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イエローモンキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/02/02 09:24 UTC 版)

イエローモンキーyellow monkey

  1. 黄色人種(東アジア人)に対する蔑称である。人種差別も参照。
  2. THE YELLOW MONKEYは、日本のロックバンド。略称はイエモン

THE YELLOW MONKEY

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/22 13:16 UTC 版)

(イエローモンキー から転送)

THE YELLOW MONKEY
基本情報
出身地 日本の旗 日本 東京都
ジャンル ロック
活動期間 1988年 - 2004年
レーベル トライアド/日本コロムビア
1992年 - 1996年
ファンハウス
1996年 - 1999年
BMGファンハウスAriola Japan
(1999年 - 2004年)
公式サイト THE YELLOW MONKEY
メンバー
吉井和哉ボーカル
菊地英昭ギター
廣瀬洋一ベース
菊地英二ドラムス

THE YELLOW MONKEY(ザ・イエロー・モンキー)は、日本ロックバンド。愛称・略称はイエモン

1988年に結成、2001年1月より活動を停止し、2004年7月7日をもって解散した。かつての公式ファンクラブは「Petticoat Lane」であった。

目次

メンバー

ボーカル担当。愛称・ロビン(LOVIN)。東京都北区出身。静岡県育ち。静岡市立安東中学校卒業。解散後はYOSHII LOVINSONとしてソロ活動。2006年からは再び吉井和哉名義に戻して活動している。 
ギター担当。愛称・エマ(EMMA)。東京都八王子市出身、日本大学文理学部応用地学科卒業。
ベース担当。愛称・ヒーセ(HEESEY)。東京都足立区出身、日本大学経済学部中退。2008年からはTYOのベースとして活動している。
ドラム担当。愛称・アニー(ANNIE)。東京都八王子市出身、桐朋高校中央大学理工学部精密機械工学科卒業。菊地英昭の実弟。2008年からはアニー名義でBIG BITHEのドラムとして活動している。

概要

大要

結成、デビュー

バンド名の「イエローモンキー」とは、主に西洋圏で使用される東洋人に対する蔑称である。この名前はダサくてシニカルな名前にしたいと考えていた吉井によって、結成前から命名されていた。吉井曰く、ルックスが良くて長身なのが「イエロー・モンキー」のコンセプトであり、事実183cmの吉井以下全員が180前後の長身だった。俗説にいう外道の同名楽曲との関係はない。

1988年に結成。当初は吉井がベースを担当していたが、以前から親交のあった廣瀬洋一をメンバーに誘い、吉井はギターに転向。更に、「KILLER MAY」のドラムとして1986年にメジャーデビューしていた菊地英二が同バンドの解散後に加入。後に、イエローモンキーの前ボーカルが吉井と音楽的な意見の食い違いによって脱退。吉井はボーカルに転向し、「KILLER MAY」のギターとして活動していた菊地英昭(菊地英二の実兄)が加入し、1989年12月28日に現メンバーで初ライブを行う。

当時は「渋谷ラ・ママ」というライブハウスを中心に活動。バンド初期はデヴィッド・ボウイミック・ロンソンT.Rexなどを彷彿とさせるグラムロック色が強く、メンバーが化粧をしたりするなど、のちのヴィジュアル系のようなルックスだった。また、吉井がライブで女装をし、オカマキャラを演じることにより当初苦手だったMCが「面白い」と評判になり、結果的に観客動員が増えた[1]。当時の観客層は9割女性だったという。

メジャーデビュー

1992年5月21日日本コロムビアより1stシングル『Romantist Taste』でメジャーデビュー。枚数は思うように売れず、オリコンチャート圏外となった。後に吉井は「社長もどう売っていいのか分からなかったと思う」と語っている[1]。しかし徐々に動員数は増え、1993年には日本青年館で初のホールライブを実施。同ライブでは頭に袋を被せた裸の女性2人をステージに出す衝撃的な演出を行った。

