三省堂 大辞林 |
やの-はるみち 【矢野玄道】
(1823-1887) 幕末・明治の国学者。伊予の人。通称、茂太郎・谷九郎、字(あざな)は子清、号は谷蟆・梅廼舎など。平田篤胤没後の門人。「献芹詹語(けんきんせんご)」を書き、王政復古の直後に政権構想を提示した。著「皇典翼」「神典翼」など多数。
美術人名辞典 |
矢野玄道
読み方:やの はるみち
国学者・大洲藩士。通称茂太郎・谷九郎、字子清・太清、名は敬逵・真弓、号は谷蟆・谷倶久・天放散人・神臣等。道正の子。伊予喜多郡生。平田篤胤・日下伯巌・八田知紀・山田清安等に師事。玉松操と相知り国事に奔走。大学中博士・吉田家学頭・宮内省御用掛等を務めた。著書に『麻生の下草』『神典翼』等がある。明治20年(1887)歿、65才。
国学者・大洲藩士。通称茂太郎・谷九郎、字子清・太清、名は敬逵・真弓、号は谷蟆・谷倶久・天放散人・神臣等。道正の子。伊予喜多郡生。平田篤胤・日下伯巌・八田知紀・山田清安等に師事。玉松操と相知り国事に奔走。大学中博士・吉田家学頭・宮内省御用掛等を務めた。著書に『麻生の下草』『神典翼』等がある。明治20年(1887)歿、65才。
やのはるみちのページへのリンク