三省堂 大辞林 |
ほそい-こうたく ほそゐくわうたく 【細井広沢】
美術人名辞典 |
細井広沢
読み方:ほそい こうたく
江戸中期の書家・儒者。遠州掛川生。名は知慎、字は公謹、通称次郎太夫、別号に玉川・思貽斎等。朱子学を坂井漸軒に学び、書を北島雪山について文徴明の書法を受ける。また兵学・歌道・天文・算数などの学識も豊で、柳沢吉保に仕えたのち水戸藩や幕府に登用された。享保20年(1735)歿、78才。
江戸中期の書家・儒者。遠州掛川生。名は知慎、字は公謹、通称次郎太夫、別号に玉川・思貽斎等。朱子学を坂井漸軒に学び、書を北島雪山について文徴明の書法を受ける。また兵学・歌道・天文・算数などの学識も豊で、柳沢吉保に仕えたのち水戸藩や幕府に登用された。享保20年(1735)歿、78才。
地図測量人名事典 |
細井広沢(ほそいこうたく 1658-1735)
静岡県掛川の人、天文・測量家、「測量」という言葉を初めて使用した。
細井広沢は、万治元年掛川藩士細井玄佐の子として掛川に生まれ、その後藩主の移封に伴い明石に移住した。11歳のとき、江戸に上り坂井漸軒に師事して儒学を、北島雪山に書道を学んだ。彼は、兵学そして槍術、騎法、歌道、絵画の全てについて極めるなど多才であった。特に儒学者、書家として有名であり、天文・測量術にも優れ、「測量」という言葉を初めて使用したことで知られている。
天文測量は金子立運(昌沢)、権七兄弟に学んだといわれる。 さて細井以前、測量のことは「量地術」「町見(ちょうけん)術」さらに「規矩(きく)術」などと呼ばれていた。
それより前中国には、「観天法地」あるいは「測天量地」という語があった。前者は、国土の統治にあたって、「天象に基準を求め、地勢に従って境域を定めた」ことに由来する語である。また、はかることに関しては、天をはかることを「測る」といい、地をはかることを「量る」と使い分けていたともいい、天と地をはかること、すなわち今の「測量」に当たる言葉として「測天量地」があった。
このことから、土地の測量を「量地」といい、和称を「町見」と呼んでいた。「規矩」は本来コンパスのことであるが、コンパスを使用するオランダ(紅毛)流の測量には「規矩術」をあて、中国流のそれは「町見術」と呼んで使い分けることもあった。
細井は、地球上の位置を定めることを、「測天量地」という言葉をつめて「測量」と呼んだ。1717年に著した「秘伝地域図法大全書」(2巻)の中でのことである。
この間細井は、柳沢吉保そして水戸家、幕府に登用された。 また、赤穂義士の堀部安兵衛とは、同門で親友であったことから、討ち入りの情報を事前に得ていたので、義士の行動に際しては自宅の屋根に登って彼らの安否を気遣ったというエピソードも残している。
晩年69歳になってなお、「測量秘言」(1726年)に分度余術、渾発を使用した測量法を著し、修得した紅毛流の測量術を使っての実測による「日本全図」の作成を夢見ていたといわれる。享保2年(1717)「地域図法大全」を著す。
細井広沢は、万治元年掛川藩士細井玄佐の子として掛川に生まれ、その後藩主の移封に伴い明石に移住した。11歳のとき、江戸に上り坂井漸軒に師事して儒学を、北島雪山に書道を学んだ。彼は、兵学そして槍術、騎法、歌道、絵画の全てについて極めるなど多才であった。特に儒学者、書家として有名であり、天文・測量術にも優れ、「測量」という言葉を初めて使用したことで知られている。
天文測量は金子立運(昌沢)、権七兄弟に学んだといわれる。 さて細井以前、測量のことは「量地術」「町見(ちょうけん)術」さらに「規矩(きく)術」などと呼ばれていた。
それより前中国には、「観天法地」あるいは「測天量地」という語があった。前者は、国土の統治にあたって、「天象に基準を求め、地勢に従って境域を定めた」ことに由来する語である。また、はかることに関しては、天をはかることを「測る」といい、地をはかることを「量る」と使い分けていたともいい、天と地をはかること、すなわち今の「測量」に当たる言葉として「測天量地」があった。
このことから、土地の測量を「量地」といい、和称を「町見」と呼んでいた。「規矩」は本来コンパスのことであるが、コンパスを使用するオランダ(紅毛)流の測量には「規矩術」をあて、中国流のそれは「町見術」と呼んで使い分けることもあった。
細井は、地球上の位置を定めることを、「測天量地」という言葉をつめて「測量」と呼んだ。1717年に著した「秘伝地域図法大全書」(2巻)の中でのことである。
この間細井は、柳沢吉保そして水戸家、幕府に登用された。 また、赤穂義士の堀部安兵衛とは、同門で親友であったことから、討ち入りの情報を事前に得ていたので、義士の行動に際しては自宅の屋根に登って彼らの安否を気遣ったというエピソードも残している。
晩年69歳になってなお、「測量秘言」(1726年)に分度余術、渾発を使用した測量法を著し、修得した紅毛流の測量術を使っての実測による「日本全図」の作成を夢見ていたといわれる。享保2年(1717)「地域図法大全」を著す。
ほそいこうたくのページへのリンク