1994年にリリースされた3rdアルバム『jaguar hard pain 1944〜1994』はコンセプト・アルバムとなり、本作の主人公である「ジャガー」になりきるため吉井が髪を坊主にし、ツアーでもお芝居のような要素を取り入れるなど、独自の路線を追求。観客動員は軒並み上がっていったが売り上げ枚数は変わらず、吉井は「なんでライブはみんな虜になってくれるのに、音源に関してはそうならない?」と悩んだという[1]。観客動員が良かったこともあり、ツアーの終盤に翌年日本武道館公演が実施されることが決定する。

デビューから3年間は思うように売れず、1995年の4thアルバム『smile』でポップな路線へ転換。UK・USの王道ロックを思わせるサウンドになる。同作はオリコン4位とヒットし、同年4月に初の日本武道館公演を実施し、即日完売するなど順調に人気を上げていく。同年にリリースされた8thシングル『太陽が燃えている』がシングル初のTOP10入り、イギリスでレコーディングされた5thアルバム『FOUR SEASONS』がオリコン初登場1位を記録するなど、バンドの人気を確実なものとする。

1996年にリリースされた9thシングル『JAM/Tactics』が累計80万枚を越えるヒット。同年に所属レコード会社をファンハウス(現・アリオラジャパン)に移籍。

レコード会社移籍後

ファンハウス移籍後に、日本コロムビアよりリリースされた非公認ベスト・アルバムTRIAD YEARS actI〜THE VERY BEST OF THE YELLOW MONKEY』はバンド唯一のミリオンセラーを記録。移籍後は独自のロックを追求していき、1997年にリリースされた6thアルバム『SICKS』は吉井自らが最高傑作と自負する作品となった。

シングルにおいても『楽園』、『LOVE LOVE SHOW』、『BURN』など高いセールスをキープし、この時期に最も安定した人気を保つことになる。

1998年にリリースされた7thアルバム『PUNCH DRUNKARD』はハードロック寄りとなり、ライブを強く意識したアルバムとなった。 このアルバムを引っさげ、同年4月、ホール72本、アリーナ41本、計113本を1年かけて回る「PUNCH DRUNKARD TOUR」を実施。前半のホールツアーはアルバムの曲が中心であったが、後半のアリーナツアーからは過去のヒット曲も演奏するようになった。ツアー前半終了の岡山市市民会館で吉井が「このツアーは失敗でした。」と発言するなど、メンバーにとっては精神的、体力的にもハードなツアーとなった。吉井は後にファイナルの横浜アリーナを「覚えてない。お客さんが見えていない」と語り、このツアーを「ひたすら打たれ続けてた感じ」と語っている[1]

外部プロデューサー導入

1999年の「PUNCH DRUNKARD TOUR」終了後、バンドサウンドを見直すためのミーティングが行われ、シングル作品に朝本浩文森俊之笹路正徳などの外部プロデューサーを導入する新しい展開を行う。後に吉井は「そういう悪い状況で、自分の楽曲を他人に委ねる時点で終わっている」といった否定的な発言を多く残しているが、反面「このまま手癖で続けるわけにもいかず、30代、40代とバンドを続けていくために必要なことだったのも事実」とも語っている[1]。またバンドの狙いとは裏腹に国内プロデューサー陣は「このままがいい」として、あまりバンドサウンドに変化をもたらす指示はしてもらえなかったという[1]

8thアルバム『8』の楽曲のレコーディングのためにロンドンへ向かった際、当時メンバーが多忙だったこともあり、スタジオに吉井一人しかいないという状況が続く。メンバーとの温度差を感じ始めた吉井が、帰国後に事務所に関係者を集め「俺をクビにしてくれ」と頼み込み、バンドへの不満を投げかけた[1]。バンドは存続したが、「微妙な距離感が生まれた」と吉井は語っている。

2000年にリリースされた22ndシングル『パール』、8thアルバム『8』は吉井セルフプロデュース作品となった。

『8』のアルバムツアーは行われず、バンドは初となる国内ロックフェスに参加。しかし、そこでの吉井はノーメイクでジャージ姿という格好で出演。「はたから見ても異常、イエローモンキーを引き受けていない」状態であった[1]

