わが闘争とは?

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わが闘争

原題:Mein Kampf
製作国:スウェーデン
製作年:1960
配給:東和
スタッフ
製作:Tore Sjoberg トーレ・ショーベルイ
編集:Erwin Leiser エルウィン・ライザー
日解:小山田宗徳 オヤマダムネノリ
キャスト(役名
解説
アドルフ・ヒットラー生涯中心としてナチ・ドイツ暴虐をとらえた記録映画ナチゲシュタポ反ユダヤ教育用に撮影しながらあまりの残忍さに今日まで陽の目をみることがなかったフィルムをはじめ、ドイツポーランドソビエトなどのニューズ・リール、東ドイツ映画「なんじ多く戦友」の中の実写部分などが、篇中に使用されている。編集者エルウィン・ライザー戦時中スウェーデン亡命していた本年三十七歳のユダヤ系ドイツ人である。第一次大戦ドイツ敗北はじまり、ヒットラーナチ創立彼のクーデター、「わが闘争」の執筆独裁政治確立ユダヤ人弾圧ポーランド侵略強制収容所残虐、そしてヒットラーの死などが出来るかぎり集められた記録フィルムによってスクリーン再現されている。時代的には一九一四年の第一次大戦ぼっ発にはじまって、一九四五年四月二十九日ヒットラー自殺までの出来ごとである。ヒットラー幼年青年時代スチル写真を使って再現され、強制収容所によるユダヤ人虐殺その他のユダヤ人弾圧についてはことに大きな部分がついやされている。なお題名の「わが闘争」はナチバイブルだったヒットラーの書いた書物の名からとられている。西ドイツでこの作品一九六○年八月全国公開され空前センセーションをまきおこしたベルサイユ条約第一次大戦の終った時一千億マルクにおよぶ賠償金ドイツ連合国側に支払わされた頃の記録当時のサイレント・ニューズ映画からとられ、一九二○年代ナチス党創立突撃隊組織にはじまるヒットラー暴挙歴史編年的に編集されていく。当時新聞書物インサートなどもしばしば現われる一九二八年の十二名のナチ党国会入り一九三三保守派フォン・パーペンと組んでの連立内閣成立同年国会議事堂放火事件全権委任法の強引な成文化などがつぎつぎとスクリーン登場以後親衛隊暴挙日独伊三国同盟結成ミュンヘン会談などにつながる。スカンジナビヤ、オランダベルギー対す破竹進撃と、パリ占領フランス休戦条約てい結あたりが華やかだったナチ歴史のやまである。以後スターリングラード戦における惨敗冬将軍到来による戦線後退連合軍ノルマンディー上陸と、ナチ雄図挫折をつづけていくことになる。日本語版の解説を担当したの小山田宗徳。製作をうけもったのはトーレ・ショーベルイである。
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください

