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イエズス会長束修道院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/03/22 20:37 UTC 版)
イエズス会長束修道院(イエズスかいながつかしゅうどういん)は、広島県広島市安佐南区長束にあるイエズス会(カトリック教会)の修道院の通称[1]。
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- ^ 詳しくはフーゴ・ラッサール#ミッション参照。
- ^ Ignatius Gropper、1889年12月2日生まれ、1968年11月17日上智大学にて没[5]。上智大学校舎だけでなく数々のイエズス会の教会や教育機関などを設計している。
- ^ のちに日本に帰化(高倉誠)。ジョン・ハーシー『ヒロシマ』にも登場する[16]。
- ^ a b 後に上智大学教授、上智学院理事長。当時被爆した10数名の宣教師の中で、最後まで生き残った人物[2](2011年3月1日死去)。
- ^ 1936年創設の旧三篠町にあった女子修道院。爆心地から2.4キロメートルに位置した。当時フランス人修道院長は結核により入院、イギリスとベルギー出身の修道女は敵国人として抑留所へ送られており、被爆時の修道院にはフランス2・イタリア2・アイルランド1・日本2の計7人の修道女と、ドイツ人のコップ神父1人の計8人がいた。その後の調べで外国人修道女は2005年までに全員死去したことがわかっている[18][19]。
- ^ a b c d e f g h i j k l 2010年1月24日読売新聞
- ^ a b c d カトリック広島教区情報サイト
- ^ a b c d e 長束修練院の歴史
- ^ a b “教会をたずねて”. 聖パウロ女子修道会. 2011年11月13日閲覧。
- ^ a b 杉森彰. “グロッパーさんのこと (PDF)”. 上智大学. 2011年11月19日閲覧。
- ^ 石丸紀興『世界平和記念聖堂』相模書房 1988年 p.17
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 破壊の日
- ^ a b c d e f ヒロシマをさがそう
- ^ a b “被爆の跡に(1)語り継ぐ平和”. (朝日新聞からの転用) (1995年6月7日). 2011年11月23日閲覧。
- ^ “黙想の家案内”. 霊性センターせせらぎ. 2011年11月23日閲覧。
- ^ ジョン・ハーシー『ヒロシマ』法政大学出版局 1949年 p.16
- ^ “被爆建物リスト”. 広島市. 2011年11月17日閲覧。
- ^ “アルペ神父胸像除幕式の報告”. 聖イグナチオ教会. 2011年11月23日閲覧。
- ^ a b c d die Tageszeitung
- ^ a b 広島原爆戦災誌、p.1023
- ^ “地域FM放送での原爆番組”. 中国新聞経済メールマガジン (2009年7月31日). 2011年11月26日閲覧。
- ^ “世界平和記念聖堂の被爆した十字架”. 世界平和記念聖堂. 2011年11月26日閲覧。
- ^ a b “修道女、広島の献身 欧州出身の5人が被爆後に看護(1/2)”. 朝日新聞 (2009年8月4日). 2011年11月26日閲覧。
- ^ “修道女、広島の献身 欧州出身の5人が被爆後に看護(2/2)”. 朝日新聞 (2009年8月4日). 2011年11月26日閲覧。
- ^ “Father Pedro Arrupe (1907-1991)” (英語). Pedro Arrupe Formation Center. 2011年11月13日閲覧。
- ^ “繁華街を平和行進 カトリック広島司教区”. 中外日報 (2008年8月9日). 2011年11月26日閲覧。
- ^ “シュトルテ先生逝く (PDF)”. 栄光学園 (2007年10月20日). 2011年11月26日閲覧。
- ^ “米将軍に被爆神父の手記 45年秋、広島の惨状伝える”. 共同通信 (2005年8月1日). 2011年11月14日閲覧。
- ^ 広島原爆戦災誌、p.1020
[続きの解説]
「イエズス会長束修道院」の続きの解説一覧
- 1 イエズス会長束修道院とは
- 2 イエズス会長束修道院の概要
- 3 交通
- 4 外部リンク
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