同年12月30日、「CDTV年越しプレミアライブ」に緊急生出演。吉井が「ツアーが終わったら、俺たちプー太郎になっちゃうけど・・・」とコメントした後、『BRILLIANT WORLD』を披露し番組のトリを飾る。これが実質THE YELLOW MONKEYとしての最後のTV出演となった。

活動休止〜解散〜

2001年1月、バンドを活動休止させ、メンバーはそれぞれソロ活動期間となる。

ファンは活動再開を待ち望んだが、2004年7月7日に解散。吉井は「解散を伝えたその日に会って、近況を聞いてみたら、皆それぞれやりたいことがあって、バンドに戻れる状態じゃないと思った。各々好きな事をやりながら、年に一回アルバムを作ってライブをするという意見もあったけど、僕にとってこのバンドっていうのは、それじゃ駄目だった」「疲れもあるけど、メンバーがどうこうなんて言えない。バンドを解散させるのは辛いし、メンバーは最高だから、別れるのは寂しいし、心細いんだけど、とにかく解散は僕の我儘で、僕の責任」と語った。逆に、他のメンバーからは「吉井を追い込ませて、感情を吐き出させてやれなかった」「もっと力になってやりたかった」など、互いを擁護する発言が目立った。

同年12月26日、東京ドームで開催された「THE EXHIBTION AND VIDEO FESTIVAL OF THE YELLOW MONKEY メカラウロコ・15」の最終日にメンバーが再集結し、「JAM」を演奏した。会場中が合唱の中、吉井は「ずっと歌ってて下さい」と言い残し、メンバーは去った。実は去り際にマイクオフの状態で吉井が「ありがとう」と言っているが、会場にはほとんど聞こえていなかったため、物議を醸した。後に吉井は「マイク通して言うのは辛かった」と語っている。『JAM』を演奏した後に「THE YELLOW MONKEYは終わりません」というMCを吉井自身も期待していたが、「バンドは本当に終わっているんだということを演奏しながら感じてしまった。」という[1]

メカラ ウロコ

バンドの誕生日とも言える12月28日には、『メカラ ウロコ』と言う「昔のTHE YELLOW MONKEYに戻る」と言う趣旨の元、初期の楽曲をメインにしたライブを1996年 - 2001年(1997年、2000年を除く)にわたり4度行った。吉井曰く「忘年会も兼ねて」のイベントである。

2部構成で行われ、第2部からは「メカラ ウロコ楽団」と呼ばれるオーケストラ団体と共に曲を演奏する。また、ライブの途中ではメンバーが「東京ブギウギ」の替え歌「おそそ・ブギウギ」を歌うのが恒例となっていた。

これらとは別に2004年の解散イベントも『メカラ ウロコ・15』と銘打たれている。また、2009年に結成20周年記念として放送された特番も『メカラ ウロコ・20』と釘打たれた。

バンド解散後も吉井は2006年以降、毎年12月28日に日本武道館でライブを行うのが恒例となっている。ただし通常のライブツアーの一環として開催される場合が多く、『メカラ ウロコ』のタイトルは使われていない。

