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吉田拓郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/26 18:05 UTC 版)
(よしだたくろう から転送)
吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年4月5日 - )は、日本の男性シンガーソングライター。
本名同じ。旧芸名は平仮名の「よしだたくろう」。楽曲提供者としては「入江剣[1]」の名を用いることもある。
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注釈
- ^ 拓郎自身は鹿児島県大口市で生まれるが、なぜ鹿児島だったのかも分からないと話している。
- ^ 広島は母方の祖母の出身地という。
- ^ バンド名は「リトル・ダーリン」の大ヒットで知られるアメリカのロックバンド・ダイヤモンズから
- ^ このコンテストに拓郎が出場した理由の一つは中村が審査員だったため。ボブ・ディランのアルバムの解説はたいてい中村が書いていてボブ・ディランのレコードもコロムビアから出ていた(田家秀樹 2007b, p. 149)。
- ^ この頃のフォークソングはうたごえ運動と重なっている部分があった。
- ^ LMC、実質のポプコンの前身
- ^ 後年の中津川フォークジャンボリーでのゲリラ演奏はこのときの経験が影響している
- ^ 「イメージの詩」は、アルバム音源を雑に編集したもの。「マークII」はアルバムに収録されたものとほとんど同じアレンジだが、音源は別。現在までこのシングルの音源は未CD化。レコード盤も売れなかったため、貴重品である。しかし、吉田に影響を受けたTHE ALFEEの坂崎幸之助は、このバージョンのシングルを発売当時に買って所有しており、2009年8月20日放送の「わが青春の吉田拓郎!坂崎幸之助のオールナイトニッポンGOLD」で実際に数年前にあるフリーマーケットで買ったと言う後に出た再録音盤の音源との違いを自ら掛けて聞き比べた。また、イメージの詩のあまりの編集の雑さに素人が曲の編集をしたんじゃないか?と批評した。
この『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』は東京のメディアでも話題となり、テレビでも紹介された。メンバーも出演したテレビ番組のなかで司会の芥川也寸志が「じゃあぼくも1枚買いましょう」と現金を払って買ったことがあった(ニッポンPOPの黄金時代、2001年、恩蔵茂、KKベストセラーズ、222)。
K's TRANSMISSION、NACK5 - ^ エレックは拓郎、泉谷の大黒柱を失った等の理由で1975年倒産するが、泉谷は自著「泉谷しげるの治外法権」の中で、社長がオレたちの稼ぎを女につぎ込んだから倒産した(p62)、拓郎は「社長も専務も皆サギ師、泉谷もみんな騙されていた」と糾弾しているコンサートMC
- ^ エレック盤にはユーゲント盤についていた写真集はついていない
- ^ 31日に4時間、1日に2時間のステージを行った
- ^ 加藤登紀子、本田路津子、赤い鳥、、フォーセインツ、ビリーバンバンほかと共演。
- ^ ゲストは高田渡、小室等と六文銭。
- ^ 高田渡、泉谷しげる、古井戸、RCサクセションと共演。
- ^ 六文銭、かぐや姫、ジローズ、シュリークス、五つの赤い風船、長谷川きよし、山本コウタローほかと共演。
- ^ ジローズ、オフコースほかと共演
- ^ かまやつひろし、六文銭、加川良、はっぴいえんど、頭脳警察、RCサクセション、エム、金延幸子、加橋かつみ、ゲッセマネ、成田賢、町田義人、南正人、鈴木ヒロミツ、乱魔堂他と共演。
- ^ 社名は小室等の愛娘・こむろゆいにちなむ。
- ^ ヒットしたシングル曲を別アレンジヴァージョンでアルバムに入れるのは当時は異例だった
- ^ 森も母親の自殺や見知らぬ女性から関係があったと訴えられ裁判になる(無罪判決)など苦難の時期であった
- ^ 浜田省吾らがいた
- ^ ボブ・ディランの『セルフ・ポートレート』と同じコンセプトに基づく
- ^ 元は1975年に藤公之介の作詞・拓郎曲で、萩原のために「君うるわしのかんばせ」のタイトルで制作されたもの。前述理由で作詞・藤とタイトルはそのまま、作曲が森田公一に交代し、萩原の1975年8月発売のアルバム『惚れた』に収録された。この時ボツになって残った拓郎曲が1978年になって作詞を阿久悠が手掛けタイトルも変更し発売されたのが「さらば」。