わが闘争

原題:
製作国:日本
製作年:1968
配給:松竹
スタッフ
監督:中村登 ナカムラノボル
製作:白井昌夫 シライマサオ
原作:堤玲子 ツツミレイコ
脚色:広瀬襄 ヒロセジョウ
企画:若槻繁 
撮影:竹村博 タケムラヒロシ
音楽:八木正生 
美術:横山豊 ヨコヤマユタカ
編集:浦岡敬一 ウラオカケイイチ
録音:田中俊夫 タナカトシオ
スクリプター:堺謙一 
照明:飯島博 イイジマヒロシ
キャスト(役名
吉田義夫 ヨシダヨシオ (堤又士)
桑山正一 クワヤママサカズ (堤岩吉
野村昭子 ノムラアキコ (堤雅乃)
岩本多代 イワモトマスヨ (堤秋乃)
佐久間良子 サクマヨシコ (堤怜子)
香山美子 カヤマヨシコ (堤時子
夏八木勲 ナツヤギイサオ (堤仙一)
加賀まりこ カガマリコ (堤美也)
入川保則 イリカワヤスノリ (渋川良)
石坂浩二 イシザカコウジ (山本靖)
中山仁 ナカヤマジン (タケ
吉田日出子 ヨシダヒデコ (加代)
曽我廼家一二三 ソガノヤヒフミ (
川津祐介 カワヅユウスケ (吉岡
星雅之 ホシマサユキ (西坂
倉田爽平 クラタソウヘイ (山口
金光満樹  (三井
渡辺さゆり ワタナベサユリ (勝美)
長門勇 ナガトイサム (年寄り運転手
近藤準  (中原課長
高木信夫 タカギノブオ (医師
桜むつ子 サクラムツコ (産婆
秋山みゆき アキヤマミユキ (怜子の少女時代
寺尾理恵 テラオリエ (時子少女時代
太田実 オオタミノル (仙一の少年時代
穂積隆信 ホヅミタカノブ (マネージャー
解説
堤玲子同名小説三一書房刊)を、「智恵子抄(1957)」の広瀬襄脚色し、「爽春」の中村登監督した半生記もの。撮影は「進め!ジャガーズ 敵前上陸」の竹村博
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください
岡山市に住む堤家は、祖父過失から濁った血の遺伝貧困家庭転落した。白痴の姉秋乃を愛した怜子は、子供心にも結婚はすまい、まして子供生むまいと決心していた。やがて怜子は自ら“乱れ星のお怜”と名乗りいっぱしの不良少女になっていたが、心には、純粋なものを持っていた。また彼女は駅の売店勤め同人雑誌仲間に入って詩を作るという一面も持っていた。怜子が最初愛したのはタケという男だったが、彼は人を刺し刑務所に行った。だが間もなく、怜子は最初同人雑誌発表会の夜、同人吉岡処女を奪われてしまった。女は花嫁姿で泣きながら処女を失っていくものと考えていた怜子の感傷無残にふみにじられ、その口惜しさに怜子は、吉岡を殺そうとまで思いつめた。しかし印刷工の渋川止められ、不幸な生いたちの渋川とともに尾道心中を図ったが果たされず、不幸な二人はその日、結ばれる。怜子の妹時子娼婦になり、ビッコの孤児育てていた。また末妹の美也は美しく成長し、あるキャバレー勤めていた。そんなおり、怜子は妊娠した。彼女は母となる幸福感にうずいたが、怜子は子供生むことを拒絶した。彼女自身のもつ遺伝恐怖におびえてのことだった。だが、渋川異常なほど、自分の子供を望んでいた。一方、美也のために公金横領まで犯し山本が美也に会わしてくれと怜子に頼んできた。二人帰宅してみると、そこには、美也と渋川抱き合っている姿があった。渋川自分の子欲しさのあまり、美也を抱いたのだ。山本はそんな渋川刺した。それから間もなく、怜子と美也は、渋川印刷してくれた怜子の詩集「わが闘争」を彼の墓前にそなえた。赤い夕焼け空が、そんな二人姉妹をつつんで静かに広がっていた。


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我が闘争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/06 06:31 UTC 版)

(わが闘争 から転送)

我が闘争』(わがとうそう、Mein Kampf)は、ヒトラー1923年ミュンヘン一揆の失敗後、獄中で著作を開始した本。第1巻「Eine Abrechnung」(和解)は1925年7月18日に公表された。第2巻「Die Nationalsozialistische Bewegung」(国家社会主義的運動)は1926年に公表された。ヒトラーが選んだオリジナルタイトルは『Viereinhalb Jahre gegen Lüge, Dummheit und Feigheit』(嘘と臆病、愚かさに対する4年半)だったが、ナチス党の出版担当であるマックス・アマンはこのタイトルが複雑だということで『Mein Kampf』(我が闘争)に決定した。


  1. ^ 児島襄 『第二次世界大戦 ヒトラーの戦い』
  2. ^ 大久保康雄訳『わが闘争』(三笠書房、1937年)、室伏高信訳『我が闘争』(第一書房、1940年)、真鍋良一訳『吾が闘争』(興風館、1942年)、東亜研究所特別第一調査委員会訳『我が闘争』(東亜研究所、1942年 - 1944年)
  3. ^ ヴォルフガング・シュトラール:著、畔上司:訳『アドルフ・ヒトラーの一族 独裁者の隠された血筋』(草思社、2006年) ISBN 4-7942-1482-0 第7章 現在のヒトラー家 p290 - p293
  4. ^ a b c d e “ドイツ:ヒトラーの「わが闘争」再出版 国内で論争に”. 毎日新聞. http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20110927k0000e030078000c.html 2011年9月27日閲覧。 


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