  • メカラ ウロコ・71996年12月28日)
1st - 3rdアルバムの楽曲が中心で構成され、オープニングの「MORALITY SLAVE」では、1993年に実施された日本青年館でのライブの演出を再現し、頭に袋を被せた女性(武道館側のNGで今回は裸ではない)を2人から20人に増やして披露された。吉井が自身の自伝にて「喜びという点であれを越えるライブはない」と語る[1]ほど気に入っているライブであり、「いつか完全版を出したい」と綴った約2年後の2009年に完全版の『メカラ ウロコ・LIVE DVD BOX』がリリースされた。ラストでは吉井がレコード会社移籍による心境を語り、移籍後第1段シングルとなる『楽園』がライブのトリを飾った。
  • メカラ ウロコ・91998年12月28日)
1997年は『PUNCH DRUNKARD』のレコーディングなどで多忙だったこともあり、1年空いている。「PUNCH DRUNKARD TOUR」中の開催であり、武道館2DAYSの後日でもあったため、充分なリハーサルができない状態であったが、メンバーの強い希望により行われた。前回と同様、1st - 3rdアルバムの楽曲が中心である。アンコールの「MERRY X'MAS」では、吉井が『jaguar hard pain 1944〜1994』に登場するマリーに女装して披露された。トリを飾った『SO YOUNG』はこの日が初披露であり、後に18thシングルとしてリリースされた。
  • メカラ ウロコ・101999年12月28日)
「PUNCH DRUNKARD TOUR」後の活動休止明けに行われた。29日のファンクラブ限定ライブ「We are Petticort Laner de 公演」との2本立てで開催された。2名の女性コーラスと、サックス、トロンボーン、ペットのホーンセクションが新たに加わっている。初めて4thアルバム以降の楽曲も披露され、1st - 6thアルバムまで幅広く選曲された。トリを飾った『バラ色の日々』はこの日が初披露である。
過去3公演とは異なり、日本武道館ではなく東京ドームで行われ、開催日はバンドの誕生日とは無関係である。楽曲はメンバーの「今やりたい曲をやろう」という意向で、アルバム「8」の収録曲を中心に構成されている。吉井曰く「昔の曲でセットリストを組んだら、『8』の収録曲が全然入ってなかった」ために、先述のコンセプトのもとセットリストが組み直されたという。そのためタイトルも12ではなく、アルバムに合わせて『8』となっている。ライブのラストでは吉井が「私たち、普通の野良犬に戻ります!」「我がイエローモンキーは永久に不滅です!」というMCと共に『WELCOME TO MY DOGHOUSE』がトリを飾った。THE YELLOW MONKEY活動休止前のライブであり、結果的にバンドのラストライブとなった。

フジ・ロック・フェスティバル

1997年7月24日、第1回目の「フジ・ロック・フェスティバル’97」1日目に参加。当日は台風直撃により豪雨に見舞われた。あえてヒット曲を控え、ロックな曲を並べたものの、前述の豪雨などもあって観客の反応は良くなく、吉井が自らの自伝で「解散の理由の何%かは、フジ・ロックの挫折感。」と綴る[1]など、本人にとって厳しい経験となった。

PV

「JAM」のプロモーションビデオは吉井自らの監督で撮影された。次のシングル「SPARK」以降は「パール」と「プライマル。」を除く13曲のシングルで高橋栄樹が監督を務めた。高橋は、プロモーションビデオとしては異例ともいえる時間的余裕と自由な表現を許容され、プロモーションビデオだけでなく映像作品「BLUE FILM」、ライブビデオ「RED TAPE」などで独自の世界観を持った巧みな映像表現を製作し、吉井から「イエローモンキーの第5のメンバー」と言わしめた。高橋は「LOVE LOVE SHOW」「BURN」を監督した1997年に「SPACE SHOWER Music Video Awards」ベストディレクター賞を受賞している。

来歴

1980年代

1988年

  • 1988年結成。当初は吉井がベースを担当していたが、廣瀬洋一の加入によりギターに転向。

1989年

  • 前ヴォーカルの脱退により、吉井がヴォーカリストに転向。菊地英二の実兄である菊地英昭が加入。
  • 12月28日、上記4人のメンバーによる初のライヴ

1990年代

1990年

  • 11月、初のツアーを実施。

1991年

1992年

1993年

1994年

1995年

1996年

1997年

  • 1月22日、6thアルバム『SICKS』をリリース。オリコン初登場1位。オリジナルアルバムでは自身最高のセールスを記録。
  • 2月、20公演を回る初のアリーナ・ツアー「FIX THE SICKS」を実施。
  • 4月19日、12thシングル『LOVE LOVE SHOW』、非公認ベスト・アルバム『TRIAD YEARS actII』リリース。
  • 7月24日、13thシングル『BURN』リリース。累計90万枚を売り上げ、シングルでは自身最高のセールスを記録。
  • 同日、第1回目の「フジ・ロック・フェスティバル’97」1日目に参加。
  • 8月、全国5会場のスタジアムツアー「紫の炎」を実施。
  • 11月1日、ミュージック・ビデオ『BLUE FILM』リリース。
  • 12月3日、ライブビデオ『RED TAPE』リリース。
  • 12月10日、TRIADよりリリースされた全ての音源を網羅した『TRIAD COMPLETE BOX』リリース。
  • 12月17日LD盤『PURPLE DISC』リリース。『BULE FILM』と『RED TAPE』のセット。

