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アルフォンソ・カルロス・デ・ボルボン (サン・ハイメ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/12/22 18:47 UTC 版)

アルフォンソ・カルロス・フェルナンド・ホセ・フアン・ピオ・デ・ボルボン・イ・アウストリア=エステ(Alfonso Carlos Fernando José Juan Pío de Borbón y Austria-Este, duque de San Jaime y de Anjou, 1849年9月12日 - 1936年9月29日)は、ボルボン家の人物。サン・ハイメ公およびアンジュー公を称し、正統王党派(レジティミスト)によってフランス・ブルボン家の王位継承者シャルル12世とされ、またカルリスタによってスペイン王アルフォンソ・カルロス1世とされた。スペインおよびフランスの王位請求者モンティソン伯フアン・カルロスとその妻のモデナ公女マリーア・ベアトリーチェの次男。兄マドリード公カルロスの子ハイメの死後、両王位の請求権を受け継いだ。


  1. ^ 現スペイン王フアン・カルロス1世の父。息子の即位後に没し、スペイン王フアン3世として埋葬された。
  2. ^ 父王の生前に王位継承権を放棄、そののち一時は王位を主張したが、最終的にフアン・カルロス1世の正統性を認めた。
  3. ^ パルマ公ロベルト1世とマリア・ダス・ネヴェスの妹マリア・アントニアの子で、オーストリア皇后ツィタの兄。のちにブルボン=パルマ家家長となった。なお、その死後は息子2人がそれぞれ王位請求者に推され、支持者がさらに分裂した。
  4. ^ マドリード公カルロスの長女ブランカの子。父は最後のトスカーナ大公フェルディナンド4世の甥レオポルト・ザルヴァトール


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