- ^ 替え歌とはいえ、この曲が最初のオリジナル曲。長いタイトルはやはりディランの「第三次世界大戦を語るブルース」などの長い題名に影響されている。「柔」とか「兄弟仁義」などの歌謡曲みたいな簡単なタイトルでは値打ちが下がる気がしたと話している(田家秀樹 2007b, p. 82)。
- ^ 現在は"字余りソング""字あまりソング"という言い方で定着している
- ^ 小室哲哉との対談は2008年11月5日の日本経済新聞朝刊の社説、1面コラムの春秋にも引用された。
- ^ 吉田拓郎のそれまでになかった、話し言葉のような歌が若者たちの心をとらえた(テレビ仕掛人たちの興亡、1990年、田原総一朗、講談社、p202)。
歌詞の中で、自分のことを「おいら」と呼ぶのも拓郎が始まりと思われる(日本崖っぷち大賞、1998年、みうらじゅん、泉麻人、山田五郎、安斎肇、毎日新聞社、p180)。
1組の男女の別れを切なく描いた詞が、最後の最後に「年老いた男」の俯瞰の目線に変わるこれまでにない詞の展開、方法論を持つ「マークⅡ」(アサヒ芸能、2009年7月16日号、p189)。 - ^ Musicman'sリレー 第66回 武部聡志
「青春の詩」に見られるような、自分の身のまわりの、ほんのちょっとしたことを唄にしてもいい(僕の昭和歌謡曲史、泉麻人、講談社、2000年、p137)。
拓郎は、形態こそギターを弾きながら自作曲を歌うという、それまでのフォークと同じスタイルをとりながらも、歌う内容は全く変わっていた。自分の思ったことを歌う、歌いたいことだけを歌うというマイペースの姿勢に変わりはないが、社会問題をテーマにするのではなく、自分の身近な私生活をテーマにした(音楽する社会、1988年、小川博司、勁草書房、p49)。
反体制イディオムと青春歌謡を直結させる手法は新鮮で、現在のロッカーもこの手法を無意識に踏襲(J-ROCKベスト123 1968-1996、1996年、講談社、p61)。
「旅の宿」「襟裳岬」等に共通する"和"の世界 "ジャパネスク"路線も、後のシンガーソングライターたちに無意識下に下敷きにされる(歌謡ポップス・クロニクル 特集アスペクト39、アスペクト、p122)。
例えば、田上雅充の「春うらら」は「旅の宿」をベースに春歌的趣味を加えたもの(決定版「一発屋」大全、2001年、宝泉薫、彩流社、p166)。
フツーの男が、とてもマガオでは言えないような話を平気で自然に歌に出来る力強さ(歌謡曲という快楽 雑誌『よい子の歌謡曲』とその時代 、2002年、宝泉薫+ファッシネイション、彩流社、p26)。
ファンに激震!人生、最後ツアー決定|吉田拓郎 - ^ a b 演歌にも通じる日本人の歌心に新しいスタイルを提示。織田哲郎ロングインタビュー
R&B+浪花節を基盤とした曲作りの柔軟さ。現在の音楽畑ではもう生まれないと思われる不世出のコンポーザー(歌謡ポップス・クロニクル 特集アスペクト39、アスペクト、p123)。
ユーミン、陽水の前史として拓郎がある。拓郎は自身が考えていること、感じていることを、そのまま歌にして歌うという近代的な表現意識を、非常に直接的に、シンプルな形で典型的に確立した。大衆歌謡としての自己表出という非常に明瞭な方法意識を確立させた(ポスト歌謡曲の構造、1986年、足立里見著、五月社、p20、21)。
拓郎は演歌の歌唱法と歌詞法を超えて、身近な言葉を音(メロディ)に乗せえたいちばん最初の人。中島みゆきは、好むと好まざるとに関わらず、拓郎たちが領土化した発声と発想の路線上から出発した(中島みゆき その愛と歌の行方、1991年、菅間勇、春秋社、p210-212)。