1998年

1999年

2000年代

2000年

2001年

2004年

2005年

  • 12月23日、ライブDVD『ライブ帝国 THE YELLOW MONKEY』リリース。

2009年

  • 9月17日、『THE YELLOW MONKEY 20th Anniversary Year Project』始動、3タイトルのリリースを発表。
  • 12月3日、フォトグラファー有賀幹夫氏の撮影・編集による写真集『THE YELLOW MONKEY HEAVEN -SICKS years '96〜'97-』リリース。
  • 12月9日、結成20周年記念企画の一環で、トリビュートアルバム「THIS IS FOR YOU〜THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM」、全4回行われた「メカラ ウロコ」を完全収録したDVD-BOX「メカラ ウロコ・LIVE DVD BOX」を同時リリース。
  • 12月19日、1、2月合併号の「ROCKIN'ON JAPAN」で9年ぶりに表紙を飾った。ROCKIN'ON JAPANが現存しないバンドを表紙にしたのは史上初である。

2010年

  • 1月22日、結成20周年記念企画第3弾として、6thアルバム「SICKS」の完全版である「COMPLETE SICKS」のリリースが決定。「SICKS」のデジタルリマスタリング・Blu-spec CD盤、デモ音源を収録したCD、レコーディング風景など秘蔵映像を収録した豪華3枚組仕様での発売となる。
  • 7月、結成20周年記念企画の一環で、ユニクロとのコラボレーションTシャツを発売。
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ディスコグラフィ

シングル

  リリース日 タイトル 規格 規格品番
1st 1992年5月21日 Romantist Taste 8cmCD CODA-17
2nd 1993年3月1日 アバンギャルドで行こうよ 8cmCD CODA-142
3rd 1994年2月21日 悲しきASIAN BOY 8cmCD CODA-305
4th 1994年7月21日 熱帯夜 8cmCD CODA-459
5th 1995年1月21日 Love Communication 8cmCD CODA-567
6th 1995年3月1日 嘆くなり我が夜のFantasy 8cmCD CODA-608
7th 1995年7月21日 追憶のマーメイド 8cmCD CODA-715
8th 1995年9月30日 太陽が燃えている 8cmCD CODA-731
9th 1996年2月29日 JAM/Tactics 8cmCD CODA-834
10th 1996年7月10日 SPARK 8cmCD CODA-970
11th 1996年11月25日 楽園 8cmCD FHDF-1593
12th 1997年4月19日 LOVE LOVE SHOW 8cmCD FHDF-1621
13th 1997年7月24日 BURN 8cmCD FHDF-1644
14th 1998年2月4日 球根 8cmCD FHDF-1672
15th 1998年6月3日 離れるな 8cmCD FHDF-1688
16th 1998年8月21日 SUGAR FIX 12cmCD FHCF-2428
17th 1998年10月21日 MY WINDING ROAD 8cmCD FHDF-1697
18th 1999年3月3日 SO YOUNG 8cmCD FHDF-1713
19th 1999年12月8日 バラ色の日々 12cmCD FHCF-5001
20th 2000年1月26日 聖なる海とサンシャイン 12cmCD FHCF-5002
21st 2000年4月5日 SHOCK HEARTS 12cmCD FHCF-5007
22nd 2000年7月12日 パール 12cmCD FHCF-5011
23rd 2000年11月1日 BRILLIANT WORLD 12cmCD FHCF-5019
24th 2001年1月31日 プライマル。 12cmCD FHCF-5024

