イギリス南アフリカ会社
イギリス南アフリカ会社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/11 20:37 UTC 版)
「ジョセフ・トムソン (探検家)」の記事における「イギリス南アフリカ会社」の解説
イギリス政府が、「ザンベジア (Zambezia)」と称されていた、後のローデシア(現在のジンバブエとザンビアの領域)から、北はアフリカ大湖沼に至る地域の領有を主張していた1890年、ケープ植民地首相セシル・ローズは、トムソンを雇い入れ、ザンベジ川の北側を探検し、勅許会社であるイギリス南アフリカ会社の代表者として先住民の首長たちと条約を結んで鉱業権を確保する任務にあたらせた。この任務での遠征中、トムソンは一連の重要な条約を結んだが、天然痘がこの地域に蔓延しはじめたため、最終的な目的であった、イエケ王国(英語版)のムシリ(英語版)王の宮廷に滞在していたアルフレッド・シャープ(英語版)に会い、シャープを支援して、鉱物資源が豊富なこの地域をザンベジアに編入する条約を結ぶ、という目論見を果たすことはできなかった。トムソンの役割は、布、火薬、その他の贈り物を持参して、ムシリに好印象を与えるというものだった。しかし、これらの贈り物が到着しなかったために、シャープは拒絶され、1年後にウィリアム・ステアズ大尉(英語版)が率いた遠征隊 (Stairs Expedition) が、トムソンが再びカタンガを目指して競合していると思い込んだ状況で、ムシリを殺害し、カタンガをベルギー王レオポルド2世に譲り渡した。トムソンは、ステアズ遠征のことを知らないまま、イギリス政府から現地へ向かわないよう指示されていた。
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