリス陸軍航空隊(Royal Flying Corps / RFC)と合体して、世界最初の空軍であるイギリス空軍(Royal Air Force / RAF)を形成した。イギリス海軍航空隊は海軍省航空部門の指揮下にあった。
目次 |
背景
1908年、イギリス政府は航空機の陸海軍での使用について調査が必要であると判断し、首相のハーバート・アスキスはその目的のために「航空諮問委員会(Advisory Committee for Aeronautics)」と、帝国防衛委員会(Committee of Imperial Defence)の下の「航空小委員会(Aerial Sub-Committee)」の招集を承認した。両委員会は政治家と陸海軍の士官で構成されていた。1908年7月21日、航空航法小委員会(Aerial Navigation sub-committee)のメンバーであるレジナルド・ベーコン大佐は、第一海軍卿のサー・ジョン・フィッシャーに、ドイツのツェッペリンに範を取った硬式飛行船をヴィッカース社によって設計・建造することを具申した。帝国防衛委員会において徹底的に議論された結果、この提案は1909年5月7日に承認された。この飛行船は「メイフライ」と名づけられたが、1911年9月24日、工程の半分で破損し、飛行には至らなかった。当時の第一海軍卿サー・アーサー・ウィルソンは、硬式飛行船の建造を断念することを示唆した[1]。
1910年11月、王立飛行クラブ(Royal Aero Club)は、そのメンバーの一人であるフランシス・マクリーンの尽力により、イギリス海軍に対し、その初の操縦士を訓練するための航空機2機を提供した。クラブはまた、クラブ員をインストラクターとして提供し、シェピー島のイーストチャーチにあったクラブの飛行場の使用も認めた。海軍本部はそれを受け入れ、12月6日、ノア管区司令長官は彼の管轄下にある士官に対してこの計画を公表し、申込者に、未婚でかつ王立飛行クラブの会費が払えることという条件を付けた。飛行場はイーストチャーチ海軍飛行学校となった[2]。200件の申し込みが寄せられたうち、チャールズ・サムソン大尉、A・M・ロングモア大尉、A・グレゴリー大尉、および海兵隊軽歩兵(Royal Marine Light Infantry / RMLI)のE・L・ジェラード大尉の4名が採用された[3]。
沿革
帝国防衛委員会での長い議論の末、1912年4月13日、勅許を得てイギリス軍航空隊(Royal Flying Corps / RFC)が設立された。それは、いずれも誕生したばかりの海軍航空分遣隊(naval air detachment)と陸軍工兵隊空中旅団(the Air Battalion of the Royal Engineers)を合体させた[4]ものであり、陸軍ウィングとチャールズ・サムソン海軍中佐の率いる海軍ウィングとの「両翼」から成っていた。1912年6月19日、両ウィングの操縦士の訓練のために、海軍と陸軍双方の将兵によって構成された中央飛行学校がアプエイヴォンに設置された。指揮官はゴドフリー・ペイン海軍大佐だった[5]。
海軍ウィングはその初めの合意によってイーストチャーチにおける独自の飛行学校で実験を行うことが認められていた[6]。RFCには2つの別個の部門があったが、いずれにも、統合された特別予備士官から直接入隊することが出来た。しかし間もなく、海軍は新しい入隊者を海軍予備隊(RNR)に編入するようになった[7]。1912年夏、航空部門の拡大方針の下、マレイ・スーター海軍大佐が、海軍本部に新たに設置された航空部門の長となった[8]。1912年9月に定められたスーターの職務権限によれば、彼は「海軍航空に関するすべてのことがら」について海軍本部に責任を負うことになっていた[9]。
海軍航空部門が設立されたのと同じ月に、4機の海軍の水上機が陸軍の演習に参加した。1913年にはグレイン島の水上機基地とキングズノースの飛行船基地の建設が承認された。同じ年、8箇所の飛行場の建設が海軍の予算に組まれ[10]、また初めて、巡洋艦改装水上機母艦ハーミーズから運用される航空機がイギリス海軍の演習に参加した[11]。
4月16日に、海軍部隊の10人の士官が中央飛行学校を卒業した[12]。6月7日までに44人の士官と105人の兵士が中央飛行学校とイーストチャーチ基地で訓練され、35人の将兵が飛行船工場で訓練を受けた[13]。陸軍向けに建造された3隻の軟式飛行船、「ウィロウズ」、「アストラ=トーレス」、「パルセバール」が海軍に買収された[14]。1914年7月1日、海軍本部はRFCの海軍ウィングと海軍陸戦部門の一部から、海軍航空隊を創設した[15]。
- ^ Roskill. The Naval Air Service I, p. 6.
- ^ Gollin. Impact of Air Power on the British People and the Government, p. 168.
- ^ Roskill. The Naval Air Service I, p. 33.
- ^ Roskill. The Naval Air Service I, p. 37.
- ^ Roskill. The Naval Air Service I, p. 38.
- ^ Roskill. The Naval Air Service I, p. 35.
- ^ Roskill. The Naval Air Service I, p. 44.
- ^ Roskill. The Naval Air Service I, p. 56.
- ^ Roskill. The Naval Air Service I, p. 60.
- ^ Roskill. The Naval Air Service I, p. 70.
- ^ Roskill. The Naval Air Service I, p. 138.
- ^ Roskill. The Naval Air Service I, pp. 86-87.
- ^ Roskill. The Naval Air Service I, p. 99.
- ^ Roskill. The Naval Air Service I, p. 102.
- ^ Roskill. The Naval Air Service I, p. 156.
- ^ Layman. Naval Aviation in the First World War, p. 206.
- ^ ランドルフ・S・チャーチルはその父ウィンストン・チャーチルの伝記の中で、次のような詳細を語っている:「戦争勃発時点で(中略)39機の飛行機、52機の水上機、数機の小型飛行船と、およそ120人のパイロットがいた。」
- ^ Roskill. The Naval Air Service I, pp. 212-213.
- ^ Roskill. The Naval Air Service I, p. 747.
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