オリジナル・アルバム

  リリース日 タイトル 規格 規格品番
インディーズ 1991年7月21日 Bunched Birth CD EB-306)
1st 1992年6月21日 THE NIGHT SNAILS AND PLASTIC BOOGIE / 夜行性のかたつむり達とプラスチックのブギー CD COCA-9797
COCA-50366(再発盤)
2nd 1993年3月1日 EXPERIENCE MOVIE / 未公開のエクスペリエンス・ムービー CD COCA-10630
COCA-50367(再発盤)
3rd 1994年3月1日 jaguar hard pain 1944〜1994 CD COCA-11539
COCA-50368(再発盤)
4th 1995年2月1日 smile CD COCA-12258
COCA-50369(再発盤)
5th 1995年11月1日 FOUR SEASONS CD COCA-12994
COCA-50370(再発盤)
6th 1997年1月22日 SICKS CD FHCF-2355
7th 1998年3月4日 PUNCH DRUNKARD CD FHCF-2412
8th 2000年7月26日 8 2CD
CD
FHCF-2501 (初回盤)
FHCF-2501 (通常盤))

ベストアルバム

  リリース日 タイトル 規格 規格品番
非公認ベスト・アルバム 1996年12月7日 TRIAD YEARS actI〜THE VERY BEST OF THE YELLOW MONKEY CD COCA-13914
非公認ベストアルバム 1997年4月19日 TRIAD YEARS actII CD COCA-14101
非公認シングルコレクション 1998年12月10日 THE YELLOW MONKEY SINGLE COLLECTION CD COCP-50016
非公認ベストアルバム 2001年3月1日 TRIAD YEARS act I & act II〜THE VERY BEST OF THE YELLOW MONKEY 2CD COCP-50486/7
シングルコレクション 2001年6月13日 GOLDEN YEARS Singles 1996-2001 CD FHCF-2530
ベストアルバム 2004年12月8日 THE YELLOW MONKEY MOTHER OF ALL THE BEST 3CD
2CD
BVCR-18040/2 (初回盤)
BVCR-18043/4 (通常盤)

その他のアルバム

  リリース日 タイトル 規格 規格品番 備考
ボックス・セット 1997年12月10日 TRIAD COMPLETE BOX 6CD COCA-14660/5 TRIADよりリリースされた全ての音源を網羅したBOXセット。
ライブ・アルバム 1999年5月26日 SO ALIVE CD FHCF-2457 「PUNCH DRUNKARD TOUR」からメンバー自らがセレクションしたライブアルバム。
トリビュート・アルバム 2009年12月9日 THIS IS FOR YOU〜THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM CD BVCL-50/1 結成20周年記念企画の一環で発売。
6thアルバム完全盤 2010年1月22日 COMPLETE SICKS 2CD+DVD BVCL-20025/7 結成20周年記念企画の一環で発売。
完全生産限定盤
Blu-spec CD+CD+DVDの3枚組

ビデオ・DVD

  1. life Time・SCREEN〜追憶の銀幕〜(1993年9月1日)
  2. Cherry Blossom Revolution-Live at BUDOKAN-(1995年7月21日)
  3. CLIPS Video Collection 1992〜1996(1996年3月30日)
  4. TRUE MIND TOUR'95-'96 FOR SEASON:in motion(1996年10月21日)
  5. BLUE FILM(1997年11月1日)
  6. RED TAPE(1997年12月3日)
  7. PURPLE DISC(1997年12月17日)(LD盤のみ発売された『BULE FILM』と『RED TAPE』のセット)
  8. メカラ ウロコ・7(1998年10月21日)
  9. CLIPS 2 Video Collection 1996〜1998(1998年11月18日)
  10. PUNCH DRUNKARD TOUR 1998/99 FINAL 3.10 横浜アリーナ(1999年6月23日)
  11. jaguar hard pain Live'94(1999年12月10日)
  12. SPRING TOUR(2000年12月9日)
  13. CLIPS 3 Video Collection 1999〜2001(2001年3月14日)
  14. THE YELLOW MONKEY CLIP BOX(2004年12月8日)
  15. THE YELLOW MONKEY LIVE BOX(2004年12月8日)
  16. THE YELLOW MONKEY LIVE AT TOKYO DOME(2004年12月28日)
  17. ライブ帝国 THE YELLOW MONKEY(2005年12月23日)
  18. メカラ ウロコ・LIVE DVD-BOX(2009年12月9日)

