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イェンス・レーマン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/09/10 03:43 UTC 版)
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| 名前 | |||||||
| 愛称 | マッド・イェンス | ||||||
| ラテン文字 | Jens Lehmann | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1969年11月10日(41歳) | ||||||
| 出身地 | エッセン | ||||||
| 身長 | 190cm | ||||||
| 体重 | 87kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| ポジション | GK | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2010年5月8日現在。 2. 2008年6月29日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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イェンス・レーマン(Jens Lehmann、1969年11月10日 - )は、ドイツ・エッセン出身の元サッカー選手。同国代表でもあった。ポジションはGK。
目次 |
経歴
1988年、ドイツ・ブンデスリーガ・シャルケ04でキャリアをスタート。チームの守護神として君臨し、1996-97シーズンにUEFAカップで優勝した。満を持して1997年にセリエA・ACミランへ移籍するが、レギュラーを獲得できず1年でドイツへ復帰。復帰先は以前所属したシャルケ04の最大のライバルであるボルシア・ドルトムントだったためにサポーターから強い反感を買うが、ゴールマウスを守り続け体裁を保った。
2002年には日韓W杯ドイツ代表に選出されるが、オリバー・カーンの控えで出場できず、以後カーンの不調もあって代表に招集されるたびに舌戦を繰り広げていた。
2003年、アーセナルへ移籍。イングランド代表正GKだったデイヴィッド・シーマンの後継としてゴールマウスを守り続けた。
2005-06シーズンは好プレーを連発。UEFAチャンピオンズリーグを含めて公式戦で10試合連続無失点に抑える等、好調を維持していたが、FCバルセロナとのチャンピオンズリーグ決勝戦で、サミュエル・エトオの足にペナルティエリア外で手で引っ掻け、レッドカードを貰い退場。チームも前半に1点を取ったが後半2点取られ2-1で敗れてしまう。が、エトーが倒れた後のこぼれ玉をリュドビク・ジュリがシュートしてゴールネットを揺らしており、後に主審が「ゴールを認めてイエローカードを提示した方が良かった」との趣旨を発言し物議を醸した。結果としてはバルセロナの先制ゴールは取り消しになり、逆にエマヌエル・エブエへの微妙な判定からのフリーキックでアーセナルの先制ゴールが生まれ、バルセロナとアーセナル双方がこの判定に賛否両論である。
この活躍などから、ライバルのオリバー・カーンを抑え2006年ドイツW杯のドイツ代表正GKに指名された。2006年ドイツW杯の準々決勝アルゼンチン戦のPK戦では相手の4本のPKのうち2本を止め、チームの準決勝進出に大きく貢献したが、準決勝イタリア戦で、延長戦後半で2点を奪われ、チームは敗れた(これらのことからドイツ国内ではレーマンの正GK起用に関して賛否両論がある)。
2006年8月24日に授賞式が行われた2006年度MTVムービー・アウォーズにおいて見事GK部門で受賞を果たした。ちなみに他の受賞者はカルレス・プジョル、デコ、サミュエル・エトオ、ロナウジーニョと全員2006年のUEFAチャンピオンズリーグ優勝チームのFCバルセロナの選手であり、唯一レーマンだけがFCバルセロナの選手以外から選出された。
2006年ドイツW杯の準々決勝アルゼンチン戦で、PK戦にGKコーチのアンドレアス・ケプケが書いたアルゼンチン選手のシュートをする時の癖が書いてあったメモをストッキングの中に隠しており、キッカーが変わるたびに参照していた。後に、このメモは1億5000万円の値がついた。
2007年頃から試合でミスを連発しマヌエル・アルムニアにレギュラーを奪われ出場機会が減少。2008年6月、ドイツリーグのVfBシュトゥットガルトへと移籍。移籍金なしの1年契約で6シーズンぶりのブンデス復帰を果たす。
2009年12月9日、UEFAチャンピオンズリーグ1次リーグの対ウニレア・ウルジチェニ戦において、試合中に緊張のあまり尿意を催したレーマンが、突如ピッチ外に飛び出し広告看板の陰でこっそり放尿する珍事が発生した。幸いにして審判に気づかれず、非紳士的な行為に対する警告は与えられなかった[1]。
2010年3月30日、2009-10シーズン限りでの引退をシュトゥットガルトの公式サイトで発表。[2]。同年6月のシーズン終了をもって一旦は現役引退した。
2011年3月、ゴールキーパーに怪我人が続出する緊急事態に陥っていた古巣のアーセナルがレーマンに目をつけ、獲得を打診。レーマンはこれを承諾し、9か月ぶりに現役復帰した。契約はシーズン終了までである。
所属クラブ
- 1975年-1978年
DJKハイシンゲン - 1978年-1987年
シュヴァルツヴァイス・エッセン - 1988年-1997年
シャルケ04
- UEFAカップ優勝(1996/1997)
- 1997年-1998年
ACミラン - 1998年-2003年
ボルシア・ドルトムント
- ブンデスリーガ優勝(2001/2002)
- 2003年-2008年
アーセナル
- FAプレミアリーグ優勝(2003/2004)
- 2008年-2010年
VfBシュトゥットガルト - 2011年
アーセナル
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- ^ “「緊張して…」レーマンが試合中に放尿!”. スポーツニッポン. (2009年12月12日) 2009年12月12日閲覧。
- ^ . http://www.vfb-stuttgart.de/de/aktuell/news/2009/35978.php
- 1 イェンス・レーマンの概要
- 2 戦歴
固有名詞の分類