アタリショックとは? わかりやすく解説

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アタリショック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/24 13:46 UTC 版)

アタリショック英語: Video game crash of 1983)とは、1982年アメリカ合衆国における年末商戦を発端とする、北米のゲーム市場で起こった家庭用ゲーム機の売上不振のことである[1]


注釈

  1. ^ ゲーム雑誌自体は存在した。特に1982年末から1983年にかけては複数の雑誌が創刊されている[6]。また、『ビルボード』誌には家庭用ゲームソフトのセールスチャートが掲載されており、ソフト購入の参考にすることができた[7]
  2. ^ 欧州製ホビーパソコンも北米進出は叶わなかった。また、日本のホビーパソコンは欧州へは進出しており、シャープ・MZシリーズなどが人気を得ている。

出典

  1. ^ a b c 山田真司ゲーム・ケータイの音楽「<特集>音楽制作と情報処理の友好関係」『システム/制御/情報』第56巻、第5号、システム制御情報学会、226 - 231頁、2012年。 
  2. ^ 『アタリショックと任天堂』kindle個人出版、2020年。 
  3. ^ "Video Games Gain In Japan, Are Due For Assault On U.S.". The Vindicator. June 20, 1986。海外紙の記事なので元の日本語は不明だが、山内本人の言葉として"Atari collapsed because they gave too much freedom to third-party developers and the market was swamped with rubbish games."とある。
  4. ^ a b 社長が訊く「スーパーマリオ25周年」ファミコン発売当時の関係者へのインタビュー。当時の任天堂内部のアタリショックへの恐怖が語られている。
  5. ^ 都市伝説の「E.T.」ゲーム、30年ぶりに発掘”. CNN (2014年4月29日). 2014年5月11日閲覧。
  6. ^ ウェブサイト「Digital Press」を参照。
  7. ^ 参考として『ビルボード』1982年11月20日号、p.26の「Top 15 Video Games」Google ブックス)。
  8. ^ 樺島榮一郎「コンテンツ産業の段階発展理論からみる一九七二〜八三年の北米ビデオ・ゲーム産業─いわゆる「アタリ・ショック」をどう解釈するか」『コンテンツ文化史研究』第4号、コンテンツ文化史学会、24 - 42頁、2010年。 
  9. ^ Matt Barton, Bill Loguidice (2008年2月28日). “A History of Gaming Platforms: Atari 2600 Video Computer System/VCS” (英語). Gamasutra. 2014年5月22日閲覧。
  10. ^ 藤田直樹「米国におけるビデオ・ゲーム産業の形成と急激な崩壊 ―現代ビデオ・ゲーム産業の形成過程(1)―」『經濟論叢』第162巻第5-6号、京都大學經濟學會、1998年11月、54-71頁、NAID 120000904860 
  11. ^ Atari Parts Are Dumpedニューヨーク・タイムズ
  12. ^ The Freeman PC Museum - PC Timeline
  13. ^ a b ファミコンの生みの親とスーパーマリオのデザイナーが登場! - GAME Watch
  14. ^ "NES". Icons. Season 4. Episode 5010


「アタリショック」の続きの解説一覧

アタリショック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 03:39 UTC 版)

Atari 2600」の記事における「アタリショック」の解説

詳細は「アタリショック」を参照 『スペースインベーダー』などが大ヒットした一方で1982年までにはサードパーティによるゲームソフト粗製濫造相次いでいた。 サードパーティー一つであるミスティーク英語版)は、Atari2600向けに性的な内容含んだソフトを開発・販売してきた。その一つである『カスターズ・リベンジ』は、ジョージ・アームストロング・カスターアメリカインディアン女性強姦する内容となっており 、女性団体インディアン団体から抗議寄せられるなど論争呼んだまた、コレコビジョンやエマーソン・アルカディアといった新しゲーム機コモドール64代表される低価格パソコンとの競争Atari 2600晒されていた。さらに、売上増大生産追い付いていなかった前年10月アタリ社販売代理店対し翌年分の一括発注求めた結果品切れ避けるために販売代理店水増し発注をした。その誤った需要予測基づいて生産行ったアタリ社過剰在庫抱えることとなり、たとえば1982年春に発売され『パックマン』Atari 2600移植版カートリッジは、当時稼働していた本体の数を数百本も上回る数が生産された。クリスマス商戦向けて発売された『E.T.』も売上以上に大量売れ残り発生し翌年には『パックマン』とともにニューメキシコ州アラモゴード市の埋め立て地ビデオゲームの墓場」に埋められた。1982年第4四半期から翌1983年第1四半期にかけてアタリ売上急落。これが発端となり、1985年までにAtari 2600のみならず米国家庭用ゲーム市場そのもの急速に衰退し一連の凋落はのちにアタリショックとして知られるようになった加えて、『E.T.』と『パックマン』はアタリショックを引き起こしたソフトとして知られるようになった

※この「アタリショック」の解説は、「Atari 2600」の解説の一部です。
「アタリショック」を含む「Atari 2600」の記事については、「Atari 2600」の概要を参照ください。

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