小室等は、日本のフォークソングには拓郎と陽水という二つの大きな流れがある。それはアーティキュレイション(Articulation)でありフレーズ。拓郎の方が陽水よりポピュラリティがあって、日本のわらべ歌や民謡に非常に近いものがある。また言葉に対する感性のセンスがいい。陽水のほうはもっと英語に近いアーティキュレイションでの日本語。拓郎と陽水がやったことの成果、功績は大。二人がいなかったら日本語の歌って違った形になっていたと思う。だからユーミンには失礼だと思うけれど、拓郎と陽水がいなかったら、ユーミンがああいう形であったかどうかって、僕はそう思ってしまう。勿論、ユーミンも才能のある人だから、何らかの発見をしたかも知れないけども、でも拓郎と陽水という実績の上に、今のユーミンがあると思うし、日本の歌もその上にあると思うね(石原信一 1985, pp. 90-91)。「拓郎、井上陽水、ユーミン、小田和正といった人たちが、非常に洋楽的なエッセンスと日本語の感性をドッキングさせる才能に長け、日本語としての生命力を保ちつつ曲を作るという意味で、エポック・メイキングだった人たちだった思う。拓郎辺りまでは、まだ七五調な日本語感性に踏みとどまっていたが、その後日本の音楽は限りなく英語感性に寄り添っていったと思う」(ジェネレーションF―熱狂の70年代×フォーク、2001年、小室等他、桜桃書房、p27)。などと論じている。
フォークからプロテスト性をそいだ形で「自分の思ったことを自分の言葉で歌う」というテーゼだけを保持し、自身の「私生活」を表現(ロックミュージックの社会学、2001年、南田勝也、青弓社、p139)。
ロック・クロニクル・ジャパンVol.1、1999年、音楽出版社、p69
阿部嘉昭ファンサイト: 再帰性と再帰性が反射する--三村京子について - ^ ドラムは再建後のエレックレコード社長・萩原克己
- ^ 同時期にはっぴいえんどが岡林信康のバック演奏を務めたことは有名だが、レコーディングは、はっぴいえんど主導で行われたといわれている
- ^ 現在のようなチケットの販売システムもない時代、チケットは一律2500円で全国のイベンターに販売してもらいバスツアーを組んだものと、スタッフが東海道本線の沿線駅前のレコード店や喫茶店を手分けしてまわって置いてもらったものがあった。正確な観客数が定かでないのは、売られたチケットが回収できなかった分が多かったため(AERA in FOLK あれは、ロックな春だった!、朝日新聞社、p46、田家秀樹 2007, p. 193)。
- ^ 外国ではイギリスのワイト島フェスティバルが有名。
- ^ 「明星」編集部は金沢事件で女性週刊誌を中心に拓郎を追撃する中、拓郎を擁護する立場を取り不起訴後、いち早く拓郎の独占自筆手記を掲載した(月刊明星、1973年8月号
/>[http://goethe.nikkei.co.jp/human/090623/01.html ファンに激震!人生、最後ツアー決定|吉田拓郎uman/090623/01.html ファンに激震!人生、最後ツアー決定|吉田拓郎]、集英社、〈独占!よしだたくろう1800字自筆手記〉、p82―85)。「旧友再会フォーエバーヤング」は福島の圧力で、巻頭カラー楽譜付きグラビア(近藤真彦、松本伊代、早見優らに続いて拓郎がくる不自然さ)で丸1ページを割かせたという。また1984年に集英社から出た拓郎のエッセイ集「俺だけダルセーニョ」は先の編集者と福島らが編集したもの(吉田拓郎サマへの道、1999年、福島直子、ネスコ/文藝春秋)。草野マサムネが「明星」を見て拓郎に興味を持った(田家秀樹 1994, p. 73)というのはこれらの理由と思われる。 - ^ 吉田拓郎のそれまでになかった、話し言葉のような歌が若者たちの心をとらえた。拓郎節はナベプロ流の大宣伝、大がかりな売り出し作戦もなしに、まるで既存の流儀を拒否するような自然流で次々に大ヒットして、ナベプロなどの既存組が束になってもかなわない大きな流れとなった(テレビ仕掛人たちの興亡、1990年、田原総一朗、講談社、p202)。
山本コウタロー 2009, p. 4
日本のフォーク&ロック・ヒストリーー(2) ニューミュージックの時代、シンコーミュージック、1993年、p68
日本のフォーク&ロック史―志はどこへ―、1982年9月・田川律著・音楽之友社、p105、106
読むJ-POP 1945-1999私的全史、1999年、田家秀樹著、徳間書店、p139-140
テレビだョ!全員集合 自作自演の1970年代、2007年、長谷正人、太田省一編著・青弓社、p68-70 - ^ 音楽プロデューサー・前田仁は「拓郎によって今のJ-POPのスタンスはできあがったと言っていいでしょう。その意味では拓郎は間違いなくフロンティアだね」と述べている(フォーク名曲事典300曲、富沢一誠、p176、177)。
出典
- ^ 高校時代に考えた最初の芸名は入江(順)。好きだったモデル・入江美樹(小澤征爾夫人)と好きだった女の子の名前(準ちゃんと思われる)を足したもの(田家秀樹 2007b, pp. 164,184,185、吉田拓郎 1994, p. 176)。
