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アルフレッドノーベル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/05 12:55 UTC 版)
| アルフレッドノーベル | |
|---|---|
| 現役期間 | 2009年 - 2010年 |
| 英字表記 | Alfred Nobel |
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 鹿毛 |
| 生誕 | 2007年1月23日(4歳) |
| 父 | Danehill Dancer |
| 母 | Glinting Desert |
| 母の父 | Desert Prince |
| 生国 | |
| 生産 | ロッジパークスタッド |
| 馬主 | デリック・スミス、 ジョン・マグナー夫人、 マイケル・テイバー |
| 調教師 | エイダン・オブライエン(愛) |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 10戦3勝(総合) 8戦3勝(愛) 1戦0勝(英) 1戦0勝(米) |
| 獲得賞金 | ?ユーロ |
アルフレッドノーベル(Alfred Nobel)はアイルランドで生産された競走馬である。G1競走の勝ち鞍は2009年のフェニックスステークス。主戦騎手はジョニー・ムルタが務めていた。
目次 |
経歴
- 2009年(2歳)
4月18日にナアス競馬場で行われたメイドン競走が競走馬デビュー戦となったが2着で、続く5月4日にカラ競馬場で行われたメイドン競走は3着、そしてデビュー3戦目となった5月28日にレパーズタウン競馬場で行われたメイドン競走を制して初勝利を挙げた。初勝利後は重賞競走初挑戦となる6月28日のレイルウェイステークス(G2)を1番人気の支持に応えてレースを制して重賞競走初勝利を挙げ、続くG1競走初挑戦となる7月26日のフェニックスステークスも1番人気で制し、3連勝でG1競走初勝利を挙げた[1]。 続く9月12日のナショナルステークスでも圧倒的1番人気に支持されたが、6着と殿負けに終わった。10月3日の特別戦5着の後、米国に遠征して11月7日のブリーダーズカップ・ジュヴェナイルに出走したが10着と大敗した。
- 2010年(3歳)
緒戦は4月11日の一般競走に出走したが7着、続く5月22日のグリーンランドステークス(G3)でも3着に敗れた。このレースを最後に現役を引退し、種牡馬となる。
競走成績
| 年月日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 頭 数 |
ゲート 番 |
オッズ (人気) |
着順 | 騎手 | 斤 量 |
距離(馬場) | タイム |
着差 | 勝ち馬/(2着馬) | ||
| 2009 | 4. | 18 | ナアス | メイドン | 8 | 1 | 2着 | J.ムルタ | 129lb | 芝5f(Y) | 1/2 | Pilgrim Dancer | |||
| 5. | 4 | カラ | メイドン | 12 | 11 | 3着 | J.ムルタ | 129lb | 芝6f(Hy) | 3/4 | Atasari | ||||
| 5. | 28 | レパーズタウン | メイドン | 9 | 6 | 1着 | J.ムルタ | 129lb | 芝7f(G) | 1:27.30 | 1.1/2 | (Montecchio) | |||
| 6. | 28 | カラ | レイルウェイS | G2 | 6 | 3 | 2.50(1人) | 1着 | J.ムルタ | 127lb | 芝6f(GY) | 1:15.05 | 1.1/4 | (In Some Respect) | |
| 7. | 26 | カラ | フェニックスS | G1 | 8 | 3 | 2.25(1人) | 1着 | J.ムルタ | 127lb | 芝6f(Hy) | 1:20.37 | 1/2 | (Air Chief Marshal) | |
- 年度別競走成績
- 2009年(2歳) 8戦3勝
- 1着 レイルウェイステークス(G2)、フェニックスステークス(G1)
- 2010年(3歳) 2戦0勝
血統表
