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アンドレイ・キリレンコ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/03/18 19:23 UTC 版)
| アンドレイ・キリレンコ Andrei Kirilenko PBC CSKAモスクワ No.47 |
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| 名前 | |||||||||||||||
| 本名 | アンドレイ・ゲンナディー・キリレンコ | ||||||||||||||
| 愛称 | "AK-47" | ||||||||||||||
| ラテン文字 | Andrei Kirilenko | ||||||||||||||
| ロシア語 | Андрей Геннадьевич Кириленко | ||||||||||||||
| 基本情報 | |||||||||||||||
| 国 | |||||||||||||||
| 誕生日 | 1981年2月18日(31歳) | ||||||||||||||
| 出身地 | ソビエト連邦ロシアイジェフスク | ||||||||||||||
| 身長 | 206cm | ||||||||||||||
| 体重 | 103kg | ||||||||||||||
| 選手情報 | |||||||||||||||
| ポジション | SF/PF | ||||||||||||||
| 背番号 | 47 | ||||||||||||||
| ドラフト | 1999年 24位 | ||||||||||||||
| 代表歴 | |||||||||||||||
| キャップ | |||||||||||||||
| 経歴 | |||||||||||||||
| 1997-1998 1998-2001 2001-2011 2011- |
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アンドレイ・キリレンコ(Andrei Kirilenko)ことアンドレイ・ゲンナディー・キリレンコ(ロシア語: Андрей Кириленко,英語: Andrei Gennadevich Kirilenko, 1981年2月18日 - )はロシアのプロバスケットボール選手である。ロシアのCSKAモスクワに所属している。ソビエト連邦ロシアイジェフスク出身。身長206cm、103kg。ニックネームの「AK-47」及び背番号47は共に出身地のイジェフスクで製造されている自動小銃「AK-47」に因んでいる。ポジションはスモールフォワード/パワーフォワード。
目次 |
キャリア
1997年、16歳でロシア国内リーグのスパルタク・サンクトペテルブルクにてプロデビュー。 その翌年、名門CSKAモスクワに移籍し2001年までプレー。
1999年のNBAドラフトでユタ・ジャズから1巡目24位の指名を受けるが、当時所属していたCSKAモスクワとの契約が残っていたため、NBA入りを果たしたのは2001年のことである。
最初の2シーズン、ジャズの中心はNBA最高のコンビといわれるジョン・ストックトンとカール・マローンだったため、キリレンコはこれといって目立つ存在ではなかった。
2003年オフ、マローンの移籍とストックトンの引退に伴いジャズはチームの再建を図る。2003-04シーズンに入るとキリレンコはスターターの座を確保し、ジャズの中心選手として活躍。23歳の若さでオールスター初出場も果たした。この年はいずれもチーム1位となる1試合平均16.2得点、8.2リバウンド、1.92スティール、2.76ブロック(リーグ3位)、出場時間37.1分を記録。開幕前にはマローンとストックトンが抜け何一つ残っていないと思われたジャズがプレイオフ進出を果たす大きな原動力となった。
2004-05シーズン、オフに大型契約を結びヤル気満々でリーグ戦に臨んだキリレンコであったが、シーズン途中で故障にみまわれ、82試合中41試合の欠場を余儀なくされチームもプレーオフ進出を逃してしまう。しかし欠場は多かったものの1試合平均3.32ブロックをマークし、スモールフォワードとしては異例となるブロックショットのタイトル獲得を成し遂げた[1]。
迎えた2005-06シーズン、ジャズはドラフト3位でデロン・ウィリアムスを獲得し、2年ぶりのプレーオフ進出を狙ったが、キリレンコはまたも13試合で欠場してしまう。ジャズは82試合のうち、キリレンコが先発出場した63試合では36勝27敗と勝ち越したが、それ以外では5勝14敗、欠場した試合では3勝10敗と苦戦を強いられた。結局チームはまたしてもプレーオフ進出を逃してしまう。しかしキリレンコ個人の内容は悪くなく、マルチなプレーで活躍をみせた。
度重なる故障に見舞われながらも単身でストックトン・マローン時代以降のジャズを支えてきたキリレンコだが、2006-07シーズンに入るとウィリアムス・カルロス・ブーザーのコンビが台頭し、キリレンコは望むような役割を得られなかった。チームは51勝31敗の好成績で4シーズンぶりのプレイオフに進出し、プレイオフではカンファレンスファイナルまで勝ち進んだが、快進撃をしたチームの一方でキリレンコ自身は8.3得点4.7リバウンドと過去最低の成績に終わった。自身の扱いに不満を持ったキリレンコはトレード要求し、チームとの関係は悪化したが、夏のユーロバスケットではロシアを優勝に導き、18得点8.6リバウンドの大会成績を残したキリレンコは大会MVPに選ばれて改めてその実力を示し、2007-08シーズンもジャズの一員として迎えようとしている。
タイトル
- ブロックショット1位:2004-05(3.32)
- オールNBAディフェンシブ2ndチーム選出:2004-05
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