地図測量人名事典 |
堀田仁助(ほったにすけ 1747-1829)
石見津和野藩士、天文学者、蝦夷地航海測量の先駆者。
堀田は、1747年、津和野藩士堀田嘉助の長男として藩の広島船屋敷で生れ、幼名を兵之助といった。幼少のころから、計算に優れ、数学や天文学に興味を持っていたといい、13歳のときには藩務に就いた。
1783年(天明3年)には幕府天文方に出仕。寛政11年(1799) 55歳の時、幕府より蝦夷地への航路開拓と測量を命じられ、3月24日に江戸の品川湾を政徳丸で出航し、海上航路の測量を続けて約3か月を費やし、6月20日北海道の厚岸湾に到着し、当時は未踏の地であった北海道東岸の新航路を開設した。この間天文測量を実施し、伊能忠敬に先駆けて蝦夷地地図を作製、蝦夷地航海測量の先駆となった。
測量に使用する機器を自ら開発・作製したといわれるが現存しない。残された、蝦夷地図、日本地図、世界地図と黄銅製の尺度(ものさし)やコンパスなどは、日本学士院に保存されている。津和野太鼓谷稲成神社は、堀田が作成した地球儀(木製、直径37cm、1808)を所蔵している。
堀田は、1747年、津和野藩士堀田嘉助の長男として藩の広島船屋敷で生れ、幼名を兵之助といった。幼少のころから、計算に優れ、数学や天文学に興味を持っていたといい、13歳のときには藩務に就いた。
1783年(天明3年)には幕府天文方に出仕。寛政11年(1799) 55歳の時、幕府より蝦夷地への航路開拓と測量を命じられ、3月24日に江戸の品川湾を政徳丸で出航し、海上航路の測量を続けて約3か月を費やし、6月20日北海道の厚岸湾に到着し、当時は未踏の地であった北海道東岸の新航路を開設した。この間天文測量を実施し、伊能忠敬に先駆けて蝦夷地地図を作製、蝦夷地航海測量の先駆となった。
測量に使用する機器を自ら開発・作製したといわれるが現存しない。残された、蝦夷地図、日本地図、世界地図と黄銅製の尺度(ものさし)やコンパスなどは、日本学士院に保存されている。津和野太鼓谷稲成神社は、堀田が作成した地球儀(木製、直径37cm、1808)を所蔵している。
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