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アデナウアー [Konrad Adenauer]
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コンラート・アデナウアー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/04/21 02:03 UTC 版)
(アデナウアー から転送)
コンラート・ヘルマン・ヨーゼフ・アデナウアー[1](Konrad Hermann Joseph Adenauer, 1876年1月5日 - 1967年4月19日)は、ドイツの政治家。西ドイツの初代連邦首相を1949年から1963年に渡って務めた。また1951年から1955年には外相を兼任した。戦前はドイツ中央党に属し、戦後はキリスト教民主同盟 (CDU) の初代党首。
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- ^ ドイツ語での発音に従えば「アーデナウア」と表記したほうが正確だが、日本では慣用的に「アデナウアー」と表記されている。
- ^ 一方でカトリック中央党の政治家として反キリスト教的・「反道徳的」な芸術には厳しく臨み、ブレヒトの劇「三文オペラ」のセリフを変更させたり、バルトークの「中国の不思議な役人」の上演を禁止したり、印象派画家オットー・ディクスの作品を美術館から撤去させたりした。
- ^ ヘルムート・コールが1982年から1998年まで5期16年務めるまで、ドイツの民選宰相としては最長記録だった。
- ^ ただし政治に容喙してナチスの台頭を許した元軍人の大統領パウル・フォン・ヒンデンブルクを引き合いに出して、軍人が大統領になることには懸念をもっていたという。
- ^ アデナウアーは1949年にすでに西ドイツの再軍備を主張していたが、表面上はNATO 諸国の要望によるものという形式をとっていた。1950年、再軍備に抗議して CDU の重鎮グスタフ・ハイネマン内相が辞任している。1951年に連邦国境警備隊が、1955年11月12日にドイツ連邦軍が創設され、アデナウアーの主張が実現した。
- ^ 「私は本日、本会議場において連邦政府の名において宣言したいと思います。われわれは皆、気高き軍人の伝統の名において、陸・海・空で名誉ある戦いを繰り広げたわが民族のすべての兵士の功績を承認します。われわれは近年のあらゆる誹謗中傷にもかかわらず、ドイツ軍人の名声と偉大な功績がいまなおわが民族のもとで命脈を保ち、今後も生き続けることを確信します。」これが現在に至るまでドイツにおける旧軍に対する認識の基礎となった。
- ^ アデナウアーは首相就任時にすでに73歳だった。ドイツ政治では円熟は求めても「活きの良さ」を重視する傾向があり、アデナウアー以外に70代の人物が連邦首相を務めたことはない。
- 1 コンラート・アデナウアーとは
- 2 コンラート・アデナウアーの概要
- 3 人物
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