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吉田拓郎20th Anniversary 元気てす!(FM NACK5、1990年10月10日)
豊かなる日々 〜吉田拓郎、2003年の全軌跡〜、2004年6月、田家秀樹著、ぴあ、p123
田家秀樹 2007b, pp. 118-123
渡辺プロの諸岡義明専務は「渡辺プロがなかったら、地方の若者が音楽と出会える機会もなかったと思いますよ。吉田拓郎も広島で『ザ・ヒットパレード』を見て、おれも音楽をやりたいと東京へ出てきて、最初に渡辺プロを訪ねたんだそうですよ」と話している(TV博物誌、1997年、荒俣宏、小学館、p189)。 - ^ Lapita 月刊吉田拓郎、2003年9月号、小学館、p25
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蔭山敬吾ブログ Welcome to GRACELAND & Keigo Kageyama's LABEL - ^ 気ままな絵日記、角川文庫再版本、1983年5月、p50
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- ^ 当時はベトナム戦争が最も激しかった頃であり、岩国基地は沖縄と並ぶ最前線基地だった。
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- ^ 翌1969年、第3回大会のフォーク部門で優勝したのが赤い鳥、2位がジ・オフコース。彼らと競ったのがフォーシンガーズ(チューリップの前身)ら(風のようにうたが流れていた、2005年、小田和正、宝島社、p61-67、72-75、112-115、田家秀樹 2007b, p. 425、坂崎幸之助のJ-Friends1、2008年、自由国民社、p136、137、141。)。
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エレックレコード社長のべらんめえブログ
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- ^ ロック・クロニクル・ジャパンVol.1、1999年、音楽出版社、p29
- ^ 拓郎は1月から東京でマンスリーコンサートを行った。第1回紀伊国屋ホールから毎回会場を変え、第2回までのバックバンドはマックスだった。第3回目から登場し以後5ヶ月間活動を共にしたのがミニバンド。ライブアルバム『よしだたくろう・オンステージ ともだち』の音源はミニバンドによるもの(気ままな絵日記、p183、184、187、田家秀樹 1994, p. 10)。
- ^ アサヒ芸能、2009年7月9日号、p39
- ^ 詞の内容は理解できてなかったが、泣かせるコード進行が好きで、その後の曲作りにも大いに使わせてもらったと話している(AERA in FOLK あれは、ロックな春だった!、朝日新聞社、p44)。
- ^ 坂崎幸之助 2003, p. 157.
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ナタリー - 日本初フェス「フォークジャンボリー」映画40年ぶりDVD化
あの「中津川フォークジャンボリー」38年ぶり復活へ - ^ はっぴいえんど伝説、1983年、萩原健太、八曜社、p72-73
松本隆対談集 KAZEMACHI CAFE、ぴあ、p114 - ^ a b c d e f g h 柳井康弘「吉田拓郎が日本のフォークソングに与えた偉大なる影響 : 私生活フォークの成立と「僕の歌」をめぐって(芸術のロケーション)」、『Booklet』第12巻、慶應義塾大学、2004年1月31日、 83-92頁、 NAID 110004646497。
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日本の若者音楽文化の分岐点と生活意識の変容 -フォークからニューミュージックへ- 南田勝也
FM雑誌と僕らの80年代、恩蔵茂、2009年、河出書房新社、p40 - ^ a b あの歌 この歌 こぼれ話、長田暁二、全音楽譜出版社、2008年、p250、251
- ^ 樋口了一インタビュー
- ^ 別冊宝島編集部 2006, p. 37.
