アイデ・イスカンダルとは? わかりやすく解説

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アイデ・イスカンダル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/24 18:57 UTC 版)

アイデ・イスカンダル
名前
本名 アイデ・イスカンダル・ビン・サハク
ラテン文字 Aide Iskandar bin Sahak
基本情報
国籍 シンガポール
生年月日 (1975-05-28) 1975年5月28日(48歳)
出身地 シンガポール
身長 180cm
選手情報
ポジション DF(CB)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2005 ホーム・ユナイテッド 135 (16)
2006-2007 ジョホールFA 23 (2)
2006 タンピネス・ローバースFC(loan) 18 (1)
2007-2008 ゲイラン・ユナイテッドFC 43 (0)
2009 センカン・プンゴル 0 (0)
代表歴2
1995-2007[1]  シンガポール 121[3] (1[2])
監督歴
2009-2011 センカン・プンゴル
2012  シンガポール
2013- ヤング・ライオンズ
2013-2015  シンガポール U-23
1. 国内リーグ戦に限る。
2. 2009年5月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アイデ・イスカンダル・ビン・サハクAide Iskandar bin Sahak1975年5月28日 - )は、シンガポールの元サッカー選手。元同国代表主将で現役時代のポジションはCB。現在はSリーグに所属するヤング・ライオンズの監督を務めている。

選手歴

1996年ホーム・ユナイテッドに加盟した後に10年間同チームの選手として過ごした。2005年11月には隣国マレーシアジョホールFAに移籍した。しかし2006年のシーズンはタンピネス・ローバースFCにレンタル移籍した為にこの年もSリーグで過ごした。2007年にはゲイラン・ユナイテッドFCに移籍した。

同年8月26日、彼は審判のスフビル・シンに対して「この試合に幾ら賭けたんだ」と聞いたと報じられており、結局ゲイランはこの試合の最後5分で2点を決められてホーム・ユナイテッドに敗北した[4]。これによってアイデは5試合の出場禁止及び2500シンガポールドルの罰金が9月4日に課された。その後、シンガポールサッカー協会は彼を2試合の出場停止、4000シンガポールドルの罰金へとその処分を変更した[5]

この騒動によって、アラブ首長国連邦代表戦、パレスチナ代表戦の代表入りから脱落した。処分終了後には再び代表に復帰した。

代表歴

アイデが代表デビューしたのは1995年2月21日ニュージーランド代表戦である。しかしながら、得点を初めて挙げたのは2006年6月3日マレーシア代表戦であり、結局この1点のみを代表では獲得したのみである[2]。その後2007年5月17日にはFIFAセンチュリークラブのリストに掲載された[6]

同年11月9日、2010 FIFAワールドカップ・アジア予選タジキスタン代表戦のキックオフの数時間前に代表引退を突然表明した[7]。その後、主将はインドラ・サーダン・ダウドに引き継がれた。

監督歴

2008年4月、セリエAのファンであるアイデがシンガポールで同年末に開かれるACミランのジュニアスクールの技術監督を務める事が発表された。

2009年のシーズンは現役を引退したセンカン・プンゴルのアシスタントコーチに就任し、前シーズンのミルコ・グラボヴァツに近い位置となった。コーチのヨルグ・シュタインブルーナーが解雇されると彼はメディカルコーチになった。

2013年にはヤング・ライオンズの監督に就任した[8]。ヤング・ライオンズは8月にリーグで1勝を挙げたのみで、彼の監督初シーズンは最下位の成績を残した[9]ヴァラダラジュ・スンドラムールシーの退任に伴い、アイデはシンガポールU-23代表の監督にも就任した[10]。U-23代表では2013年東南アジア競技大会への出場を果たした。

2015年の東南アジア競技大会でのインドネシアU-23代表戦での1-0の敗戦によって、監督を辞任した[11]

生活

アイデは2000年5月7日に結婚しており、妻との間には3人の子供がいる[12]

タイトル

選手

クラブ

ホーム・ユナイテッド

タンピネス・ローバースFC

  • シンガポール・カップ: 2006

代表

シンガポール

監督

シンガポール U-23

  • 東南アジア競技大会
    • 銅 – 2013

参考文献

  1. ^ FAS launches FAS Captains' Advisory Panel”. FAS. 2017年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月21日閲覧。
  2. ^ a b Alvin Foo (2006年6月4日). “Captain Aide's first goal wins it for Singapore”. The Straits Times 
  3. ^ FIFA Century Club fact sheet”. FIFA (2013年4月12日). 2015年9月2日閲覧。
  4. ^ Wang Meng Meng (2007年9月6日). “Banned”. The Straits Times 
  5. ^ “Aide gets ban reduced, but...”. Today. (2007年11月2日) 
  6. ^ FIFA Century Club fact sheet”. FIFA (2007年6月12日). 2015年9月2日閲覧。
  7. ^ Wang Meng Meng (2007年11月10日). “Aide quits the lions”. The Straits Times 
  8. ^ “Former Singapore captain Aide Iskandar named Courts Young Lions coach”. The Straits Times. (2013年1月15日). http://www.straitstimes.com/breaking-news/sports/story/aide-iskandar-named-courts-young-lions-coach-20130115 
  9. ^ Aide hails team effort in Young Lions' first league victory”. Goal.cm. 2014年4月8日閲覧。
  10. ^ Aide Iskandar replaces Sundram for SEA Games”. Goal.com. 2014年4月8日閲覧。
  11. ^ Football: Coach Aide Iskandar resigns after SEA Games failure”. channelnewsasia.com. 2015年6月11日閲覧。
  12. ^ Wang Meng Meng (2013年11月12日). “Aide Iskandar: The man with the golden goals”. The Straits Times. http://news.asiaone.com/news/sports/aide-iskandar-man-golden-goals 
先代
ナズリ・ナシル
サッカーシンガポール代表主将
2003-2007
次代
インドラ・サーダン・ダウド



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