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アレクサンダー・フォン・シーボルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/18 02:53 UTC 版)

アレクサンダー・ゲオルグ・グスタフ・フォン・シーボルト(Alexander George Gustav von Siebold、1846年8月16日 - 1911年1月)は、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの長男で、幕末に在日英国公使館の通訳を務めた後、明治政府にお雇い外国人として40年間雇用された。


  1. ^ 「特別」がつくのは、英国での正式な教育を受けていなかったためで、その後試験に合格して通訳生となった。公使館の通訳としては、アーネスト・サトウより少しだが先輩にあたる。但し、年は3つ下であった。
  2. ^ しかしながら、慣用句までの知識は持っていなかったようで、サトウによると"son of gun"(卑劣漢)という慣用句を「鉄砲の息子」と日本語に直訳したことがあったそうである。
  3. ^ 森山は一応英語もできたが、交渉に使えるようなレベルにはなかった。日本での英語教育が本格的になるのは、長崎英語伝習所が設立されてからである。
  4. ^ 英国公使館にはオランダ語通訳官もいた。彼らの年俸は500ポンドでアレクサンダーやサトウら日本語通訳官より100ポンド高かった。アレクサンダーとサトウが直接日本語通訳ができるようになった時点で、二人はハリー・パークス公使と賃上げ交渉を行っている。
  5. ^ サトウも通訳として薩英戦争に参加しているが、旗艦ではなくアーガスというコルベットに乗艦していた。この時点では通訳としての信頼感はアレクサンダーの方が上であったのであろう。
  6. ^ もともとは休暇でヨーロッパに戻る予定であったが、それを知った幕府が通訳に雇用した。フランスではナポレオン3世への謁見の通訳を誰が行うかで、メルメ・カションともめている。


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