ゲーム

  リリース日 タイトル 規格品番 備考
プレイステーション用ソフト 1999年7月1日 PERFECT PERFORMER -THE YELLOW MONKEY- SLPS-02135 ファンハウスから発売された。THE YELLOW MONKEYの曲を使用した音ゲー

収録曲:楽園、TVのシンガー、紫の空、LOVE LOVE SHOW(Album Version)、BURN、MY WINDING ROAD、NEW YORK CITY LOSER

未発表曲

曲名 備考
毛皮のコートのブルース 1999年12月29日の『We are Petticort Laner de 公演』で演奏された。後に『メカラ ウロコ・LIVE DVD-BOX』の特典ディスクに収録される。
セミシグレ ある不良青年の一生を描いた楽曲。1997年の「紫の炎」ツアーにて披露される予定であったが、見送られた。1999年に出版された『So YOUNG―吉井和哉詩集』に歌詞が掲載されている。

書籍

発売日 タイトル 出版元 ISBN 備考
1996年12月20日 7YEARS ビクターエンタテイメント ISBN 4-89-389141-3
1999年4月10日 So YOUNG―吉井和哉詩集 ロッキング・オン ISBN 4-94-759946-4 吉井和哉著書による初の詩集。未発表曲「セミシグレ」の歌詞が掲載されている。
2000年12月15日 BURN ロッキング・オン ISBN 4-94-759985-5 ROCKIN'ON JAPANに掲載されたインタビューをまとめたもの。完成直前に活動休止が発表された。
2004年12月15日 15YEARS ぴあ ISBN 4-83-560982-4
2005年5月13日 COMPLETE BURN ロッキング・オン ISBN 4-86-052049-1 『BURN』の増補改訂版。

タイアップ

タイトル 収録 タイアップ
熱帯夜 4thシングル TBS系「所さんのワーワーブーブー」エンディングテーマ
Love Communication 5thシングル テレビ朝日系「mew」オープニングテーマ
嘆くなり我が夜のFantasy 6thシングル TBS系「たけし・所のドラキュラが狙ってる」エンディングテーマ
追憶のマーメイド 7thシングル テレビ朝日系「はなきんデータランド」エンディングテーマ
太陽が燃えている 8thシングル テレビ朝日系「J LEAGUE A GOGO!!」オープニングテーマ
JAM 9thシングル両A面 NHKポップジャム」エンディングテーマ
Tactics フジテレビ系アニメるろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」1stエンディングテーマ
SPARK 10thシングル TBS系「COUNT DOWN TV」96年7月度エンディングテーマ
パチンコ『CR忍術決戦 月影』使用曲
楽園 11thシングル フジテレビ系ドラマ新・木曜の怪談」主題歌
パチンコ『CR忍術決戦 月影』使用曲
BURN 13thシングル TBS系ドラマ「職員室」主題歌
パチンコ『CR忍術決戦 月影』使用曲
球根 14thシングル NHK「ポップジャム」エンディングテーマ
O.K. 17thシングル C/W WOWOW「スーパーサッカー・セリエA」エンディングテーマ
SO YOUNG 18thシングル テレビ朝日系「ニュースステーション」99年3月度ウェザーテーマ
映画「Trancemission」主題歌
バラ色の日々 19thシングル NHK「ポップジャム」エンディングテーマ
聖なる海とサンシャイン 20thシングル テレビ朝日系「おネプ!」エンディングテーマ
映画「現実の続き 夢の終わり」主題歌
SHOCK HEARTS 21stシングル 大鵬薬品工業「チオビタドリンク」CMソング
パール 22ndシングル NTV系劇空間プロ野球」2000年8・9月度イメージソング
BRILLIANT WORLD 23rdシングル TBS系「世界ウルルン滞在記」エンディングテーマ
GIRLIE 8thアルバム収録 映画「弟切草」主題歌

CD解説

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 「吉井和哉自伝 失われた愛を求めて」(ロッキング・オン

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