| アルフレッドノーベルの血統 ダンジグ系/Danzig 3×4=18.70%、Natalma 5×5=6.25%(父内) | |||
|
父
Danehill Dancer 1993 鹿毛 |
*デインヒル Danehill 1986 鹿毛 |
Danzig | Northern Dancer |
| Pas de Nom | |||
| Razy Ana | His Majesty | ||
| Spring Adieu | |||
| Mira Adonde 1986 鹿毛 |
Sharpen Up | *エタン | |
| Rocchetta | |||
| Lettre d'Amour | Caro | ||
| Lianga | |||
|
母
Glinting Desert 2002 鹿毛 |
Desert Prince 1995 鹿毛 |
Green Desert | Danzig |
| Foreign Courier | |||
| Flying Fairy | Bustino | ||
| Fairy Footsteps | |||
| Dazzling Park 1996 青鹿毛 |
*ウォーニング Warning |
Known Fact | |
| Slightly Dangerous | |||
| Park Express | Ahonoora | ||
| Matcher F-No.19-b | |||
- 血統背景
- 曾祖母、パークエクスプレス(1983年フェニックスチャンピオンステークス、他重賞競走2勝)
- 大伯父(祖母の半兄)、シンコウフォレスト(1998年高松宮記念、他重賞競走2勝)
- 大叔父(祖母の半弟)、ニューアプローチ(2007年ナショナルステークスなどG1競走5勝、他重賞競走1勝)
脚注
- ^ 鞍上のムルタは2年連続2度目、オブライエン厩舎は2年連続及び同競走史上最多勝を更新する10度目の同競走制覇となり、父デインヒルダンサーにとっては父仔制覇及び産駒が同競走2連覇を達成した。
外部リンク
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アルフレッド・ノーベル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/20 23:34 UTC 版)
| アルフレッド・ノーベル | |
|---|---|
| 生誕 | 1833年10月21日 |
| 死没 | 1896年12月10日(満63歳没) イタリア、サンレモ |
| 職業 | 化学者、実業家 |
アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel, 1833年10月21日 - 1896年12月10日)は、ダイナマイトの発明で知られる化学者、実業家。ノーベル賞の提唱者。スウェーデンのストックホルム生まれ。ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたことから、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。
Nobelの発音は、スウェーデン語では「ノゥベール」(太字はアクセント)となり、第二音節にアクセントがある[1]。また、フルネールの英語発音も/ˈælfred ˈbəːrnhɑːrd nouˈbel/(アルフレド・バーンハード・ノウベル)のように、第二音節にアクセントがある。ただし、ノーベル賞 the Nobel Prize は英語発音: /ˈnoubel ˈpraiz/(ノウベル・プライズ)のように第一音節にアクセントがあるので注意が必要。
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概要
知人の化学者アスカニオ・ソブレロが発明した爆薬、ニトログリセリンを、初めて実用化することに成功。さらにこれを改良し、安全に使えるようにしたダイナマイトを発明した。ダイナマイトは工事現場での岩盤の破壊など、作業の効率化を進めるものとして広く普及したが、同時に戦争にも爆薬として使用された。
略歴