- ^ 関西では人気DJだった谷村新司は、拓郎のパックインミュージックに対抗するため、文化放送が東京では無名の谷村をセイヤングに1973年4月から抜擢したもの(夢のあがり―ニューミュージックの仕掛人たち―、p119-120)。
- ^ 毎週数千通の投書を集めた(ロック時代=ゆれる標的、相倉久人、文化放送、p289)。
ディランを語ろう、浦沢直樹・和久井光司、p37
日本ロック大系、月刊オンステージ編集部、白夜書房、1990年8月、〈上巻〉p194
田家秀樹 2007, pp. 6-7俺らの旅はハイウェイ、1990年2月、長渕剛、八曜社、p49
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桑田佳祐と吉田拓郎との隠された過去。今日までそして明日から。
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吉田拓郎 Island Concert in 篠島
長渕剛インタビュー
堂本兄弟、2004年2月29日
BOØWY B to Y THERE'S NO BEGINNING AND THE ENDS.、2002年9月、宝島社、p30
季節が君だけを変える : EARLY YEARS (STORY)
鈴木敏夫のジブリ汗まみれ
リアルライブ - 歌蔵のロッケン問答 花田裕之
Circus オフィシャルWEBサイト
「作家で聴く音楽」第六回 松井五郎
アメリカ発・音楽・楽器情報直送便!! - ギター/アンプ/エフェクター
あいつの切り札―松山千春から吉田拓郎まで36人― 富澤一誠、音楽之友社、1981年、p52、53
木根尚登インタビュー
MUMIX BLOG::pixyのプロフィール
ルーツ再発見 - 嘉門達夫のコラム
2009年07月10日のブログ|嘉門達夫オフィシャルブログ 冷やし中華始め冷やし中華始めましたか?(知らんガナ)
ROOF TOP 11月号インタビュー : KENZI スマ・ロ子 BABY
日浦孝則 Official HP| paper island
ハードロック! ROLLY(寺西一雄) 山本恭司 Webマガジン 月刊チャージャー
中村正人 | ロングインタビュー | R25.jp
東北ロックンロール物語、2008年、高橋ジョージ、ワニブックス、p61-62
ユカイなサムシング 2009.7.5 Have A Nice Day
町田紀彦インタビュー
花くまゆうさく×清水貞信(かまボイラー)('06年12月号)
吉田拓郎に憧れて始めた弾き語り -
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サンデー毎日、1972年6月25日号は"ニュー・フォークが燃えている 若者の心をバッチリつかんだ四人の旗手" という見出しで拓郎、泉谷しげる、あがた森魚、友部正人の四人を特集している(p42-45)。 - ^ 矢沢保 1980, p. 61,133.
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みうらじゅん インタビュー6 日経トレンディネット
みうらじゅんの「あぁ、青春ノイローゼ」な10曲|音楽|HMV ONLINE
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また拓郎も、かなり早い時期から渡辺晋とよく酒を飲んでいたと渡辺プロの社史に記述されている。渡辺は「ニューミュージックの連中は、したたかだな。ちゃんと計算している。ウチの若いマネージャーでは歯がたたんだろう」と諸岡義明専務に感想をもらしていたという(渡辺プロダクション社史「抱えきれない夢〜渡辺プログループ40年史〜」、1999年、「渡辺プロ・グループ四〇年史」編纂委員会、p288)。
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吉田拓郎・・・我が青春|江田 けんじオフィシャルブログ Powered by Ameba - ^ 内外タイムス - 高須基仁のメディア国士無双
高須基仁の"百花繚乱”独り言
ほぼ日刊イトイ新聞 - あのひとの本棚。
週刊現代 2009年10月17日号、p71
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8月18日 その1219『逢坂誠二の徒然日記』 | 逢坂(おおさか)誠二
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