生まれたとき、父親のイマヌエル・ノーベル(職業は発明家・建築家)は破産したばかりだったが、家族と別れてロシアで興した事業が成功。1842年には父親の住むサンクトペテルブルクに向かい、科学者ニコライ・ジーニンに師事。のちに親の事業を手伝う。ここでの主な仕事はロシア軍を相手にした機雷の製造・設置だった。やがてクリミア戦争が起きると、軍から大量の注文で大儲けをするが、1853年の戦争終結と同時に注文が止まったばかりでなく、軍がそれまでの支払いも延期したため事業はたちまち逼迫し父は1859年に再び破産する。
1850年から二年間、欧米7カ国を旅行して科学について広い知識を得る。その際パリでテオフィル=ジュール・ペルーズの科学講座を受講している(アスカニオ・ソブレロは彼の生徒の一人)。
ノーベル本人は1855年にニトログリセリンのことを知る。しかし、この爆薬は狙って爆発させることが難しいという欠点があったので起爆装置を開発。1862年にサンクトペテルブルクで水中爆発実験に成功。1863年にはスウェーデンで特許を得てストックホルムの鉄道工事で認められるが、軍には危険すぎるという理由で採用を拒まれる。 1864年には爆発事故で弟エミール・ノーベルと5人の助手が死亡。ノーベル本人も怪我を負う。この事故に関してはノーベル本人は一切語っていないが、父イマニュエルによればニトログリセリン製造ではなくグリセリン精製中に起きたものだという。この事故で当局からストックホルムでの研究開発が禁止されたためハンブルクに工場を建設。また合成者のアスカニオ・ソブレロ (Ascanio Sobrero) に対し充分な対価を支払った。 1865年ニトログリセリンの製造業を開始する。衝撃に対する危険性を減らす方法を模索中、ニトロの運搬中に使用していたクッション用としての珪藻土とニトロを混同させ粘土状にしたものが爆発威力を損なうことなく有効であることがわかり、1866年ダイナマイトを発明する。彼の莫大な利益を狙うシャフナーと名乗る軍人が特許権を奪おうと裁判を起こしたがこれに勝訴し、1867年ダイナマイトに関する特許を取得する。しかしシャフナーによる執拗な追求はその後も続き、アメリカ連邦議会にニトロの使用で事故が起きた場合、責任はノーベルにあるとする法案まで用意されたため、軍事における使用権をシャフナーに譲渡。 1871年、珪藻土を活用しより安全となった爆薬をダイナマイト(ギリシア語で「力」)と名づけ生産を開始。50カ国で特許を得て100近い工場を持ち、一躍世界の富豪の仲間入りをする。
1876年には結婚相手を見つけようと考え、女性秘書を募集する広告を5ヶ国語で出し、5ヶ国語で応募してきたベルタ・キンスキーという女性を候補とする。しかしベルタには既にアートゥル・フォン・ズットナーという婚約者がおり、ノーベルの元を去ってフォン・ズットナーと結婚した。この2人の関係はノーベルの一方的なものに終わったが、キンスキーが「武器をすてよ」などを著し平和主義者だったことが、のちのノーベル平和賞創設に関連していると考えられている。そして1905年に女性初のノーベル平和賞を受賞。
また同年、当時20歳のゾフィー・ヘスと出会い、交流が始まる。ゾフィーには218通の手紙を残した。しかし1891年に、ゾフィーが他の男の子供を宿していることが分かり2人の関係は急速に冷えた。ノーベルの死後、ゾフィーはこれらの手紙をノーベル財団に高額で買い取らせることに成功したためすべてが残っており、またノーベル財団により公開もされている。
1878年、兄リュドビックとロベルトと共に現在のアゼルバイジャンのバクーでノーベル兄弟石油会社を設立。この会社は1920年にボリシェヴィキのバクー制圧に伴い国有化されるまで存続した。
1884年、フランス政府からレジオン・ド・ヌール勲章を授与される。
1888年、兄ルードヴィが死去。この時、ノーベルと取り違えて死亡記事を載せた新聞があり、見出しには「死の商人、死す」とあった。さらに本文には「アルフレド・ノーベル博士: 可能な限りの最短時間でかつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた人物が昨日、死亡した」と書かれており、このことからノーベルは死後の評価を気にするようになったという[2]。
1890年、知人がノーベルの特許にほんのわずか変更を加えただけの特許をイギリスで取得。ノーベルは話し合いでの解決を希望したが、会社や弁護士の強い意向で裁判を起こす。しかし1895年最終的な敗訴が確定する。
1894年武器製造工場を買い取り、武器製造業に進出する。
1895年、持病の心臓病が悪化しノーベル賞設立に関する記述のある有名な遺言状を書く。病気治療に医師はニトロを勧めたが、彼はそれを拒んだ。
1896年12月7日、サンレモにて脳溢血で倒れる。倒れる1時間前までは普通に生活し、知人に手紙を書いていた。倒れた直後に意味不明の言葉を叫び、かろうじて「電報」という単語だけが聞き取れたという。これが最後の言葉となった。急ぎ親類が呼び寄せられるが、3日後に死亡した。生涯独身であり、子供はいなかった。死の床にも召使がいただけで、駆けつけた親類は間に合わず誰もいなかった。
現在、ノーベルはストックホルムのNorra begravningsplatsen(北の墓地)に埋葬されている。
遺産
ノーベルの莫大な遺産の相続をめぐって、兄弟やその子達が当然のようにトラブルを起こしたために指名された相続執行人は苦労した。ノーベル本人は1890年に起こした訴訟の経験から弁護士を信用しておらず、直筆で自分だけで遺言状を書いたために遺書の内容には矛盾点が多く、このことも相続執行人を悩ませた。
最後に書かれて、最終的に有効とされた遺言状には、遺産を使って賞を作り、科学技術、文学、平和など合計5部門に貢献した人物に賞を贈るように記載されていた。ノーベル本人はこの賞に名はつけていないが、現在この賞は「ノーベル賞」と呼ばれている。
最終的にノーベル財団が設立され、ノーベルの意思は次の次の世紀まで伝えられることになった。賞についての詳細は、ノーベル賞の項目を参照のこと。
なお現在もノーベルの名を冠する会社は欧州各地にあり、爆薬製造や化学工業を行っている。特にドイツのダイナマイト・ノーベル社は、対戦車兵器パンツァーファウスト3やケースレスライフルH&K G11用弾薬など、現在も兵器の開発・製造を行っている。
文学作品
ノーベルは少年時代から文学に関心を持っており、特にバイロンとシェリーの詩に熱中して自らも詩を書いていたが、それらのほとんどは晩年に破棄された。最晩年に書き上げた戯曲「ネメシス」という作品は2005年に初演された。
その他
日本の菓子製造会社で大阪市生野区に本社があるノーベル製菓はノーベルの名を冠しているが、ノーベル本人とは全くの無関係である。1949年に湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞した際にノーベルの登録商標を取得、1959年に社名をノーベル製菓に変更しているためで、ノーベル製菓の初代社長が湯川秀樹と交友関係であったことから単にノーベル賞に因んだ社名を付けただけである。
参考
- ディスカバリーチャンネル「ミッションX ダイナマイトの発明」
脚註
- ^ 実際の発音はこちらの音声ファイル
Alfred Nobel と Alfred Nobel - Forvo.com を参照。 - ^ フランス通信社 死の商人から平和の象徴へ、「ノーベル賞」創設秘話 * 2010年10月04日 17:19 発信地:ストックホルム/スウェーデン
固有名詞の分類
| 化学者 |
ロバート・ロビンソン アブラハム・フレキシナー アルフレッド・ノーベル 田隅三生 Ernst Otto Beckmann |
| スウェーデンの化学者 |
ハンス・フォン・オイラー=ケルピン ウィルヘルム・ティセリウス ペール・テオドール・クレーベ アルフレッド・ノーベル ヨハン・ゴットリーブ・ガーン |
| サラブレッド |
アドマイヤマックス ミホノブルボン アルフレッドノーベル ファイトガリバー レモンドロップキッド |
| 実業家 |
岡田卓也 ハワード・ヒューズ アルフレッド・ノーベル 服部正也 ルカ・ディ・モンテゼーモロ |
| アイルランド生産の競走馬 |
レッドラム イスタブラク アルフレッドノーベル ソロナウェー モンジュー |
| アイルランド調教の競走馬 |
ハラダサン イスタブラク アルフレッドノーベル ソロナウェー パーソロン |
| 2007年生 (競走馬) |
レーヴドリアン アルフレッドノーベル シンメイフジ ショウリダバンザイ ラブミーチャン |
| スウェーデンの実業家 |
ジョン・エリクソン クリストフェル・プールヘム アルフレッド・ノーベル ニルス・グスタフ・ダレーン イングヴァル・カンプラード |
| スウェーデンの発明家 |
スヴェン・ヴィンクヴィスト ジョン・エリクソン クリストフェル・プールヘム アルフレッド・ノーベル ニルス・グスタフ・ダレーン |